播磨国 加古郡 野村城
野村城という呼称は多数あり、宗佐厄神八幡の近くにあるため、野村八幡城とか八幡野村城とか呼ぶようにしちょります。
なんと2016年に図を摂ったがまだ未発表でした。
単身赴任中に清書までしたのですがなぜか挙げ忘れていたのです。
その後、師匠の図面に 畝状空堀群 があったので、それをこの冬確認して再度清書してみました。
先行図で書かれた畝は、ぼくがみた限りでは確認できず、eの二本も人工的な縦堀であるとは思えませんでした。
まあ発掘すれば出るかもしれませんので保留ということで。
基本土塁を多用した城ですが、主郭ⅠとⅡ郭Ⅲ郭では違っているように感じます。
bは、多田先生の言われる閉塞土塁という奴です。北からⅡーⅢ間の堀に侵入することを阻んでいて、類似施設は摂津松原(蒲公英)城や加西満久城にもあるそうです。
open-hinataが公開している赤色立体図にはⅡ郭の北にも空堀のようなものが見えます。
薮が酷く確認できていませんがここまで城域が広がる可能性もあるかもですね。