人生壮年期 | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

そろそろお誕生日を控えてる俺なのですが

・・・いくつになるのかまた忘れたよww

 

たぶん51?

52ではなかったと思うw

 

えーと、「壮年期」の意味も良く分かってないがw

ググってみたが、諸説ありすぎて、幅も違いすぎて、定義があやふやw

 

俺が思うにね

良くも悪くも、色んなことをあきらめたり、区切りを付けたり、というのが

五十代のあるあるのような気がするんだが、そうでもないのかな?

 

えーと、ひとつ例を言うなら

俺今、バブのファミサポ行ってるんですけどね

そこのお母さんが、三十代前半って、こないだ発覚しまして。

 

えーーーーーっっとーーーーーーー・・・

 

もしや、このお母さんがわしの子でもおかしくないような計算wwww

そしてそのバブは孫ポジションwww

 

通りで、可愛いばっかりだと思ったわよwww

 

中1息子Y氏をひり出したのが

そういやもう、干支が一周して久しいわけで。

 

もし今わしが四十代とかなら

次のお子を成す可能性もゼロではないでしょうけど

51とか52とかで、しかもたった一度の我が子の出産も、干支一周分昔だとしたら

なんつーか、妊娠出産と自分の距離感が、ずいぶん遠くに感じましてね。

 

いや、うちのオカンは3人子を成してまして

俺と一番下は、干支一周分離れてはいるんですけど

 

オカンが末っ子をひり出した年齢は

わしがY氏をひり出したのと同じです。

 

どこでどう第一子をひり出すか、によっても

妊娠出産事情は大きく変わってくると思いますよ。

 

やっぱもう、自分の生命力は自分にしか使えねぇな!

というのが、五十路を過ぎると顕著ですw

自分以外にエネルギーを与えながら腹で命を育み

出てきた命を命がけで育てる、という作業が

何光年も向こうに感じます。

 

そういう壮年期。

 

そういや、その末の弟の嫁さんも、アラサーなったばっかとかだなw

あそこの子も俺にしたら孫レベルだよ孫!

三十代前半、まして二十代、さらに十代とかで妊娠出産するすべての人を尊敬する。

 

そんな一方で、五十路だからこその、腹くくってシフトできる物事とかもありんす。

ほら、保育士試験とか保育士試験w

勉強、ちょっと停滞してるけどw

 

これとて、俺がまだ四十代とかなら

自分が元居た職種の方に、激しい執着を見せてると思うんですよね。

でもあっさりあきらめられる。社会ブランク10年以上の壮年期なんて、不良債権でしかないと分かってますから!w

 

まぁそんな感じで

ひとむかし前なら、俺の年代の方って

すでにお子が社会人、良くても大学生とかで

本人に直接労力をかけるという意味での子育てが、終わってる人が大半だった気がします。

 

五十路をとっくに越えて、壮年期のど真ん中で

思春期間近の子と、日々関われるのは

もちろんイラつきもするけど、大層ありがたいことだと思う。

高齢出産ええで! 俺の場合はな!

 

自分のやりたいことを、大体一通りやり尽くしてから出産した。

だから、子育てのあれこれが、いちいち感慨深くはある。脳内惨殺も含めてなw

 

対して、若くして出産された方は、俺の年代に到達すると

自分のためだけに使える時間が、逆に増える。

そんな風に、全体の帳尻は合うものなのだ。

 

若い頃に経験したたっぷりのことが

自分の子育てを支え、助けてくれることもあるし

若い頃に経験した、子育ての多くのことが

子が離れて以降の人生を、支え助けてくれることもある。

 

別に、結婚も妊娠も出産も、なきゃないで

さまざまな積み重ねが、何一つ欠けることなく自分を助けてくれるのは

当たり前の法則なんだろう。

 

積み重ねたモノに、足を引っ張られることもあるあるだがw

 

こうして、五十路だ五十路だと、騒いではいるけど

普段俺は「もう五十だし」みたいなことを、自分の言い訳とか理由にする動作はない。

むしろ、こうやって連呼しないと、自分が壮年であることを忘れて

身の程知らずな行動を取ってしまいがちなのだw

 

特に若い人たちの障壁にはなりたくなさすぎて

その辺気を付けてるつもりなんですけど大丈夫でしょうか(;´Д`)

 

なんか、俺が中学生の子育てしてることが

一番身の程知らずな気がしてきたwww

 

「こーゆーことしないと、ちゃんとした大人になれないよ!」

とか全然言えねぇしなぁwwww

 

子の人生は子の人生で、俺の人生ではないから

何らか後悔することがあっても、それは俺の後悔じゃないから知らん。

 

我が子を含め、そんな子どもたちも、いずれ壮年になるのだが

どうしてだろう、今のあの子たちと、そないに変わらん姿しか思い浮かばんw

 

俺の場合も、きっとそうなんだろうなぁ。