ペットと屠殺と死刑制度 | ☆ 今日もちょっといい気分 ☆

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屠殺・・・ATOK最新版でも変換ができなかった。

なぜ?屠殺なんて野蛮な言葉、日本語の語彙から抹消したいのか?

屠殺という行為はあっても、その言葉は消したいのか?

なんだか、すごく・・・変な気分。

 

まあ、それはさておき、僕は猫が好きだ。犬も好きだ。

豚も好きだし、山羊も好きだ。

牛はそれほど好きでもないけど、多分、飼えば情が移って好きになる可能性は高い。

 

以前にも書いたけど、僕が猫を食べたらきっと多くの人に眉をひそめられると思う。

犬や猫の殺処分を防ごうという運動は盛んだ。

でも、牛や豚の屠殺を止めようという運動はきいた事がない。

なぜ?

 

人が(というより、すべからく生き物は、という方が正確だろうけど)

生きるには、植物を含めて他の生物の命を奪う事は『ある程度』仕方がない

という意見には、まあ、賛同する。

 

でも、だからといって、豚は良くて猫はダメというのはやっぱり納得できない。

(犬や猫はまずいのか?それなら分かるけど)

 

あと、食べる必要もないのに動物を虐待する人間に対しては

殺人罪を適用しても良いんじゃないかと思う。

殺『人』罪という言葉が適さないのであればう『生命毀損罪』でもいい。

 

人を殺せば殺人で、動物を殺せば器物破損というのは納得がいかない。

 

むしろ、そういった問題は全て、この星の上に人間がいるから起きているのであって

人類が絶滅してしまえば、自然の摂理がちょうど良い淘汰と均衡を実現してくれるのではないか。

(人間がいなくなれば、犬の大半は絶滅するかもしれないが、それも自然の摂理だろう)

 

人間って、そんなに偉い生き物なのか?

この頃、熟々そう思う。

 

ついでに言うと、僕はずっと死刑制度反対論者なんだが、それは

安っぽい人権主義とか似非ヒューマニズムに基づくものではない。

 

死刑制度があまりのも不公平だと思うからだ。

 

サリン事件を起こした碌でなしの首謀者を死刑?

楽すぎるだろう?

体内にGPSを埋め込んで、基本的人権と日本国の保護を一切剥奪して

両手首から先を切断した上で町中に放免すべきだと思う。

 

それが人道的でないというなら、

一ヶ月に一度、体のどこかを切除していく刑が適当ではないかと思う。

1月に腎臓を摘出。希望者がいれば移植に供する。

2月に右目の角膜を摘出。希望者がいれば移植に供与。

3月に左足首から先を切断。

4月に・・・。

 

こうすれば「死にたいと思ったから」などという、ふざけた犯罪者もなくなると思う。

とにかく死刑は絶対止めるべきだ。

 

そして人間と猫の命に重さの違いはない事をもっとしるべきだ。