昨日の「城飲み 諸説あり」、お題は五月ということで『五』
ボクは「五角形」の城を紹介させていただきました。
やはりこのテーマでは、宇和島城 でしょう。図は小学館「探訪日本の城」より
築城の名手(眉唾)藤堂佐渡守の設計による五角形の堀は、四角形と誤認させることで残りの一辺から反撃や脱出を試みるためのものであるという(眉唾)。
その話の真偽は置いておいて、似たような堀の形の城をご紹介させていただきました。
越前丸岡城↓下図-正保城絵図より ほかに遠江久野城、陸奥角田城
これらの城は堀の幅や堀に面した塁線が歪になっています。
ひょっとするとこれは宇和島城も元々はこんな塁線で、伊達氏十万石の居城になって堀端まで外郭線が広がったのではないか~丸岡や角田も大身の大名が入部する機会があったなら、宇和島城のようになったのでは? ということを考えました。
またそのほか、摂津兵庫城は鬼門除けで北東の辺を削ったため五角形になった
や、中世から近世初頭の城の主郭には五角形のものが多い ↓但馬八木城
などお話しさせていただきました。