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☆ 今日もちょっといい気分 ☆

《いい気分》という名の
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炊飯器が壊れた・・・んだと思う。

 

20年くらい使っている炊飯器で炊いたご飯が、この頃とてもまずい。

動作はちゃんと機能するのだが、どこかがダメになっているんだろう・・・と思う。

 

で、買い換えようと調べてみた。

 

夫婦でああでもないこうでもないとカンカンガクガク、ケンケンゴウゴウ検討して・・・買い換えは中断した。

 

1万円~20万円の商品の中から、どうやってコスパの良い炊飯器を選ぶ?

お金が余って、税金対策に悩んでいる人なら話は簡単だろうけど。

 

中断して、雪平で炊いてみた。

昔、ある敬愛する主婦が、これでおいしいご飯を炊いていたから。

でも、我が家ではベストのご飯とならなかった。

 

次に圧力鍋で炊いてみた。

これも、ベストなご飯とは言えないでき。

 

最後に水加減、炊飯時間など色々試行錯誤しながら無水鍋で炊いてみた。

何とか妥協できるご飯が炊けた。

やれやれ・・・

 

で、結局、電気炊飯器の選定作業に疲れて、かれこれ2ヶ月、無水鍋が続いている。

 

これはこれで、全自動の電気炊飯器に比べて面倒だけど、

なれてくればそんなに悪くない。

 

無水鍋、可愛い!

 

今日もちょっと良い気分!

 

 

 

言わずと知れたトム・ジョーンズの有名な曲。

 

この歌、日本語では

********************************
汽車から降りたら小さな駅で迎えてくれるママとパパ
手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私を迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

昔と同じの我が家の姿庭にそびえる樫の木よ
子供のころにのぼった枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

悲しい夢みて泣いてた私ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら夢が覚めたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれも迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
********************************
と歌われている。

 

安直で軽薄な感傷にどっぷり浸って、女々しくみっともない自慰行為のような「フォークソング」を歌っていたかつての全共闘世代というものを僕は全く信用していないのだが、この歌はその象徴だと思う。

森山良子の歌ったのは、「都会で色々あったけど、傷ついて帰ってきたら両親や彼は優しく迎え入れてくれたの。アタシ感激、ラッキ~」という感じのオメデタイ歌だけど、彼女の歌は餡子のないアンパン以下だと思う。

これ、そんな歌じゃない。

大体「思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」って文句は何?

家の緑のガラス?

そんな勘違いをさせないためにも、ここはきっちりと日本語に訳すべきじゃなかったのか?

 

こんな風に、カッコだけを追い求め、くさいものに蓋ばかりしてきた世代が日本を動かした結果、「時計仕掛けのオレンジ」のような今の社会ができあがった気がする。

 

ふぅ~ やれやれ・・・


 



久しぶりに、We arethe world の動画を見て考えた。

この動画を見て素直に同感し、感動できる時と、「きれい事だよ。勝手にやってろ」と思う時がある。

人によっては、いつも感動する人と、「本当にそう思うんなら、北朝鮮かシリアでこの歌を流してみろ」といつも思っている人も居るだろう。

どちらが良いとか正しいではなくて、なぜそう思ってしまうのか、どんな時にそう感じるのかを考えると面白いし、参考になるかな・・・なんて考えた。

英文などの歌詞の和訳が趣味だから、色んな人の歌詞の和訳文を見ることが多い。

 

で、最近、一つの結論を得た。

意訳なので・・・とか直訳です・・・とか断りを入れてある訳文は、大抵がダメな訳詞であることが多い。

 

意訳です・・・と言うのは英語力のなさの言い訳で

直訳です・・・というのは日本語力不足の言い訳だということ。

 

 

お役所の文書では「断定しない語尾」「言質を取らせない語法」「含みを持たせた主語」「焦点をぼかす多義的な接頭辞・接尾辞の多用」という法則があるんじゃないか、と言った人がいる。

 

霞ヶ関の役人相手でなくても、道交法だとか、車両運送法だとか、労働基準法だとか、日々、仕事で関わることが多い法規・省令・施行規則というものがあり、その文章のわかりにくさには常々うんざりしていたのだが、なるほど、と納得した次第。

 

「僕は君が好きだ!」って言ってはいけないんだね。

 

断定禁止。だから・・・

「僕は君のことが好きかもしれない」

 

で、言質を取らせないために・・・

「僕が君のことを愛している可能性はないとは言い切ることができない」

 

主語に含みを持たせるために、さらに手を加えて・・・

「君のことを愛している可能性がないとは言い切れない人々の一人に僕も含まれるかもしれない」

 

焦点をぼかす接尾辞・接頭辞・・・

「君に対して愛情めいた何らかの感情を抱いていないとは言い切れない集団に僕が含まれるかもしれないという可能性」

 

これで、官僚的文章の完成?

やっぱり、霞ヶ関のお役人て、読解力は半端じゃないね。東大でも出てなきゃ務まらないわけだ。

すご~~~~い!

 

 

何度か引用したけど、改めてここにもう一度引用する。

引用元は森巣博という、在豪の作家兼ギャンブラー。

 

高速道路を走る一台の車に、少年とその父親の二人が乗っていた。

その車は、事故に巻き込まれ、父親の方は大した怪我はなかったが、

少年が頭部に深刻な負傷を追ってしまう。

 

救急車で少年は、その国で最も権威のある脳外科医の居る大学病院に運ばれた。

ところが、運び込まれたその少年を見て、その権威ある脳外科医は取り乱し、こう言った。

 

「なんという事。私の息子ではないですか。こんなことって・・・。私にはとても彼の手術はできない」

 

もし、あなたがこれを読んで頭が一時的にでも混乱したなら、あなたには性的差別意識があると言うことになる。

 

負傷した少年と外科医の関係・・・だよね?

今の父親は、母親の再婚相手?

脳外科の先生は・・・前の父親?

 

まあ、それでもいいんだけど、素直に、その外科医が少年の母親だと思えないのは、無意識に、権威ある脳外科医は男性に決まってる・・・という思い込み(=無意識の性差別)があったんじゃないか?という話です。ちなみに、オーストラリアではこの話で混乱する人はほとんどいないそうです。

 

何が言いたいのかというと、人は自分が抱えている独断や偏見や差別意識にとても気づきにくいものだということ。(だからといってそれを声高に非難するつもりは毛頭ない)

 

なぜこんな例え話を思い出したかというと、この頃のテレビ番組があまりにも下らなさすぎるものになったと思ったから。

昔からあまりテレビを見ない方だったけど、この頃余計に見なくなった。

 

「パンがなければケーキを食べれば?」という、有名な台詞があるが

(実際にこんなことをマリー・アントワネットがいったのかどうかは知らないけど)

この頃テレビを見ててこの手の無意識な(あるいは無知による)偏見・差別意識による発言が目立つようになってきたから。

 

糖尿病なんて自己責任という発言をした議員とか、(敢えてこういう言い方をするが)たかがお笑い芸人のくせに何でそんな上から目線で社会問題をぶった切ってるんだ?とか・・・。

 

あと、こんな広告を見た・・・・・

 

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19,800円 (税抜)
在庫あり。
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※入力言語の切り替えはできません

 

いよいよ、携帯翻訳機が実用化される時代になったのかと驚くと同時に、こんな突っ込みを入れたくなる。

 

「日本語から英語、中国語、韓国語に翻訳」ってことは、北朝鮮の言葉は翻訳できないんだね?と。

 

これって、ある意味、差別の表れじゃないのか?韓国語って何?かつて、西ドイツ語なんて訊いたことがないけど。北ベトナム語とかね。どうして素直に「朝鮮語」といえない?なんか、変だ。

 

でも、こういう盲点って仕方ないのかもね。

 

 

 

 

 

↑ この人の名はイザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini, 本名: Isabella Fiorella Elettra Giovanna Rossellini, 1952年6月18日 - )という。右から若い順に写真を並べてみた。

 

知っている人は知っていると思うけど、多分、アンジェリーナ・ジョリーよりは有名でないかも。

イタリア・ローマ出身の女優。父親は映画監督のロベルト・ロッセリーニ、母親はスウェーデン出身の女優イングリッド・バーグマン、娘はモデルのエレットラ・ロッセリーニ・ヴィーデマン。

 

この人が制作した「グリーン・ポルノ」という舞台が素敵で、興味を持ったんだけど、ざっくり調べてみただけでも、いろんな事を思わせる人物である。

 

「グリーン・ポルノ」はポルノではない。様々な動物の交尾を・・・描写?解説?カリカチュアライズ?している舞台(元は短編映画)。凄く笑えてためになる。

 

http://eiga.com/movie/83155/video/

 

で、今、語りたいのはその舞台ではなくて、彼女の人生。価値観。

 

いいなあ、と思う。

 

今の彼女で彼女を初めて知って、「可愛いおばちゃんだなあ」と思っていたら・・・

 

若い頃、VOGUE(だっけ?)のモデルまでやったけど、学業はからきしだったらしい人生。

おバカな若い女性なら、ここで「大丈夫!あたしはこんなに若くて綺麗なんだから、どうにだって世間を渡っていける」と思いがちだろう。

 

https://ameblo.jp/espelho/entry-12293613076.html

 

↑ 去年の7月にも「若さと美貌は急速に劣化する資産」ということを書いたけど、それをわかっていなさそうなキャラクターが世間には多すぎる。(藤田●コルなんてテレビに映った瞬間にチャンネルを変えてしまうので、いつも妻に苦笑される)

 

短期で劣化するとはいえ、資産なんだから、それが有効なうちに有意義に利用することはとても賢明なことだけど、それはその資産が短期で劣化した後に生きていくための、新たな資産を形成する事を考慮した使い方であることが望ましい。

 

この頃なぜそんなことを考えてしまうかというと、僕にも(美貌はなかった・・・というか、男の場合、美貌を資産として活用できるケースはまれだよね)若さという資産をかつては持っていたのに、それを無駄遣いしてしまったから。

 

あと、年取ってからいい顔でいる事って、とても重要だなあと思ったり。

どんなj美女だって(まあ、吉永小百合さんは別格だけど)還暦を過ぎれば美貌という点では十把一絡げで、人相の良さ、可愛さ、威厳の方が遙かに大切になる。ましてや男なら、そうならなきゃただの蝶になれずに木枯らしの中で干からびるミノ虫以下だものなあ。

 

彼女のいろんな時代の写真をみながら、そんなことを考えた。

 

僕も、頑張ろう。

 

 

クリント・イーストウッドの映画が好きだ。

タイトルを思い出せないけど、古いビンテージカーを大事にしまっている頑固爺の映画とか、結構刺さるものがあったなあ。その彼が、新しい映画を作ったらしい。

 

『15時17分、パリ行き』という映画だそうだ。公式サイトからの引用では、

 

2015年に起きたパリ行きの特急列車内で554人の乗客全員をターゲットにした無差別テロ襲撃事件。極限の恐怖と緊張感の中、武装した犯人に立ち向かったのは、ヨーロッパを旅行中だった3人の心優しき若者たちだった。

 

というようなお話らしい。

 

http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/

ところが、この映画の主人公3人組は、本当の当事者が演じているらしい。

え?!

って思うようなあ。

しかもこれ、単なるスリラー映画にはなっていないとのこと。

 

久々に映画館に映画、見に行こうかな。

 

年取ったせいか、映画館に行く回数、とっても減ったものなあ。

 

クリント・イーストウッド 87歳。凄いじいさんだ!!

 

今日もちょっといい気分。

 

 

PET-CT検査の結果、主治医の先生の判断は、「微妙」。

 

完治したとは言えないが、経過観察でもいいかもしれないとのこと。

ただし、これで抗がん剤投与をやめたら、再発する可能性が少なくない気がするとのこと。

(過去、似たような事例の大腸がんと肺がんの患者さんで2/3が再発したらしい)

 

膵臓がんで30回以上、フォルフィリノックスを投与している患者は初めてだとのことで、正直、前例がないからこの先は手さぐりでやっていくしかない、といわれた。

 

結局、協議の結果、回数を半分にして、今後は月一で投与することにする。

 

月一とは言え、投与の三日間は絶食に近い苦痛を味あわなければならないので、あまりうれしくはないけれど・・・まあ、これだけまずまず健康を維持できていることに感謝しつつやっていくしかないのだろう。

 

半年で、この治療法が効果なしと判定される人も居ることを思えば、(主治医の言葉を借りれば)「超ラッキー」なんだろから。