事件番号 平成21(受)1298
事件名 執行文付与請求事件
裁判年月日 平成22年06月29日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別 判決
結果 棄却
判例集等巻・号・頁

原審裁判所名 東京高等裁判所
原審事件番号 平成20(ネ)6070
原審裁判年月日 平成21年04月15日

判示事項
裁判要旨 権利能力のない社団を債務者とする金銭債権を表示した債務名義を有する債権者は,当該社団の構成員全員の総有に属し第三者を登記名義人とする不動産に対して強制執行をしようとする場合,上記不動産が当該社団の構成員全員の総有に属することを確認する旨の確定判決等を添付して当該社団を債務者とする強制執行の申立てをすべきであり,上記登記名義人を債務者として執行文の付与を求めることはできない
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=80363&hanreiKbn=01


判決文

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100629154926.pdf


権利能力のない社団を債務者とする金銭債権を表示した債務名義を有する債権者が,構成員の総有不動産に対して強制執行をしようとする場合において,上記不動産につき,当該社団のために第三者がその登記名義人とされているときは,上記債権者は,強制執行の申立書に,当該社団を債務者とする執行文の付された上記債務名義の正本のほか,上記不動産が当該社団の構成員全員の総有に属することを確認する旨の上記債権者と当該社団及び上記登記名義人との間の確定判決その他これに準ずる文書を添付して,当該社団を債務者とする強制執行の申立てをすべきものと解するのが相当であって,法23条3項の規定を拡張解釈して,上記債務名義につき,上記登記名義人を債務者として上記不動産を執行対象財産とする法27条2項の執行文の付与を求めることはできないというべきである。その理由は,次のとおりである。
 権利能力のない社団の構成員の総有不動産については,当該社団が登記名義人となることはできないから(最高裁昭和45年(オ)第232号同47年6月2日第二小法廷判決・民集26巻5号957頁参照),権利能力のない社団を債務者とする金銭債権を表示した債務名義を有する債権者が,構成員の総有不動産に対して強制執行をしようとする場合,債務名義上の債務者と強制執行の対象とする上記不動産の登記名義人とが一致することはない。そうであるにもかかわらず,債務名義上の債務者の所有財産につき,当該債務者をその登記名義人とすることができる通常の不動産に対する強制執行と全く同様の執行手続を執るべきものと解したならば,上記債権者が権利能力のない社団に対して有する権利の実現を法が拒否するに等しく,かかる解釈を採ることは相当でない。上記の場合において,構成員の総有不動産につき,当該社団のために第三者がその登記名義人とされているときは,登記記録の表題部に債務名義上の債務者以外の者が所有者として記録されている不動産に対する強制執行をする場合に準じて,上記債権者は,上記不動産が当該社団の構成員全員の総有に属することを確認する旨の上記債権者と当該社団及び上記登記名義人との間の確定判決その他これに準ずる文書を添付して,当該社団を債務者とする強制執行の申立てをすることができると解するのが相当である(民事執行規則23条1号参照)」
※アンダーライン、強調はESP。


要は、一定の手続上の条件はついているものの、権利能力なき社団を債務者とすれば足りる、との判断を示したものと言えます。


なお、田原裁判官の補足意見も注目です。


くぼ先生の嘆き。


どうしたらいいんだろう…(Dai-Kubo Diary)

http://daikubo.tea-nifty.com/daikubo_diary/2010/06/post-e4b8.html


引用。


「4限の1年生ゼミも何とか終わらせた後、出版社の方がご来訪。いろいろ話しているなかで、最近の学生はなんで教科書を買わないんだろう、という話題になって、いろいろ話していたなかで、結局「社会全体を含めて、学問があまり重視されていないからではないか」という結論になって、結論を出した自分でちょっとショックを。そりゃ、平日に平気で企業説明会を入れ、平日に平気で入社面接を入れ、平日に平気で入社前研修を入れるような会社がほとんどで、大学における学問なんてこれっぽちの価値もないように考えられていると思わざるを得ないし、そういうときに「20年後に効果がある」といわれたって、目の前にある飯の種の方が学生にとってはよほど大事に違いないでしょうから、どうしたって「いかに有利に就活をするか」を最優先に考えざるを得ないんでしょうけど、それが生み出す日本の将来って壊滅的なんじゃないかと悲観してしまうわけです。でも、どこをどう手直ししたらいいのか、全然分かりません」

以下、私のコメントです。


就職活動が厳しくなくとも、大学できちんと勉強した人が、就職、進学、資格試験で有利になるインセンティブがないと、なかなか学生としては勉強しないでしょうし、教科書も売れないと思います。大学の大教室で私語をやめない学生も、就職説明会や資格試験の予備校では静かに話を聞いているわけです。大学授業をないがしろにするが、しかし、就職説明会や資格試験の勉強は熱心に挑むのは、インセンティブの違いなわけです。今、大学生の人に、「大学できちんと勉強すれば、将来は大丈夫なんでしょうか」と聞かれたら、どの道に進むにせよ、「イエス」とは言えません。高校時代からそうなのかもしれませんが、正課教育をこなすだけでは、将来の展望が開けないという現実が、私たちの国に(も)存在するように思います。正課教育を真面目にこなしたからと言って、大学の先生がその学生の将来を面倒見てくれるわけではありません。


法律を例にとれば、法学部では基本7科目(新司法試験の必修科目に対応)は全て開講され、一通りの内容は扱われているわけですが、その授業をきちんと聞けば、法律を使えるようになるか、と問われれば、それはイエスとは言えないでしょう。


このご時世に、全ての大学生の方に、大学で真面目に勉強せよ、というのはなかなか酷なものです。しかし、1つの問題を通じて、物事を調べ、考え抜いて、そして調べ上げ、人と議論し、最後に文章等でまとめあげる、という作業は学生時代にやった方がいいように思います。そこで得た知識は、制度や時代の変化によって以後使えなくなる可能性はありますが、そのプロセスで得たノウハウは、将来も生きると思います。大学でそれができるのは、ゼミナール科目でしょうか。大学生の方には、せめてゼミは大切にして欲しいと思います。

再掲。


平成23年新司法試験の実施日程等に関する意見募集の実施について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=300020007&Mode=0
 
意見公募要領
http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000065315
 
(別添)平成23年新司法試験の実施日程イメージ
http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000065316

 

原案では、
 
1.論文式試験の民事系科目の問題数を現行の2 問(100点配点の問題1問と200点配点の問題1問)から3問(いずれも100点配点)に変更すること
2.論文式試験必須科目の試験時間を2時間毎(問題毎)に分割すること
 
とされています。

 

このパブリックコメントに対しては、事実上、これまでも分離問題だったのだから大きな影響はない、という意見もあります。それはその通りですが、それでもいくつかの影響が出ると思いますし、また、受験生の受験戦略も修正が迫られる可能性があります。


大大問廃止の影響ですが、こちらは受験生にとって、メリットの方が大きいように思われます。何より、対策がしやすくなるように思います。大大問対策向けの練習問題はこれまで少なかったわけですし。他方で、大大問などの融合形式では、出しにくかった問題も、これからは出題される可能性はあり、出題範囲は事実上広がるのかもしれません。


次に、原案通り、分離された時間割で試験が実施された場合について考えてみます。こちらはいくつか留意すべき点があるように思われます。


まず、受験生が留意しなければならないと考えられるのは、時間の使い方です。これまでは2問4時間でしたので、4時間の使い方は、受験生に委ねられていたわけです。出題者としては1問2時間を理想としていたと思うのですが、これまでの受験生の少なくない人たちは、1問目に3時間ぐらいかけてしまうということもあり得たわけです。しかし、この方法はもはや使えなくなります。

 

もっと言えば、得意な科目をいっぱい書いて点数を獲得する、という手段も使えなくなります。例えば、憲法、行政法で、憲法は苦手で、行政法で点数を稼ごう、という人は、行政法で3時間一生懸命書いて、憲法は1時間で簡潔に書いて逃げ切る、という手段もあり得たわけですが、これは今後は不可能になります。

 

ちょっと分からないのは、これまで論文の最低点(足切り点)は、系統毎になっていたのですが、これからは問題毎になるのか、それともこれまで通り系統毎になるのか。原案では示されていないので、やはり系統毎の可能性が高いように思われます。

 

パブリックコメントで示された原案を読む際に注意したいのは、分離とは言いながら、試験日程には「公法系第1問」、「民事系第1問」などとあるだけで、旧試験とは異なり、科目(例えば、憲法、民法など)は明示されていないわけです。もしかしたら、今後、旧試験にのように1問目は民法、2問目は商法、と明示される可能性もありますが、やはりこのままの可能性もあります。

 

仮に科目まで明示されないとした場合、2つの点に留意すべきだと思われます。1点目はフタをあけるまで、どの科目か分からない、ということです。したがって、試験前、どの科目を確認すべきか分からない場合もあることです。もちろん、公法・刑事系については1問目が終わった段階で、民事系については2問目が終わった段階で、残りの科目は分かりますが。第2点目は、憲法の問題で、どのような行政訴訟を提起すべきか、会社法の新株の発行で、仮処分を提起すべきかなど、他の科目についての理解もほんのちょっとだけ問うような、「ソフトな融合問題」(ESPによる造語)の可能性が排除されていない、ということです。「憲法なのに行政法も聞くの?」という疑問があるかもしれませんが、「公法系第1問」とあるだけですので、そのような出題は許されるでしょう。したがって、商法の問題だから、民法や民訴の理解は「絶対に」問われない、と決めつけるのは危険かも知れません。現に、第4回の新司法試験民事系第2問の後半部分は会社法が中心でしたが、設問6では民事保全法上の手続も問われています。ただ、刑事系については、これまでの出題傾向を見る限りでは、完全に分離されているように思われますので、今後もこの傾向は変わらないと思います。

 

あとこれは1点これはお願いなのですが、これを機会に、得点開示を問題毎にして欲しいと思います。現在は公法系、民事系、刑事系の系統別ですが、これではどの科目がよかったのか、どの問題が悪かったのか必ずしも明確ではありません。例えば、刑事系で1問目50点、2問目50点の人と、1問目70点、2問目30点の人では、その人が今後改善すべき点は異なると思いますが、現在の得点開示の仕組みでは、どちらの場合も「刑事系100点」としか開示されないわけです。試験問題を分離とするのであればなおさら、わざわざ合算した得点を開示するのではなく、個別の得点を開示することは技術的にも問題はないように思われます。「法曹の質」という言葉が濫発されている昨今ですが、「法曹の質」を上げるには、これから法曹を目指そうとする人が、自己の弱点を認識して、それを見直すことが大切だと思います。そのための1つの方策として、法務省の担当者の方々には、真剣に考えていただければ幸いであります。

書斎の窓 2010年6月号

http://www.yuhikaku.co.jp/shosai/detail/018159


樋口範雄「NHK会長になれたら」同8頁以下


英米法専門の樋口先生のエッセイです。

大変面白かったです。

アメリカという国、アメリカの法に対する考え方、アメリカの法学教育の核心が突かれているように思いました。

外国法の先生の文章はとにかく難しいことが多いのですが、樋口先生の文章は分かりやすく、美しい。


なお、「書斎の窓」は手に入りにくいので、できれば、全てオンラインで読めるようにしていただくと、ありがたいです>有斐閣さま。

瑕疵のある建物(特に欠陥住宅)に居住していた場合、居住した分の利益(いわゆる居住利益)は損害賠償から控除されるのか、という問題です。


この問題について、最高裁の判決が出ました。


事件番号 平成21(受)1742
事件名 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成22年06月17日
法廷名 最高裁判所第一小法廷
裁判種別 判決
結果 棄却
判例集等巻・号・頁

原審裁判所名 名古屋高等裁判所
原審事件番号 平成20(ネ)1063
原審裁判年月日 平成21年06月04日

判示事項
裁判要旨 購入した新築建物に構造耐力上の安全性にかかわる重大な瑕疵があり,倒壊の具体的なおそれがあるなど建物自体が社会経済的価値を有しない場合,買主から工事施工者等に対する建て替え費用相当額の損害賠償請求においてその居住利益を損害額から控除することはできない
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100617140412.pdf

 

判決文より
 

売買の目的物である新築建物に重大な瑕疵がありこれを建て替えざるを得ない場合において,当該瑕疵が構造耐力上の安全性にかかわるものであるため建物が倒壊する具体的なおそれがあるなど,社会通念上,建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるときには,上記建物の買主がこれに居住していたという利益については,当該買主からの工事施工者等に対する建て替え費用相当額の損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできないと解するのが相当である
「(2)また,被上告人らが,社会経済的な価値を有しない本件建物を建て替えることによって,当初から瑕疵のない建物の引渡しを受けていた場合に比べて結果的に耐用年数の伸長した新築建物を取得することになったとしても,これを利益とみることはできず,そのことを理由に損益相殺ないし損益相殺的な調整をすべきものと解することはできない」
※アンダーライン・強調はESP。


判決からは形式的な理由付けは不明です。しかし、宮川裁判官の補足意見に、本判決の実質的な理由付けが伺えます。


「裁判官宮川光治の補足意見は,次のとおりである。
建物の瑕疵は容易に発見できないことが多く,また瑕疵の内容を特定するには時間を要する。賠償を求めても売主等が争って応じない場合も多い。通常は,その間においても,買主は経済的理由等から安全性を欠いた建物であってもやむなく居住し続ける。そのような場合に,居住していることを利益と考え,あるいは売主等からの賠償金により建物を建て替えると耐用年数が伸長した新築建物を取得することになるとして,そのことを利益と考え,損益相殺ないし損益相殺的な調整を行うとすると,賠償が遅れれば遅れるほど賠償額は少なくなることになる。これは,誠意なき売主等を利するという事態を招き,公平ではない。重大な欠陥があり危険を伴う建物に居住することを法的利益と考えること及び建物には交換価値がないのに建て替えれば耐用年数が伸長するなどと考えることは,いずれも相当でないと思われる」

建て替えが必要なほど瑕疵がある場合、その建物に居住したことが利益とは言えないでしょう。したがって、本判決のいう、「建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるとき」は、居住した分を利益として差し引くべきではなく、本判決の立場は支持できるでしょう。


では、「建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきもの」でない場合はどうか。特に安全面での欠陥はないが、契約で定めた通りでなかった場合(主観的瑕疵)の場合が問題になりうかもしれません。この場合については、本判決の射程外だと思われます。本判決も、欠陥住宅一般の場合、いかなる場合も居住利益は差し引かない、とまでは言っていません。


ただ、宮川補足意見で示されている通り、「誠意なき売主等を利する事態」を防ぐという観点からは、瑕疵のある場合一般に居住利益を差し引かない、という考え方もありうるでしょう。


「インタビュー・山本敬三教授に聞く債権法改正の現在」法学セミナー667号18頁以下。


以下、引用。

「山本 (前略)ただ、(債権法改正が-ESP補足)このようにもう少し先ではないかと言いますと、学生の中には『安心しました』という人が少なくないのですね。試験勉強をしている途中で民法が改正されると大変だからということのようです。これは、気持ちは分からないではないですが、やはりよく分かっていないと言わざるをえません。というのは、新しいことを一から学ぶよりも、いったん学んだことを後から修正する方が、はるかに大変だからです。頭のなかの知識が一度確立しますと、どうしもその知識にとらわれてしまいますし、変わった部分と変わらない部分の区別がつきにくくなります。実際、われわれの同業者の間でも、最近の立法の嵐のなかで、『新法がどうしても頭に入らない』、『いつまでたっても細かいところは自信がもてない』という声をよく耳にします。試験勉強で頭のなかが現行法で固まってしまいますと、後で大変な苦労が待っているわけです。

-それでは、いったいどのように勉強すればよいでしょうか。

山本 常に相対的な視点をもつことだと思います。つまり、現行法を絶対視するのではなく、現行法も、他にいくつかありうる可能性の一つであるという目で学ぶことが重要です。そうすることで、頭の中の知識が固定化するのを防いで、別の考え方を受け入れられるように柔軟な構造にしておこうというわけです。

 試験勉強と言いますと、とにかく答案で書く自分の説を決めて、それを徹底的に覚える人をよくみかけます。多くの場合、それは判例や通説で、場合によっては講義などで習った先生の説だったりすることもありますが、いずれにしても、他の見解は見向きもせずに、せいぜい一言でしりぞける叩き台ぐらいしか扱わないところが共通しています。

 しかし、これは、そもそも法律家のものの考え方や仕事の仕方にそぐわない態度だと言わざるを得ません。実際の紛争の場面では、それぞれの当事者の側から、どうすればその当事者の権利や利益が守ることができるのか、考え抜かなければなりません。そのときに、自説と称するものから機械的に考えることは許されません。裁判官も、それぞれの当事者の主張に耳を傾けて、判例がないところはもちろん、判例があるところでも、本当にその判例がこの場面にあてはまるべきものなのかどうか、やはり考え抜くことが求められます。どちらの立場にも立ってものをみる能力が、とりわけ法律家には求められていると言うべきでしょう。

 その意味で、大きな改正があるかもしれない状況は、このような相対的・複眼的な視点をもって法律を学ぶ必要性をあらためて意識させてくれるよいきっかけだと言えるのではないでしょうか」


非常に説得力のあるコメントだと思いました。


ただ、現実問題として・・・


学習者が改正の動向に関心をもつのは大いに結構だと思われるでしょうが、そのときに注意しなければならないのは、知識・情報の整理です。現行法、改正提案をきちっと頭の中で整理しないと、既存のルールを問う短答式試験などで間違えてしまう危険があります。


で、ここからは山本先生のコメントに反してしまうのかもしれないのですが、知識・情報の整理に自信がない人は、最近の議論はとりあえず無視して、既存のルールをしっかり定着させることに力を注いだ方が、対試験突破という観点からは、有効なのかも知れません。将来も大事なのですが、やはり目先のハードル(例えば、試験)を突破することも、やはり大切なことなので。


視野を自分で限定しすぎて自分の可能性、能力のアップを自分から放棄してしまう危険もある一方で、下手に視野を広げすぎて、物事に失敗する、ということもありうるように思います。


難しいところですね。


法務省が以下のパブリックコメントを実施しています。


平成23年新司法試験の実施日程等に関する意見募集の実施について

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=300020007&Mode=0


意見公募要領  

http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000065315


(別添)平成23年新司法試験の実施日程イメージ

http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000065316


原案では、


1.論文式試験の民事系科目の問題数を現行の2 問(100点配点の問題1問と200点配点の問題1問)から3問(いずれも100点配点)に変更すること
2.論文式試験必須科目の試験時間を2時間毎(問題毎)に分割すること

とされています。

要は民事大大問の廃止と、科目別の時間割です。ほぼ、旧試験の論文式の時間割に近くなります。

民事大大問については作問、採点等の事情から廃止論が出ていたようですが、まさかこれほど早く廃止の提案が出されるとは・・・。


まだパブリックコメント段階ですので、この原案が採用されるかは分かりません(要注意です)。しかし、この原案が仮に採用されれば、受験生の受験戦略は一定の修正が必要になりそうです。


なお、イメージだけ見ると、短答式試験が入っていないので、短答式試験が廃止されるのか、と早とちりされるかもしれませんが、そんなことは決してありません。


日本振興銀捜索 偽りだった「中小企業の味方」(6月14日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100614-OYT1T00065.htm?from=nwla


未だ捜査中のため断定はできませんが、読売新聞の社説の内容は、多くの国民が思っていることであり、社説の内容にうなずく人も少なくないと思います。


日本振興銀行は、小泉政権下で設立された銀行です。しかも、社説にも指摘があるように、木村氏は同政権下で金融庁の顧問を努めていました。憶測でものを語ってはいけないのですが、今から見ると、その設立過程から怪しげなものを感じざるを得ません。政権交代した現在、その設立過程から検証する必要があるように思われます。


さて、今回の事件を契機に、木村剛・野村修也「連続対談・ビジネス法務とロースクール教育(4) 「フェア」なフィールド整備なしに日本の再生はない」法学セミナー579号60頁以下を再読しました。


この中で、木村剛氏が65頁以下で、


「最低限の常識や良識が破壊されたところに、健全なフィールドや競争、社会、経済は存在し得ません。真っ当な人が真っ当に評価される社会にしなければ、日本の未来はないと思います」


と述べており、まさにその通りなのですが、今から読むと、むなしさを感じざるを得ません。


日本振興銀行が報道されている通りのルール違反が存在するならば、市場から退場しなければならないでしょう。日本振興銀行が、きちんと法に基づいて制裁を受けなければ、それこそ「日本の未来はない」ように思います。