ITB 潜入!バンドン工科大学(Bandung②) | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

私は仕事じゃなく遊びで行ってるので、せっかく行くなら観光もしたい!

ワークショップのお店の近くにちょうどあって、家族旅行だったらきっと『えぇ~っ』って言われてしまいそう。

でも潜入シリーズで入ってみたかったインドネシアかしこ大学TOP3に入る

Institut Teknologi Bandung
バンドン工科大学ITB
ほんとはここで写真撮りたかったけど、正門入口はここじゃなくここから入れなかったので、車窓から走り撮り

正面は広い公園のようなっていて、セキュリティもいる正門なんですが、大学名は小さく書いてあるだけ。
雨降ってたので、正面からは撮れず...
もちろん『何学部を目指して入るのか?(入学じゃなくて)』って、聞かれるんですが、
日本人でどんなところか見たいだけーって言っても、すんなり入れてくれます。

なんかねー、入口の感じも風情ある建物同士をつなぐ廊下もリゾートホテルみたい
設立当時からある建物です。

バンドン工科大学は

オランダ植民地政府が第一次世界大戦の勃発により科学技術の人材の需要に備えて、1920 年 7 月 にTechniche Hoogeschool te Bandung (TH) を設立したのが始まりです。

学科の学部は一つだけで、学生28名の中でインドネシア人は2名だけでした
正門はココで、

当時のITBの写真

正面入り口前のひろばは広場はガネーシャパークとして今もそのままの形です。

1926年7月3日の6周年式典では22名の技術者候補のうち合格者は19名でそのうち4人がインドネシア人。

大学がインドネシア人エンジニアを輩出したのはこの時が初めてで、

この四人のうちの1人が、初代大統領スカルノです。

日本占領中はバンドン工業大学BKDに名前を変更し、

独立後バンドン工業大学STTになり1946年にSTTバンドンとしてジョグジャカルタに移転します。

オランダ軍のジョグジャカルタ侵攻により、1948年に閉鎖されますが、1949年にこの学校は公民学部のみ再開され、これがあとにガジャマダ大学(UGM)となります。


バンドン工科大学ITBの名前になったのは1959年


今工事中の新しいインフォメーションセンター横の階段には卒業した著名人(と思われる)の名前

一人しか知らん、もと西ジャワ州知事リドワン•カミル

大学に潜入してもあっちやこっちやはいれるわけじゃなく

目的は大学グッズ♥

インドネシア大学にもショップがありますから、絶対ITBにもあるはず!!


正面入口から入ってすぐ右側に

ITB従業員家族共同組合(KKP).大学生協があります。

構内にいくつかあるらしいですが、

ここは入ってすぐなんですぐわかる。


お菓子やペットボトルの飲物以外に、自分で欲しいものを取るゴレンガンなど軽食も売ってます

そして、大学ロゴ入りペナント〜〜
設立の1920の文字も入ってます
バンドン工科大学のエンブレムには知恵と知識の神ガネーシャが入ってます。



ロゴを作った当時は外国の考古学者が中部ジャワの寺院遺跡で発掘した小さいガネーシャが2体、正門前の時計の下にあり、その像からインスピレーションを得てエンブレムのモチーフにしたらしい。

後にこの像はジャカルタの国立博物館に収蔵された。(どれのことやろ?)  


それで大学前道はJl.Ganesha

マグカップとかTシャツ
ステッカーやワッペン、ノートなどなどお土産にぴったり
スクールカラーはネイビーです。

インドネシア大学は黄色


バンドンのカフェの人に

『バンドン工科大学のカラーって何色だっけ?スクールカラーのブレザー着るやん?デモの時』

って聞いたら

『なんでそんなことが知りたいんだ、ブレザーほしいの?』

ってずいぶん訝しがられたけど、


ただ知りたいだけなの


バンドン工科大学

 Institut Teknologi Bandung(ITB)

Jl. Ganesa No.10, Lb. Siliwangi, Kecamatan Coblong, Kota Bandung, Jawa Barat 


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