3年前にいった、宮城県志田郡 (現大崎市) 松山 の 千石城
またの名を松山城
上記リンクから飛べる 『考城記・東北編』 にちょっとした説明あります。読んだってちょ。
先頃書いた 『一の蔵』 はこの城の北東にある。
城自体は江戸時代の前期に廃城となり、城主の茂庭 (鬼庭) 氏は、一の蔵酒造の西側の丘の上、今の松山高校の地に 上野館を造営しここに移った。
千石城のほうは今城内最大の面積である、通称三の丸と呼ばれるところに一面のコスモスが咲き誇る公園となっている。
その南側の丘陵上は、中世の連郭式山城が佇んでいる。曲輪・空堀・切岸そしてそれらの説明看板
たいへんステキな城跡のひとつである。