水原さん、紅麹、松ちゃん~かつての前提が覆る | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

昨年からの流れが止まりませんね。

宝塚、ビッグモーター、ダイハツ、日大などなど

それなり一流の団体様たちから、色々なほころびが明らかになりましたが

今年もそういうの、ますます加速するのかなって思います。

 

特に、そないに老舗じゃなくても

ここ5年10年くらいで台頭してきたあれやこれやも

入れ替えの時期なのかなと。

その最たる象徴が水原さんだったのかもしれません。

 

日本の場合だと、捜査に影響があるので、ある程度のことがはっきりするまではノーコメント、で通じそうな気がしますが

アメリカでは沈黙を貫くのはむしろ嫌疑の対象になるようで・・・お国柄の違いですね。

「秘すれば花」「沈黙は金」という格言は、日本だけのガラパゴス現象なのかもしれないw

 

そんな中、オオタニサンの声明は

現時点での非常に誠実な内容だったと思います。

心境について「言葉では表せない」「言葉にするのが難しい」とおっしゃってましたが

こういう時に、それっぽい言葉で自分を彩る人を、わしは信用できませんので

彼のそうしたスタンスは非常に好感が持てました。

 

複雑な思いを、無理に言葉にしなくていいんです。

いい表現が思い付かないなら「言葉にできない」という心境を語ればいい。

政治家が使う「慚愧の念に堪えない」とか「筆舌に尽くしがたい」とか、どんだけ軽いかw

 

オオタニサンの言う経緯は、「送金をどのような手段で行ったのか」の部分については不透明ですが

 

友人の借金→自分の借金→オオタニサンが肩代わりしてくれた→実は盗んだ

 

という嘘の変遷は、ギャンブラーあるあるなのかなと思えました。

保身のためにまず「友人の借金」と言い

「オオタニサンが肩代わりしてくれた」と表明することで、崖っぷちの保身をはかり

あわよくば、その嘘をオオタニサンが本当にしてくれるのではという期待も、ないことなかったんじゃないかと思います。

 

なんつーか、知り合いでも何でも無いんですが

オオタニサンはこういう時、やっぱり簡単に肩代わりなんかしない人なんじゃないかなと。

 

良くも悪くも情が薄いと思うんですよ。

チームメンバーと食事も行かないわけでしょw

情への厚さに割くエネルギーは、すべて自分へのストイックさに使いたい。

そういう人が、借金を肩代わりして許して、これまで通りの関係を築けるわけがないと思います(妄想度3)。

 

情というのは厄介で

日本人の場合は、たぶん特に厄介で

ベタベタと、梅雨時の湿気のように、納豆のフタにまとわりつく糸のように

俺らの周りを覆ってる。

油断したらそれに取り込まれて、罪悪感を刺激されるw

 

だから、表現として適してるかどうか知らんけど

オオタニサンの情の薄さは、俺は好きです。

情は、互いの足を引っ張り合う、共依存のスイッチにもなり得るから。

 

んでんで、紅麹。

 

今回初めて聞いたんだけど、紅麹って単語w

2021年くらいから商品化されてたの?

 

初めて聞くくらいだから、俺は利用したことないのかなぁ。

それとも知らずと日常に溢れてる、ポピュラーなものなのかなぁ。

 

特にサプリなんて、健康になりたくて飲んでるはずなのに

それが原因で体いわすってどういうことw

いや笑い事じゃないですよ、因果関係が疑われる死亡者も出てるみたいですしね。

 

俺はコレステロール値とか善玉菌とか血液サラサラとか塩分控えめとかカロリーオフとか

そういうことをうたってる全ての商品が好きじゃありませんw

だから、サプリを摂取するどころか、例えばマヨネーズだって毎回普通のヤツを選びます。カロリーオフとかないないw

 

なんでそうするか?

カロリーや塩分をオフしながら一定の味を保つために

きっとそれなりのひずみが生まれてるわけでしょう。

そういう謎のひずみを受け入れるよりも、明確にカロリーや塩分を受け入れてる方が、気分いいのですw

 

善玉とか悪玉とかコレステロールもそうです。

なんでそうやって、勧善懲悪をアピールするw

 

体の中で起こっていることに、不要なことなどないと思うのです。

何なら体は、俺本体より賢いと思ってる。

いや体も俺本体だけどw 俺の知識なんかよりも、ずっと俺を支え助けてくれてるのは、昼夜休まずメンテをしてくれてる体の方だと思う。

 

そういう、体の持つ力を信じたいのだよ。

誰かがそれっぽくアピールする、健康的な何やらよりも。

外側から積極的に、サプリや機能食品などで補わなくても

俺の体はできる子やから、ええ塩梅で頑張ってくれてるよ。

 

体調悪いときは寝たらええねんw そういうスタンス。

 

で、松ちゃん・・・松ちゃんはもうええかな・・・ww

 

「お笑いをやりたい」って、勝手に活動休止しといて何を言ってるんだこの人は・・・と^^;

これをネタに、ナンボでも自虐で笑かせるチャンスは、多々あったはずだぞ?

変にカッコつけてそのチャンスを自ら握りつぶしといて、何を悲劇のヒーローみたいになってるのだろう・・・

 

悲劇のヒーローな時点ですでにお笑いじゃないです。喜劇のヒーローでないと。

 

ま、俺が一番何様なんだ的な感じで、色々羅列してますが・・・

 

自分にも感じます。特に人間関係で。

ここ5年10年で培ってきたものが、そろそろ入れ替わるな~と。

 

以前の自分の感覚なら受け入れられたものが無理になってたり

あえて目をつぶってたことのしわ寄せが、それなり溜まってきたり

そういうことが増えてます。

 

そういえば何度も兆しはあったじゃん

そのサインをあえて見ないフリしてたのも自分で

「これは何かの間違いで、きっと次は良くなる」とか

そんな風に、自分の直感に多少の蓋をして

自分以外のものに自分の判断を委ねようとしてたんだ。

 

どんなに自分が狭く小さく思えても

無理なものは無理なんだから仕方ない。

 

小さな、小さな、針の穴のようなものじゃないか

人と人とが、何かを分かち合えるのって。

たくさんの針穴をハシゴしながら

何となく誤魔化したり、そこに救いを見たりしながら

ヨタヨタ生きてるんだ。

 

だから俺、家族も恋人も友達も、ホント難しいなって思うw

 

どれだけの「無理」を乗り越えてでも、この人と共に過ごしたい?

って自分に問うと

まー片手にしか収まらないんじゃないの、この50年の人生でw

 

少し心を許すと

これが永遠のような気がする。

それがそもそも勘違いで、勝手に期待された方もたまったもんじゃないよねw

 

だからさよなら。

水原さんも、紅麹も、松ちゃんも。

そして俺が勝手に期待をかけた全ての物事も。