某所で、石垣をテーマにお話をいたしました。
『石垣』 だと、たぶん一日中でも喋っていられるので、絞らせていただきました。
『“丸い石を積んだ”石垣』
丸い石を積んだ石垣のお城といえば、知ってる人は知っている、遠州・横須賀城。
こちらは未踏ですのでPASS。
我が故郷、豊後…とはいいつつ大分市から100㎞程離れている日田郡の、丸山城 (のち永山城)は、丸い石垣を積んでおります。
画像①:伝天守跡石垣 見ての通り1mを超えるような大きな石が積まれています。
御拝聴いただいた方によると、遠州横須賀城はもっと石が小さいとか。
ここは、2016年の熊本地震のときに崩落し、一昨年までに復旧しています。その時の様子はこちら
主郭西の 大手石垣 ②も、隅角部こそ算木のようですが、他は丸い石垣を多く使っています。
丘上の主要部だけかと思ったら、2008年以降の発掘によって山下部③にも丸石垣が積まれていることが判明しました。
位置図 図は2016年の地震修復工事現説2018年 を加筆
で、この丸山城が築かれたのが慶長6年とされているのですが、
国土地理院地図より
それ以前織豊期には、三隈三山のうちの他の一つ、日ノ隈山に城が営まれていたのです。
此処にも処々に丸い石垣を積んでいます。上画像④ これが文禄慶長期のオリジナルであるかは不明ですが、
下画像⑤の位置にわざわざ丸石を積み直す意図はないと思われますので、当時のものである可能性を感じました。。
位置図は第五回北部九州中近世城郭研究会資料集を加筆
日田盆地は、三隈三山も盆地の地山も阿蘇凝灰岩が殆どで、それが上流から流れてきて摩耗し丸くなった川原石が多いので、岩の塊から切り出してくるよりは、川原石を使ったのでしょうね。
元々三隈川の畔にある日ノ隈城で使われた丸石積の技術 (という程のものかは疑問だが) が、その後築かれた丸山城にも使われたのでしょう。