
今でこそ、「子どもと英語で笑える大人」をたくさん育てたくて「大人に」英語を教えている私ですが、もともとは早期教育の教師。3歳から6歳のお子さんたちと、アメリカで過ごしてきました。
なので、その世代のお子さんたちのこと、やっぱり大好き!
子どもは無垢だとお思いですか?
3歳児にだって、嫉妬もイジワルもあります。
子どもは悪魔だとお思いですか?
3歳児にだって、慈愛も友情もあります。
子どもの世界にも、大人と同様の複雑な感情は存在します。お金と性以外のすべて、といっても良いかもしれません。
教師になって間もなくは、「プロとして」自分の感情を交えず、子どもを「客観的に」叱ることが大切だと思っていました。
でも、自分の感情をすっぱりと切り離して子どもを叱ることは、問題の解決にはあまり適切な方法ではないように思います。
させてはいけないという倫理観。
されたことによる心の不快感。
それをきちんと自分で受け止めながら叱るのでなければ、同じ言葉で諭すように叱っていても「指導出来ている」とはいえないと今は思います。
子どもと過ごす時間が増えるにつれ、むしろ自分の感情をダイナミックに動かしながら、それを理性で客観視するというふうに仕事のスタイルが自然と変わってきました。
感情的になったというのではなく、より精神の流れに沿うようになったという感覚でしょうか。言葉に置き換えるととても「エラそう」に聞こえてしまうかもしれませんね。でも、人と接する機会が少なくない職業の方なら、なんとなくでも理解していただけるのではないかと思います。
大人が本気なら、子どもは必ず受け止めてくれます。
でもそれは、むしろ大人の分別臭さとはまったくの別のもの。
自分の感情の、時にはダークな部分もしっかりと受け止めながら、一方で今まで磨いてきた「理性」を働かせるということ。
「大人の本気」、かくあるべし、と私は思っています。