部活の野球は遊びか否か | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

BGMは珍しくプリプリです。

 

 

 

もも紅茶か何かのCMソングだったんだよなー。

18歳かそれくらいの頃。ドラムでカバーもしたよね懐かしいわー。

 

以前、中2息子Y氏に

「部活の野球は遊び」

と言って、怒られたことがあるw

 

わしの言う「遊び」とY氏の「遊び」は

定義がだいぶと違ってて、それを説明しつつも

 

「そういうこと、他の子の前で言わん方がいいで。気悪くなるから」

「今みんな、本気でベスト●●目指してんねんから!」

 

と食い下がられたw

 

うーん

仕事ではないから、カテ分けするなら遊びに入れるしかないんだけど

遊びだからといって、本気でないとは言ってない。

むしろ遊びこそ本気でやれと思ってる。

それを思えばキミたちの遊びは命がけの遊びだとちゃんと思ってるよ。

 

と言っても聞き入れてくれないw

「遊びをせんとや生まれけむ」という名言を知らんのか?

 

まーそんなY氏たち

中学の夏の大会的なヤツ、ベスト●●どころか、あっさり1回戦で負けてしまいました^^;

 

とはいえ、ぶち当たったチームが、去年のベスト●●か準優勝か、みたいな強豪で・・・

そんな強豪相手と分からんくらい、力量はさして遜色なかったんです。どっちが勝ってもおかしくないような試合で、最近の阪神よりよっぽど面白かったですw

 

本人たちも「すごく楽しい試合だった」と言ってたので

ベストなんちゃらに残れなくても、充実の結果で良かったです。

でもスポーツはやっぱり勝ち負けではあるからね、今後ますます本気の遊びに精出してもらえればと。

 

3年生はもちろん、2年生でも泣いてるメンバー続出でしたが

こーゆー場面で泣いたこと皆無なY氏は、案の定平常心ぽかったです。

それでも表情は多少憂いを帯びていたかな?

次は勝って泣けると良いね。

 

という、この試合結果はもはや、2週間くらい前の話ではあるんですが

これを書こう!と思うまでの瞬発力が本当に乏しい俺(;´Д`)

書く前に、無駄に過去のブログ読みふけってましたw 特にテーマ「息子のこと」なヤツを。

 

いやー、自分で言うのもなんですが、割と面白い子育てしてきてるんですね俺w

こんなにも口を出さず手をかけないことに腐心してる子育てブログ、俺は目にしたことがありませんw

 

毎日一緒に過ごしてるから気付きにくいけど

Y氏への言動、そしてY氏のわしへの言動とか

こんなにも緻密に変化してってるんだな!というのが振り返れました。

 

今はそれなり中2思春期で、大したコミュニケーションも取ってませんが

去年の中1時期は、今よりもっと険悪だったみたいですw

えーアレに比べたら今、ずいぶん平和になってんじゃん!と再確認。

 

Y氏が1年かけて中学生活に慣れた、ってのもあるんでしょうね。

加えて夏休み突入で開放感が著しい。何だか俺に対しても口数が多くなっているw

 

ところでこうして自分の子育てを振り返ってみると

まとまった仕事をさしてしてないのもあって

俺は世間で言うところの良い母親ではちっともないが、「Y氏とともにあり続ける、そして関わり続ける」という部分に関しては

それなり自分の中のボリュームを割いて対応しておるのだな、というのが見えた。

 

それにともないモヤッとしてる案件がある。

コレはY氏のことではなく、他のご家庭のことである。

わしは週1でそこのご家庭に関わって、秋頃で1年になろうとしている。

 

なかなかにヘビーな環境であるそのご家庭は

ヘビーながらも、親御さんができうるかぎりの努力をして、何とか回ってる状態。

ゆえにお子に関しての「安全」は確保できている。しかし「安心」が相対的に足りなすぎる感じのままではある。

 

「安全」の定義は簡単だが、「安心」は難しいのだ。

特にうっかりすると、自分の価値観だけを基準に考えてしまいがちになる。

そして、あえて俺の価値観やY氏にしてきた子育てだけを基準に考えると

そこのお子が今、毎日経験していることは

「今の年齢でする必要はなく、逆に今の年齢で経験しておくべきコンテンツが圧倒的に不足」

という烙印を押さざるをえない。

 

その子の年齢だと、今は家庭内の子育てにとどめるのみならず

地域やご近所、子の交友関係に沿って、範囲を徐々に広げていくべき時期にある。

 

例えば、友達同士誘い合って、放課後に近所で遊ぶこと。

気になる習い事を始めてみること。

自転車に乗って近くを散策すること。

日々の学校での様子を丁寧にヒアリングすること。などなど。

 

しかし状況がそれを許さず、目先の「安全」を確保するために、親子はどうしても閉鎖的な空間を選ばざるをえない。

 

そして、その閉鎖度合いはどうしてだろう

こういう場合、当事者が困れば困るほど、なぜだかエスカレートしやすい。

 

これは極端な例えだが

ゴミ屋敷の住人は、周囲にしたら謎かもしれないが、あれでいいと思ってるのだ。

あそこまでの環境になる前に、当然ご近所は気に掛けてるし、声も掛けてるし、行政だってアプローチしてるだろう。

でもそのすべてが噛み合わなかった結果がアレなのだ。

 

支援を拒み、交友関係を拒み、「自分はコレで大丈夫です」と

たとえ不健全な環境と、多少なりとて自分で分かっていても

自分の力だけで生きていくことを選ぼうとする。

 

しかしその気持ちも良く分かる。

 

掛けられる声や支援アプローチの中には

当事者を責める感じのものもあるだろう。

少しでもそういう匂いが感じられたら、ただでさえそれまで頑張って来てるその人は

責められながら健全になるよりも、責められず不健全に生きることを選ぶのだ。

それがその人にとっての「安心」だから。

 

俺はそーゆー、「行政が強制介入するレベルじゃないけど、疲れ切ったままの親御さんが様々な支援を拒む中、お子はお子で不適切な環境を余儀なくされつつ、親子で頑張ってる」

みたいな状況に、週1関わり続けて1年になろうとしている。

1年になろうとしてる中、状況は前より悪くなってると思える。

ゆえに俺もモヤリが大きくなっている。

 

なぜかそこは、お子の希望もあって、俺だけは切らないでいてくれる。

それは俺が、押し付け決め付けジャッジをしないから、というのも多大なのだろうけど

何かをジャッジできるほどの専門知識が俺にないからとも言える。

 

俺側の勝手な価値観で「もっとこんな風に、あんな風に」という

その親子への、希望や要望がないわけじゃないのだ。

しかしそれは、親御さんが頑張ってる現状を、少なからず否定する行為にもなりかねない。

否定を避けようと、丁寧な対話を試みようとしても、そんな時間もないほどの、ギリギリな頑張りのご家庭でもある。

 

最前線で関わり続けてる俺は、ただのしがないニートで

そんなニートがモヤったところでしょうがないが、でもモヤらずにはいられない。状況が悪化はしてるから。

 

こういうとき、過去の友人の発言を思い出す。

彼女は専門機関で、そういう苦しい状況の人たちと長年関わってきてる専門家だ。

 

「いっそ、ちょろっと事件化してくれたら、チャチャッと介入できるんだけどねー!」

 

爽やかに笑いながらの発言に、当時はギョッとしたが

今思えば現場を知る人間の、非常に合理的な意見と言えるw

そのくらい介入は難しいのだ。

 

俺も何度となく、上にこの話を上げての、今である。

上の人事が変わったから、今度こそもしかしてと思ったが、案の定という結果が先日出たところだ。

 

そういうわけで、Y氏の育児記録を振り返りつつ

そうやって、他のお子のことも考えてしまうのだ。

 

Y氏が何の気なしに享受できてたあれこれを、得るのがこんなに難しい子がいる。

しかしそれってあなたの感想ですよね?みたいな堂々めぐりwww

 

上の人とか、支援の人とか

現場を見てないのだ。

現場を見てるのが、末端のニートな俺だけっていうプレッシャーwww

 

しっかしホント男子めんどくせぇな!!!!!!

(お子の男子はめんどくさくない。親の男子)

(大人の男子は大体めんどくさい。旦那含む)

 

Y氏の話をしてても他の子に行くし

他の子の話をしててもY氏に帰結する。

子育てがもたらしたものは、良くも悪くも質量がでかい。