孤独死に噛み付く | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

能登の仮設住宅で、孤独死した方がいらっしゃったというニュースを目にし

「は?」

と思っていた。

 

以前から「孤独死」という言葉に対する、ステレオタイプなイメージが嫌いなもので

このニュースの取り上げ方にも、そういうものを感じてしまったのかもしれない(妄想度6)。

 

そもそも「孤独死」とは何だ。

 

ウィキで調べてみたものの、意外と定義が曖昧だ。

 

以下転載。

 

明治時代家制度に伴う拡大家族第一次産業から、1945年太平洋戦争終戦後、都市圏にて第二次産業に従事する核家族が増加し、子と離れ離れで暮らす高齢夫婦世帯・配偶者を亡くした高齢単独世帯が増加したことから、この問題が顕在化されてきた[6]

 

想像以上に古い。

 

孤独死とされる現象は、明治時代には新聞報道されることはあった[7]が「孤独死」という表現があったわけではない[3]。孤独死に相当する事件は具体的名称に欠くものの明治時代より報道されている[8]

 

はー。

何だかんだで、この頃はそないに核家族化してないし、珍しい現象だったってことか。

 

「孤独死」問題と社会的政策に関しては、1960年代には既に社会福祉協議会(社協)と民生委員による『孤独死老人ゼロ運動』なるものが存在していた。

 

えっまじ。

 

1970年代に入ると、一般的に「孤独死」という言葉が用いられるようになり、1974年には社協と民生委員による共同運動として推進されてきたが、「寝たきり高齢者問題」や「一人暮らし高齢者問題」というカテゴリが用いられ、「孤独死」という言葉は一旦下火となる[9]

 

なんやかんやで、これまでにもずっとあった話ってこと。

 

1995年以降、阪神・淡路大震災の被災者の孤独死がメディアで取り上げられ、再び注目されるようになった[3]

 

へぇへぇ。

定義も色々で面白いよ。

 

  • 新宿区高齢者保健福祉協議会では2006年に「2週間毎程度に見守る者がいない、独居又は高齢者のみ世帯の高齢者(の死)」と定義している[3]
  • 東京都監察医務院では2010年に「異状死の内、自宅で死亡した一人暮らしの人(の死)」と定義している[3]
  • 日本災害看護学会は2016年に「従来から周囲との交流がなく,地域から(社会的に)孤立をしている状況の中で,誰にも看取られず一人でなくなった場合」と定義している[3]
 
政府的にはこんなんらしい。
 
内閣府の高齢社会白書の平成22年度版[22]では「誰にも看取られることなく息を引き取り、その後、相当期間放置されるような悲惨な孤立死(孤独死)」と表現している。
 
ちなみに、平均寿命より若いとか。
 
一般社団法人日本少額短期保険協会の2022年度調査報告では、賃貸物件居住の独居者が宅内にて死亡した場合の平均年齢は男女ともに約62歳であり[13]、一般平均寿命(2022年度は男性81歳、女性87歳[20] )と比較して大幅に早世している。また、高齢者(65歳)に達する前に死亡する割合も、男女ともに5割以上となっており、現役世代(60歳未満)にあたっては、およそ4割を占める。
 
そろそろお腹いっぱいww
 
俺の中では「単に一人で死んだ事実に、『孤独』なんてセンチメンタルめいた言葉使いをすんなよ」みたいに思ってたんですけど
なんかこう、流れとか定義とか寿命とか見てると
 
「誰かと繋がって居れば防げたかもしれない、一人きりでの死」
 
みたいな感じのような気がしてきた。
 
いやしかしそれもまた寿命なんじゃないの?
と思う俺が居る。
 
誰かと繋がるのは楽しい反面めんどくさい。
得られるのはメリットだけじゃない。デメリットだってある。
そのデメリットを引き受けるよりは一人がいい、と思ってる人にとっては
望ましい死に方と言えるのかもしれんだろう。
その結果、平均寿命より若くして亡くなってても、それはそれで寿命なんじゃねぇかとも思うのだ。
 
だいぶ昔の朝ドラだが、「ほんまもん」てゆーの覚えてるかな。池脇千鶴の出世作。
 
記憶違いがあるかもだが、池脇千鶴の父が和食の料理人で
その父の母(つまり池脇千鶴の祖母)が、自宅で息を引き取ろうとしてる時に
父は、小骨を丁寧に取った魚を祖母に食べさせる。
「あぁ、美味しかった」と、心底満足して死んでいく祖母。みたいな。

 

祖母は、自分の息子と孫に見守られながら(他にも居たかもしれん)

息子お手製の美味しいものを食べて死んでいく。

それが感動的な場面として描かれていたゆえ「理想とされてる死に方はこんな感じなのか」と、良くも悪くも俺の脳裏に残った。

 

ゆーても、まぁないよねw

孤独死じゃない人たちだって、死ぬのは大体病院だろうし、家族ではなく看護師さんに看取られる場合も多いだろう。

 

俺だって今この瞬間、突然死するかもしれん。

しかし、死ぬ瞬間が一人でも、1時間後くらいには中2息子Y氏が、その2時間後くらいには旦那が帰ってくるはずなので

孤独死という呼び方はされないのだろう。

 

でも死んでいく側の俺にしたら

死ぬ瞬間一人であることと

死んだ後も割とな期間一人で、腐り果てて発見されることと

そんなに違いがあるのか?と思う。

 

そして「孤独」という言葉で色々かき回してみるならば

孤独じゃない死なんてどこにあるのだろうと思う。

象は墓場に行くかもしれんが、それ以外の動物、皆大抵ひっそり一人で死んでいくんじゃなかろうか。

 

加えて、孤独の何が悪いんだと。

そう、「孤独」というものに、無駄にまとわりつかせてる、マイナスっぽいイメージが気持ち悪いんだよね俺。

 

ちなみに、あんまり看取られたくない派です。

(派とかあるのかw)

 

なんかこう・・・めんどくさいじゃない。今か今かとその時をお前待ちかねてんのかwみたいな空気の中、何をどう言えばそれっぽくこの場を彩れるのかと考えてそうな家族親族とか、そういういたたまれない飽和状態分かりますかw

もうええて!!さぶいからどっか行ってくれ!!って叫びそうw

 

もし誰かが俺を看取るのであれば

生まれた時と同じように「おめでとう」って言って欲しいかもw

今五十路だけど、平板な人生ですけど、まぁそれなりの永きにわたって生きてきてるわけで

「お疲れ様! 次のステージ逝ってらっしゃい!」みたいな感じで、立食パーチーとかしててくれると嬉しいかもww

 

で、たまに酔っ払いながら、横たわってる俺の方に参加者が絡みに来るのww

で、皆がパリピになってる間にひっそり死んでて、翌朝くらいに誰かが「うわ! もう死んどるわ!」って発見して、「瞬間見逃したな!」つって皆で笑い合う、的なwww

 

みたいなのは無理としてもだな

だから全然一人でいいんだよ。孤独死上等。

せっかく死のうとしてるのに、耳元でわーわー叫ばれたりするのたまらん。

「いや、お前じゃない」みたいな相手に看取られるのも面倒だしw

 

一人でいいし、前から言ってるように、地球の全生命体を見送ってから死にたい。地球でしんがりの生命体な俺。それなら「孤独死」と呼んでいい気がするw

 

それを思うと、姥捨て山というのは、なんて健全なシステムなのだろう。

看取る側・看取られる側のストレスを明らか軽減してると思う。

 

生きることは基本孤独だし、人類皆孤独死よ。

でもそれが悪いことだと俺は思わないのよ。

 

中には、好き好んで孤独になってるんじゃないって人も、居るのかもやけどな

どんなプロセスを経てたとて、いい大人がそういう状態になってるのなら、それはあなたの積み重ねた結果であって、好き好んでそうなってるに過ぎないのだ。

 

人間相手に繋がるよりも

本や音楽と繋がる方が、自分を豊かにしてくれることも、ままあるじゃない?

思えば高校生くらいからそんな価値観を持ってた俺ww

 

でも、俺の心にはあまたの人間が住んでいる。

生きてる人、死んでる人、もう繋がってない人、好きな人、嫌いな人、さまざまだけど

心に誰かが住んでる時点で、俺の内側は孤独ってほどでもない。

そもそも「寂しい」という感情が良く分からないw

 

語れば語るほど、辞書に載ってそうな「孤独」という意味から離れて行ってるけど

嫌いじゃないんだよな、「孤独」も「死」も。

 

そうか、もともと俺の好きな単語を組み合わせて、マイナスイメージな言葉を作られてるのが嫌なんだきっとw