伊藤歩
木村文乃
中越典子
今日まで僕はこの三人の区別がついていなかった。
これって何かの認知に拘わる障害なんだろうか?
それともごく普通に誰にでもあるもの?



伊藤歩
木村文乃
中越典子
今日まで僕はこの三人の区別がついていなかった。
これって何かの認知に拘わる障害なんだろうか?
それともごく普通に誰にでもあるもの?



ダニーボーイという唄の訳詞を作っていて、なかにし礼氏の日本語の歌詞を見つけました。
訳詞ではありません。似たような、といえば似たような内容の詩ですが、かなり反戦歌色が強い詩となっています。
なかにし礼氏は作詞家としては好きな方ですが、「愛国心」についての見解には時々首をかしげたくなる方です。
「国のため?大義のため?そんなもののために戦争なんかに行けるか」とおっしゃってますが、平和平和と呪文を唱えていれば、あの支那とその属国を続けてきた民族から国を守れるのでしょうか?
戦争反対、自衛隊は違憲だという人達にずっと持っていた疑問があるのですが、どうして彼ら彼女たちは警察をなくせといわないのでしょう。争いごとが嫌いで「人権」がそんなに大切なら刑法を廃棄して刑務所もなくして警察もなくしましょうよ。町の治安を守るのは良いけど、国の安全を守るのがそんなにいけないことなんでしょうか?自衛隊があるから攻められるというなら、警察があるから犯罪者が生まれるとなぜいわないのでしょうか?ついでに消防署があるから火事になる・・・とも言ってみたらいかがでしょうか?
国家元首が外国に出かけてもホテル代すら払えない様な国に囚われている拉致被害者を救い出せないのは、なかにし礼氏や彼が寄稿している毎日新聞や赤日新聞や土井たか子から連綿と続く左の方々じゃないのでしょうか。拉致被害者を救い出す方法なんて、情報機関が正確な情報収集をし、特殊部隊を送り込む以外に手立てがあるとでも思っているのでしょうか?
侮られて、だまされて、はぐらかされて金をせびり摂られて罵られる。
そういうのを外交というのでしょうか?
戦争は、良いことじゃないし、奥の手ではあるだろうけど、政治の一手段であることは明確に覚えておくべきです。
太平洋戦争は間違った戦争でした。でも、それはとにかく「戦争をしてはいけないから」ではなく、戦略がなかったからです。戦略を持った人材が当時の軍部にいなかったからです。あの戦争は何を勝ち取りたかったのかが分からない戦争だったからです。目的が設定されていない戦争だったからです。
ダニーボーイだって元々は反戦歌じゃなかったのに、そういうことを考えているとなんだか無性に腹が立ってしまいました。
屠殺・・・ATOK最新版でも変換ができなかった。
なぜ?屠殺なんて野蛮な言葉、日本語の語彙から抹消したいのか?
屠殺という行為はあっても、その言葉は消したいのか?
なんだか、すごく・・・変な気分。
まあ、それはさておき、僕は猫が好きだ。犬も好きだ。
豚も好きだし、山羊も好きだ。
牛はそれほど好きでもないけど、多分、飼えば情が移って好きになる可能性は高い。
以前にも書いたけど、僕が猫を食べたらきっと多くの人に眉をひそめられると思う。
犬や猫の殺処分を防ごうという運動は盛んだ。
でも、牛や豚の屠殺を止めようという運動はきいた事がない。
なぜ?
人が(というより、すべからく生き物は、という方が正確だろうけど)
生きるには、植物を含めて他の生物の命を奪う事は『ある程度』仕方がない
という意見には、まあ、賛同する。
でも、だからといって、豚は良くて猫はダメというのはやっぱり納得できない。
(犬や猫はまずいのか?それなら分かるけど)
あと、食べる必要もないのに動物を虐待する人間に対しては
殺人罪を適用しても良いんじゃないかと思う。
殺『人』罪という言葉が適さないのであればう『生命毀損罪』でもいい。
人を殺せば殺人で、動物を殺せば器物破損というのは納得がいかない。
むしろ、そういった問題は全て、この星の上に人間がいるから起きているのであって
人類が絶滅してしまえば、自然の摂理がちょうど良い淘汰と均衡を実現してくれるのではないか。
(人間がいなくなれば、犬の大半は絶滅するかもしれないが、それも自然の摂理だろう)
人間って、そんなに偉い生き物なのか?
この頃、熟々そう思う。
ついでに言うと、僕はずっと死刑制度反対論者なんだが、それは
安っぽい人権主義とか似非ヒューマニズムに基づくものではない。
死刑制度があまりのも不公平だと思うからだ。
サリン事件を起こした碌でなしの首謀者を死刑?
楽すぎるだろう?
体内にGPSを埋め込んで、基本的人権と日本国の保護を一切剥奪して
両手首から先を切断した上で町中に放免すべきだと思う。
それが人道的でないというなら、
一ヶ月に一度、体のどこかを切除していく刑が適当ではないかと思う。
1月に腎臓を摘出。希望者がいれば移植に供する。
2月に右目の角膜を摘出。希望者がいれば移植に供与。
3月に左足首から先を切断。
4月に・・・。
こうすれば「死にたいと思ったから」などという、ふざけた犯罪者もなくなると思う。
とにかく死刑は絶対止めるべきだ。
そして人間と猫の命に重さの違いはない事をもっとしるべきだ。
NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組にはまっている・・・ということは、別なところでも書いたけど、この番組を観ていてつくづく実感した事がある。それは、問題解決力より問題を発見する能力の方がずっと大切だ、と言う事。
例えば、以前のこの番組で「ドレミファのドって、なぜ『ド』なのか?(『ド』はどういう意味か?)」という問題があったけど、この聞かれてもほとんどの人が分からない問題に思い至る事ってすごい事じゃないかと思う。言い換えれば、問題さえ見つかれば、その答えを見つける事は(いつもじゃないけど)大抵の場合、なんてことない。いわんや、このググってコピペの時代においては。
「ねえねえ、お風呂に入ったときにあぁーって声が出るの、なぜ?」
「ねぇねぇ、森に入るといいにおいするよね。あれ、何のにおい?」
「ねえねえ、刑事をデカって呼ぶのはなぜ?」
もし、これらの問いに対して「答えを知ったからと言ってそれが普段の生活にどう役立つのか?」なんて事を言う人が居たら、僕はそういう人間とは一生付き合わない。
社会で一番大切なものは「問題発見能力」に間違いない!
「え?!」って、びっくりするのはいくつになっても快感だ。これも間違いない!
あ~、今日も良い気分。
知り合いに絶対音感の持ち主がいる。
彼は、車の不調を耳で見つける。
「この車、4速で走っている時って●●ヘルツなんだけど、今△△ヘルツなんだ」
みたいに。
すごいね、っていうと、色々面倒だよ、と言う。
何が面倒なんだろうと思っていたが、この頃、僕も別なことで似たような気分になることが多い。
何日か前に、日経新聞の記事の中で「けんけんがくがく」という言葉が使われていた。
今日、ラジオでジョン・カビラ氏もケンケンガクガクと言っていた。
あ~、引っかかる。
あ~!いらつく。
でも、年寄り臭く思われるのが嫌で、誰にも言わないけど。
カンカンガクガク(侃々諤々)という言葉はある。
ケンケンゴウゴウ(喧々囂々)という言葉もある。
でも、ケンケンガクガクと言う言葉はない!
・・・あ~、すっきりした。(笑)
今日もちょっと良い気分。
さすがに、今、周りにバラより美しいと言えるような女性が居るほど若くもなくなったけど、この時期、散歩をするとあちらこちらで色々な花がきれいな季節になってきた。もちろん、バラがきれいに咲いている庭もよく目にする。
5月というのは本当に良い季節だ。
さっき、テレビを見ていたらTOKIOの会見をやっていた。
スポーツと芸能界というのには生来まったく興味がないし、スキャンダルを繰り返しほじくり返し続けるマスコミにも全く感心しないのだけれど、今回の記者会見は、まあ、多少の意義はあったのかもしれないと思った。
スキャンダルの張本人の山口某が今後どうなろうと、TOKIOがどうなろうとどうでも良いけれど、数日前まではだからといってあんなにみんなでよってたかって、昼日中のワイドショー番組が連日こぞって彼を袋だたき(さらし者)にするのはどうなんだろうと思っていたが、まあ、軽はずみなことをすると一生後悔するよ、他人に大変な迷惑をかけるよ、その責任はとても負いきれるものじゃないよ、という見本として、今日の記者会見が多くの人も戒めになれば、ああいうのも多少意味はあるのかもしれないなあ。
でも、やっぱりどうでも良いことだなあ。
テレビなんて見ないに越したことはない!
テレビを見ない日は気分が良いものな。
去年までは桜が散ると治まっていた花粉症が、今年はまだまだ続いている。
もしかしたら、今年からスギ花粉に加えて、ヒノキも発症したのかもしれない。
目がかゆくて、くしゃみと鼻水が止まらない。
ところが、先週いっぱい神戸・金沢方面にいたのだけれど、全く症状が出なかった。
ニュースを見ていても、花粉はほぼ収まったようなことを言っていたし。
なのに・・・
首都圏に帰ってきた途端、またしてもひどい花粉症。
花粉の量も関西と関東では違うんだなあ。
そろそろ、兵庫に引っ込もうかな。
母が一人で暮らしている実家に帰る。
Wifiも衛星放送もない。
夜中に目が覚める。
することがない。
仕方なく、持参した本を読む。
空腹を覚えるが、老婆一人の生活なので
冷蔵庫の中は見事なまでに無駄なモノがない。
調味料とらっきょうくらい。
仕方ないので、味噌とらっきょうで持参した酒を飲む。
テレビは碌なもんじゃないのでラジオを聞いてみる。
「深夜放送」の味わいだけは変わらないなあと思う。
退屈な夜更け。
昔、若い頃、藤圭子という人が好きじゃなかった。
不細工で歌の下手な人だと思ってた。
今見直すと、びっくりする程綺麗な人だし、何よりその歌唱力は凄いと思う。
昔、若い頃、岡本太郎氏の絵画や彫刻が理解できなかった。
幼稚園児並みの作品のどこが芸術なんだと思ってた。
今見直すと、その迫力と大胆で雄大な構想に片端から圧倒される。
うっかりしてた。
来週までなんだ。
でも、明日から暫く出かけるから、いけないなあ。
東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「猪熊弦一郎展 猫たち」
猪熊弦一郎さんの猫の絵なんて、昔の僕なら首をかしげてたろうなあ。
こういう、一見ラフな絵、いいなあ。

趣味や嗜好って年とともに変わるもんだ。
(松田聖子は相変わらず嫌いだが)
年をとるのもいいもんだ。
今日もちょっといい気分でいよう。
Youtubeの僕のチャンネルを通じて、「どういう英語の勉強の仕方をしたら翻訳がうまくなれますか?」という質問をもらった。
英語の歌詞をいくつか日本語に訳しているからと言って、こんなこと僕に聞かれてもなあ、という戸惑いがあったけど、ただ一つだけ、こういう質問をしているうちは、この人、絶対に翻訳力は向上しないだろうなと思う。
英語力のなさには自信を持っているけど、そして、自分の訳詞能力については60-70点くらいかなと思っているけど、それでも良い翻訳をするために必要な能力くらいは分かっている。
You've got your family, and they need you there
例えばこの一節を「貴方は家族を持っている。そして彼らはあそこで貴方を必要としている」と訳すくらいは、中学校をまともに出ていれば誰でもできることだと思うけど、これをこの半分の長さの日本語にするという条件をつけたとき、どれだけ自然な日本語にできるか?
翻訳力っていうのはそういうことだと思う。
これは清水俊二氏の著書に書いてあったことだ。
翻訳に必要なのは英語力じゃなくて日本語力なんだよね。
月に1冊の本も読まないで、翻訳能力を向上させようなんて思う方が間違っている。
・・・けど、そんな返事は理解されにくいから、冒頭のような質問は全て無視している。
さて、今日はまた、CT撮影の日。東京はとてもよい天気。
今日もちょっと良い気分になって、お出かけしよう。