神がモーセにイスラエルの民をエジプトから脱出させるように使命を与え、しり込みするモーセにに幾度も、「わたしが必ずあなと共にいる」と励まし、エジプト脱出の際のこれからの計画をモーセに話されます。モーセはそれでも、まだ神様の召命を辞退しようとします。そこで、神は人々がモーセが神から遣わされたことを信じるように、使命に伴ってしるしを与えます。一つ目のしるしはモーセが40年間荒野で羊を飼っていた時に使っていた杖です。この杖を投げると蛇に変わり、蛇の尾をつかむとまた杖に戻るというしるしです。この杖はモーセが羊飼いであることの象徴で、今までは羊たちの羊飼いであったが、これからはモーセはイスラエルの民の世話をし、導く役割となるからです。この杖を通してエジプトの王を懲らしめ、杖により示されるしるしを通して羊である神の民イスラエルを慰め、守ることになります。二つ目は、手が一瞬にして重い皮膚病となり、一瞬にして元に戻るというしるしと、 3つ目がナイル川の水が血に変わるという、あわせて3つのしるしを示し、人々がモーセの言うことを信じるようにとされました。モーセはそれでも「わたしは弁が立つ者でないから無理です」と拒否します。そこで神は怒られて、モーセの兄弟アロンをモーセのスポークスマンにするとし、モーセにこれ以上拒否する理由がないようにされます。こうしてモーセはエジプトへ行くことを舅のイテロに説明しますが、本当の理由を言わず、親族を訪問すると言います。ここに、まだ腰が引けているモーセを見ます。エジプトへ神の使命のために出かけるという決意がまだ固まっていなかったのかもしれません。
モーセは妻子を連れて、エジプトへ向かいます。ところが、主なる神がモーセを殺そうとされたと記されています(24節)。これから用いようとするモーセをなぜ神様は殺そうとされたのでしょうか。この解釈には様々な説がありますが、妻のチッポラのとっさの行為によりモーセは死なずにすみました。彼女は息子たちに割礼を施して、それを神様に示します。割礼とは、神がアブラハムとその子孫を神の民とする約束のしるしとして、ユダヤ人の男子が生後8日目に受ける儀式ですが、おそらく、異国のミデアンの地で生まれたモーセの子供たちは、割礼を受けていなかったので、妻のチッポラはしなければならないこととして、とっさにしたのかもしれません。そして、その直後に主はモーセを放されたと記されています。割礼の有無は別として、モーセを神の使者として新しくするため、古い自分に死に、新しい命に生きるという必要があって、死にそうになる経験がモーセに与えられたのかもしれません。
神の召命に生きる者、神の器として用いられる者は、神に用いられる前に、古い自分に死ぬような経験をさせられることがあります。使徒パウロが以前はキリスト信徒を迫害していましたが、パウロにダマスコという町へいく途上で、イエス様が現れ、彼を異邦人への伝道に遣わすと召命しました。その直後パウロは3日の間目が見えなくなりました。そして、神から遣わされたアナニアが彼の上に手を置いて、目から鱗のようなのが落ちて見えるようになり、洗礼を受けてから、大胆にイエスこそ神の子であると宣べ伝え始めたように(使徒言行録9:17-21)。
こうしてモーセは、兄弟アロンに会い、一緒にエジプトにいるイスラエルの民の長老たちに、主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の前でしるしを行いました。すると、ようやく民はモーセが神から遣わされたことを信じ、神がイスラエルの人々の苦しみを顧みてくださったことを聞いて、ひれ伏して神を礼拝しました。