根多帖別冊 by おしろまん

根多帖別冊 by おしろまん

おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

丹波国桑田郡(京都府亀岡市)本梅の滝ヶ峰城

京より多紀郡や播磨に抜ける街道と摂津国能勢郡へ至る道を抑えることができる山上にあります。

これも以前清書してそのままだったので、アップ。

主郭Ⅰは西と南の二方に土塁があり出入口は現状bのみ確認できます。

その全周を郭が囲んでいて西の尾根続きⅡwは一段高くなり南北に土塁を伸ばしています。

Ⅱw西北隅は石が積んであったようですが、いまは崩れて下数段が残っています。

↓堀切a

Ⅱw西南隅からは竪土塁が落ち、横堀+土塁のhへと続きます。

堀切aとともに西の尾根筋~南尾根を護っていたのでしょう。特徴的な遺構です。

Ⅱeの出入り口dは枡形状で、降りると小区画になり厳重な構えにみえます。

さらにその下郭Ⅲの出入り口eも同様の構えです。しかも郭Ⅲの下は石積が!

横目地が通り、しっかり積まれているようにみえます。

この石垣をみるとここは惟任日向守の城ではないかと思われます。

ただ木の根が石積を崩しているのでしょう、もっと石積があったのではないでしょうか。

この山上全体に倒木が多く整備が必要と感じました。

 

伺ったのは2017年3月1日、たぶんすぐに清書したのですが…

掲載が遅れたのは、この城の南東尾根にも遺構らしきものがあってこの評価について悶々としていたため掲載を躊躇っていたの。だと思う…

この城は『図解近畿の城Ⅱ』で佐伯哲也先生が書かれていたのですが、この遺構については書かれていません。

特に尾根南端には西・北二方向に土塁をつけた平場があるのです。

遺構…なのかなぁ

昨日はこちらに行って来ました。

大阪お城フェス2024テレビ大阪主催で今年で3回目だそうです。

初日朝一からの参加だったのですが大盛況。

岸和田・岡部家(「新九郎奔る」に登場中の 右衛門尉~平四郎 の家系)の講演会など含めよいイベントでありました。

 

惜しむらくは、会場が狭すぎてブースの人と喋ることも歩くことさえ儘ならず。

クイズラリーに参加したのですが、34門中33門正解でした。

不正解は和歌山城ブース。「西の丸庭園に復元された廊下橋の角度は?」という問題。

インスタをフォローすれば答えが出ているということだったが、人ごみのためインスタにアクセスできず答えを見つけられず。

ぐぬぬ和歌山めぇ〜

 

あとこれは賛否分かれるでしょうが、変な殿様口調のブース多過ぎ。

まじめに話してくれているんだろうが、なんか不真面目さが拭えない…

10年以上もブログやって、図面を掻いてアップしていると、清書までしたのに挙げ忘れていたものがあります。

多可郡野間の光龍寺山城

 

10年前に訪問して、縄張図の清書もしていたのに忘れておりもした。

なんだか荒いのでまた清書し直したほうがいいのかな…

岸はしっかりしています。ただ、比高もそうない里山なので道はたぶん改変されているのかな、と。

石も、結構列石があるので石積も使われていたのかな、と。

あと、竪堀が箱堀なんです。薬研が埋まっただけかもですが。

全く関係ない話ですが、最寄り小学校から ジャイアンズの翁田大勢投手が出ています。

今季(2024・7~)はアニメが豊作である…ように感じる。

 

『推しの子』2期 文句なしにオモシロい!

  1期を一気見してしまい原作も追いかけてしまった。

 

『逃げ上手の若君』 これも原作未読で、期待しなかったが良い。

  (8歳を諱で呼ぶかよ…等気になることは多いが)

 

『時々ロシア語でデレる隣のアーリャさん』

  設定はおもしろいが…そこまでかな。

  アリサcvの上坂さんは上智のロシア語科卒らしい。

  いろいろ聴こえてくるが、同じロシア語科卒として

  (当方だいぶレヴェルが落ちるが)彼女の発音はさすがだと思う。

 このリズムー抑揚は慣れ親しんだものにしか出せないのでは

 

『しかのこのこのここしたんたん』

  期待したが一話で厭きた。

 

 そんななか、期待を大きく上回っているのが

『負けヒロインが多すぎる!』 通称『マケイン』

  設定は 『ロシデレ』 ほど強くはないが

  (だからこそ特殊さがなくリアルであるともいえる)

  ストーリー・台詞のチョイスが秀逸であるため飽きさせない。

  ちなみにこの作品には路面電車が出てくる。

  何処かな~知っている町やろな(市役所前駅に見覚えあり)

~と思ったら案の定、豊橋であった。

 

まあどれもまだ4話が終わったくらいなので、これからも楽しみにしていきたい。

 

また気になったのがこれらのCV、主役級がほとんど知らない名前ばかりである。

世代交代…なのかなぁ~

今日は暑いなか、赤穂郡加里屋へと行って来ました。

ご用事の場所に行くまでに目に入ったのです、潮見櫓の石垣。

用が済んでから30分程みて回りました。

本丸より北側って今まで観てなかったな~

水手門 凄くおもしろい構造 枡形かと思いきや、一文字石塁の内側は石段が水面に接する。

つまりは船着き門と思われ…

二ノ丸 西中門は高麗門を復元中

本丸の南に突き出す櫓台の大きさに驚く。

ひょっとしたら天守台はハナから天守を建てずに、ここに天守代用の三重櫓を建てる予定だったのかなと妄想(実際はこの櫓台は台のまま)

 

鈍角の塁線は洲本や須知と違い石自体が鈍角に加工されちょる。

 

いつもは論文の読み合わせ等をしている「しろあと研究会」

前々回は縄張図を見て侃々諤々の論議をして楽しかったです。

ボクの興味は織豊の支城なので、出雲国・赤穴瀬戸山城は興味をそそられました。

で、最後が丹波国・須知城下図を見ていた明けるとお判り頂けると思いますが、前丹波三郡から奥丹波三郡に出るのに最適な場所といえます。

それゆえでしょうか、山間部にも拘らずスバラシイ石垣を見ることができます。

Ⅰが主郭でしょう。東から南に土塁があり、外側が石垣です。高さ4m、長さ30mのうち2箇所に折れがあり、鎬積みです。

ここ、虎口だったのを石で埋めたような感じですね。

東の曲輪群が石垣ができる=織豊化する前から並立していたのでしょうが、ここが敵の仕寄りに使われないようにこの石垣がつくられたのかな、と。

Ⅰ郭の西とⅡ郭の西にも石垣の石塁や虎口がありますが、東の石垣に比べるとなんだか雑な印象を受けます。

下石塁はⅡ郭の西石塁をⅢ郭より

ということでほったらかしていた縄張図を仕上げてみました。

 

城跡研究会 の今回の読み合わせは 中井均先生の1998年の著作である

京都近郊という場所柄、都市化の波に呑まれそうだったこの遺構を残したいという有志の開いたシンポジウムでの講演を書き起こしたものであるらしい。

山科本願寺遺跡は、名称こそ寺であるが、城郭遺構であるといっていい程高い土塁と堀、複数の郭によりつくられていて、更にそれらは横矢掛けともとれる折れを持つ。

問題はその年代感である。天文法華の乱でここは焼かれ、その後利用されていない可能性が高いのである。

最も新しいとしても天文元年よりは下らない、そう考えるのが普通である。

これまで城郭を研究する人たち、特に縄張りをみてお城の年代や役割を考えてきた、いわゆる縄張研究者は、複雑なものや大きいものほど時代が下ると考えてきた。

その最たる例が、発掘された遺物の年代(15世紀第一四半期)に逆らって武蔵杉山城が後北条氏や織豊の手によると考えた「杉山城問題」である。

 

山科本願寺を天文以前の築造であることを是とするなら、杉山城も発掘された遺物の年代である15世紀第一四半期であっても不思議ではない…

 

と思うのだが如何であろう。

 

播磨国 加古郡 野村城

野村城という呼称は多数あり、宗佐厄神八幡の近くにあるため、野村八幡城とか八幡野村城とか呼ぶようにしちょります。

なんと2016年に図を摂ったがまだ未発表でした。

単身赴任中に清書までしたのですがなぜか挙げ忘れていたのです。

その後、師匠の図面に 畝状空堀群 があったので、それをこの冬確認して再度清書してみました。

先行図で書かれた畝は、ぼくがみた限りでは確認できず、eの二本も人工的な縦堀であるとは思えませんでした。

まあ発掘すれば出るかもしれませんので保留ということで。

基本土塁を多用した城ですが、主郭ⅠとⅡ郭Ⅲ郭では違っているように感じます。

bは、多田先生の言われる閉塞土塁という奴です。北からⅡーⅢ間の堀に侵入することを阻んでいて、類似施設は摂津松原(蒲公英)城や加西満久城にもあるそうです。

open-hinataが公開している赤色立体図にはⅡ郭の北にも空堀のようなものが見えます。

薮が酷く確認できていませんがここまで城域が広がる可能性もあるかもですね。

昨日の「城飲み 諸説あり」、お題は五月ということで『五』

ボクは「五角形」の城を紹介させていただきました。

 

やはりこのテーマでは、宇和島城 でしょう。図は小学館「探訪日本の城」より

築城の名手(眉唾)藤堂佐渡守の設計による五角形の堀は、四角形と誤認させることで残りの一辺から反撃や脱出を試みるためのものであるという(眉唾)。

 

その話の真偽は置いておいて、似たような堀の形の城をご紹介させていただきました。

越前丸岡城↓下図-正保城絵図より ほかに遠江久野城、陸奥角田城

これらの城は堀の幅や堀に面した塁線が歪になっています。

ひょっとするとこれは宇和島城も元々はこんな塁線で、伊達氏十万石の居城になって堀端まで外郭線が広がったのではないか~丸岡や角田も大身の大名が入部する機会があったなら、宇和島城のようになったのでは? ということを考えました。

 

またそのほか、摂津兵庫城は鬼門除けで北東の辺を削ったため五角形になった

や、中世から近世初頭の城の主郭には五角形のものが多い ↓但馬八木城 

丹波周山城 ↓

などお話しさせていただきました。

 

むかし摂った縄張図のなかで、国土地理院の地図が全く合わなかったのがここ、若狭白石山城

以前にもご紹介したWEB等高線メーカーにあわせてみました。

Ⅹ(旧Twitter)のフォロワーさんが高浜町郷土資料館主催の現地見学会に参加されたとのことでやってみました。

 

なんか新たな遺構も発見されたとのことで再訪したいお城です。