スカルノ大統領の二番目の奥さんInggit Garnasih
第二夫人ではありません。
大統領になる前に結婚して、離婚しています。
スカルノには第三夫人のデビ夫人を含めてもたくさんの奥さんがいますが、大統領になる前に2人結婚して離婚しています。
大統領になったあとの正式な四人の夫人は道路に名前がついたり、権力も持ってましたが、あまり博物館とかで名前も見ることがない離婚した夫人や、非公式の奥さん(⇐なんていうんだろうね、書類上結婚したか離婚したかもわからない人がいっぱいいる)
本読んだだけでは、名前がいっぱいでてくるのでよくわかってなかったけど、最近この時代を追いかけてるので、ようやく登場人物と人間関係がわかるようになった。
その1人Inggit Garnasihの家
Haji Sanoesiの元に来ます。
1923年 Inggit(35歳)とスカルノ(22歳)が結婚
20年間独立運動家スカルノを支える糟糠の妻ってやつ
結婚した後、夫が工学部を卒業するまで学費を工面する
スカルノがオランダに拘留されている間は、洋裁や「Inggit Garnasih夫人が作ったタバコ」と呼ばれる葉巻きタバコを混ぜたり、漢方薬を調合したり、Ciwidey で作られた鍬と鉈の代理店をして生計を立て活動資金を作ります。
スカミスキン刑務所に投獄されているときは、宗教の本しか差し入れが認めらなかったので、中の文章に印をつけて暗号として外のニュースをスカルノに伝えるなどしていたらしい。
スカルノがフローレスのEndeやBengkuluに政治犯として流刑されるときも一緒についていきました。
1933年 Endeで後の第一夫人Fatmawatiと出会う
Bengkuluでは、ファトマワティを子供のように教育していましたが、1942年にオランダが敗れ解放されたスカルノはファトマワティとの結婚の許可をInggitに求めた。
むちゃくちゃやな...知らん人ならまだしも...
一夫多妻制に反対のInggitは許可せず!
1943年 離婚を求めてバンドンに戻った。
1984年 ファトマワティは、Inggitに謝罪しに訪れた。
お墓もバンドンにあるのですが、ここからちょっと離れてるので行かなかった。
お墓シリーズに追加したいとこですが...
Inggit Garnasih Historic House
Jl. Ibu Inggit Garnasih No.8, Nyengseret, Kec. Astanaanyar, Kota Bandung, Jawa Barat
入場料は無料でしたが、鍵を開けてくれたりスタッフが何人かいますので、チップを渡しときました。