二次避難の難しさ | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

地震から1カ月報道がたくさんありましたが

被災者の方々は「あの日から時が止まってる」的なことを、口を揃えておっしゃる。そりゃそうでしょう。

 

ロケーション的なものもあるんでしょうけど、1カ月後って、こんなにも復旧してなかったか?と思い知らされる気がします。

難民キャンプより過酷と名高い避難所の様子は、今も昔も格段の進歩はなく

水道の復旧も、理由は色々ありますが、なかなかグインと進みませんよね。

結局海外からのあれやこれやの援助は受けてない感じなのかな?

 

復旧に携わる人自身も被災者だったりするので

この寒い過酷な環境で、本当に皆さん頑張ってらっしゃると思う。

寒さはヤバい。かといって真夏の被災は、モノが腐るし熱中症もエグい。

いつも思う。大地震は寒い季節が多い気がするんだが、これがもし真夏だったらどうなってたんだろう。死者はさらに増えてるんじゃないだろうか。クーラーのない避難所に居るだけでも命がけだ。

 

そんな中、今までの災害ではあまり耳にしなかった「二次避難」という単語が流通している。

インフラが整うまでの間、過酷な避難所生活で命を落とさぬよう、安全なホテルや住宅へ移り住んでもらう的試み。

 

被災地から近場はともかく、県外とかになると

移住する人はほとんど居ないようですね。

 

これについて「命を守るのが最優先だから」と、急かすコメントをする人も多いし

俺も実際、少しくらいはそのように思ったりもするのだが

こうしたまっとうな意見を言える自分は、やはり安全圏に居るからだろうと思う。

 

今俺には、ライフラインを圧迫するものもないし

インフラは整ってるし

部屋は暖かく、食べ物には困らず、好きな時にシャワーを浴びて

家族や友達が手の届く場所におり、必要に応じて頼ることができる。

 

要は心身ともに満ち満ちている。

これを「満ち満ちている」と、普段から実感できる人は、俺も含めてあまり居ないだろう。

今の自分の当たり前の生活だからな。

 

しかし、満ちてる項目の、いくつかではなく

ほとんど全部が、いっぺんに崩れ去ってる人の心境ってさ

とにかく心細くてしょうがないと思う。

 

心細いんだよ。

寒いしお腹は減るし家族や友達は死ぬし町の様子は一変するし。

 

だから、「今すぐ敵に襲われて死ぬわけじゃない」ていう、最低限のラインをキープできてたら

自分が少しでも知ってる人、知ってる景色やその名残がある場所へ

とどまりたいと思うんじゃないかな?

 

知ってる顔を見るだけでホッとする。

以前の自分を支えてくれてたかけらにすがりつく。

 

まぁ物理的にはね

倒壊した家の貴重品が盗まれると困るとか

移住したところで生活費はそれなりかかるだろうから、金銭面のやりくりとか

そういう項目も上位にあがるとは思うけど

 

一番は、やっぱり

「少しでも自分のかけらが残ってる場所にとどまって、精神面への負担を軽減したい」

てところじゃないのかなぁ。

 

県外なんてさ、地震の蚊帳の外じゃん。

そこで新たな人間関係を築くことも、まともな精神状態ならできるかもだけどさ

安全圏の人間に、自分が経験してきたことを1から分かってもらうのって、まぁ無理じゃん。

健康な時ならそんな作業もできるけど、落ちてる時って

最初から事情を知ってて辛さを分かってくれそうな人に、ひたすら寄り添ってほしいやん。

 

被災地に、電気や水が不足してたとしても

被災者にとっての精神面の栄養は、やっぱり地球上のどこよりも埋まってる可能性が高いのだ。

少なくとも、同じ経験をした辛い者同士、寄り添い合うことはできるから。

 

これが健全な状態とは思わないけど

せき立てられるように移住を言われても

そんなフットワーク軽くは動けないよね。

日本人は土地に思い入れがあるから余計。

 

俺は今まで、もし自分が被災したら

悪いけど復興とか二の次で、さっさと別の地域に移り住むつもり満々だった。

何の公的資金をもらえなくても、自分の貯金をはたいてでも、真っ先にその場から離れる。

 

と思っていたのだが

それは結局、安全圏の俺が考えてることがらで

五感を震わせる本当の被災状態だったら

こんな風に心細くなりそう、って可能性は今まで思い付かなかった。

 

ただでさえ、腹減ると一撃で機嫌悪くなるのに(;´Д`)

 

小さな子どもとか、守るものがあれば、決断もしやすいけど

守るべきものを失ってしまった場合は、何のために移住して何のために生きればいいのか分からなくなるよね。

 

こういう大人っぽいことに思いを馳せられるようになったのは、年食った証拠かなw

 

ずるくても卑怯でも

どんな絶望からも、どんな世話になった人たちからも

逃げて、逃げて、自分の命を守ることを最優先するつもりだったんだ。

 

違う街とか、県外で住むとか、俺にはアドベンチャーでしかない。

そこはどんな場所? どんな人が居るの? スーパーではどんなものが売ってるの?

 

一人で場所を移り住むのは、俺にとっては何のストレスにもならない。

でも被災下の俺が同じように思えるとは限らない。

 

形あるものは永遠に崩れないわけじゃないし

どんなバージョンであっても、人との別れは必ず来る。

 

その時の自分が、なるべく

絶望に取り憑かれず、泣きながらでも食べたり飲んだりを、自由にできる環境だとありがたいが

食う寝る出すを存分にできないと、弱った心を存分に痛めつけるからな。

 

今は蚊帳の外だけど

地震大国に住んでる限り、誰しも無関係じゃないのだ。

だから、リアルにリアルに妄想して、自分の場合に落とし込んでいく。