長い話の続きです。
実際は12人ではなく12家族になりますが...
GPIB Immanuel Depok
デポック・インマヌエル教会はコルネリスが1713年に設立
ジャカルタのプロテスタント教会では古い方のGereja Immanuel Jakarta
ジャカルタのよりも100年も早く建てられています。
デポックの最初の教会
この教会ができた時は、木と竹で作られた簡素なものでした
1834年の地震で壊滅的な被害をうけて、再建されるまでは『JEMAAT MASEHI Depok』という名前でしたが、再建されたあとImmanuel の名前になりました。
中には入れませんでしたが、
扉に12人の氏族の名前が刻まれているらしい(見れなかったけど)1945年にインドネシア独立後、コルネリスの土地はインドネシア政府に買収され、現在残っているのは(0.8621ha)Immanuel Depok教会、牧師館、集会所、墓地エリア、学校だけだそうです
オランダ時代の建物で、以前はInmanuel Depok教会の司祭の住居でしたが、今はこの団体の事務局となってます。
(これ帰ってきてから調べてわかったので見てない!)
この団体は12の氏族の末裔が運営していますが、コルネリスの命日にはモニュメントの前で式典を行っています。
Cornelis koffie
昔はオランダ人の住居でしたが、表の造りだけ残して裏は結婚式もできる大きなカフェレストランに改装しています
以前は全く別のレストランでしたが、2020年に「コルネリス」と名前をつけた今の店がオープン
お店出てからベチャのおじさんに「このあたりで他にコルネリスに関する史跡とかないか?」と聞いたら
Tugu Cornelis Chasteleinから道路を挟んで向かい側の一般家庭にお願いして家を紹介してくれた。
2022年に潰れてしまったHarapan Depok病院の敷地内にモニュメントは建てられてるのですが、この病院はコルネリスが建てたこのあたりで最初の病院だったようです。
そのあとは警察の宿舎だったり、呼吸器センターだったり変わってますが
向かい側に昔の入院用の建物があり、今は一般家庭の住居です
ここからデポック駅まで、ベチャで移動
バイクでは時々逆走するけど、ベチャだと車のタイヤと同じくらいの高さなんで、怖っ
Depok駅
行くときはFatmawatiからの新しい高速使って1時間かからず行くんですが、帰りはちょっと混むのでこのまま電車でPasar Mingguまで行って、そこから車を拾って帰る。
Cornelis koffieに展示してあった、デポックを通る鉄道についてのパネル
1873年Batavia--Bogor線が開業した時からDepok駅はあって、初年度のデポック駅の乗降客数はバタビア駅に次いで3番目。
この鉄道線の開通はボゴールの宮殿とバタビアの宮殿を結び、広範囲の住民や観光客を輸送しやすくなり、チリウン川上流からの商品の主な輸送手段になった。
この鉄道が開通するまでは、コルネリスの土地を相続した12氏族の末裔は、広い土地に少人数のキリスト教コミニュティーなわけで、自分たちの土地を持っていて、この地域で孤立した存在だったらしい。
鉄道の開通で社会との接点ができたということだそう
インドネシア独立後は、この12氏族の名前を持っている末裔は【オランダの手先】ということで、近年まで公務員や教員など公共の仕事にはつけなかったので、土地を売ったり自営業をするしかなかったと本にありました。
実はもう一軒行こうとしてたカフェがあるのですが、ちょっとだけ距離があるから諦めた。
オランダの建物でオランダ料理を提供するカフェ
Tante Thea Snoephuis
と、
帰ってきてからわかったコルネリス研究財団Yayasan Lembaga Cornelis Chastelein
に行っていない
本読んでからもう一回かなぁーー
Cornelis koffie