Depokの始まりの12人① | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

Depokにはこれといって博物館とか史跡がないので、観光の目的地としてマークしてなかったのですが、

たまたま【NOW!Jakarta】9・10月号に載っていた記事が面白かった。

他とは違うDepokの始まりの話

Tugu Cornelis Chastelein
潰れた病院の敷地内にあるので、鉄扉が閉まってて近付いて見ることはできませんが....
Cornelis Chastelein没後200年、奴隷解放を記念して建てられたモニュメント。

現在建っている記念碑は1914年に建てられたオリジナルではなく、再建したもの。
 スカルノ政権の末期1960年頃に『オランダ植民地主義の代名詞』ということで破壊されてます。
2002年にコルネリス研究所財団が再建を計画したときも多くの反対があったそう
記念碑には、
「私の願いは、将来デポックの人々が豊かなキリスト教徒コミュニティになることです」という祈りを込めたコルネリス・チャステレインの手紙が刻まれていると言われているため、イスラム教徒も反発し、コルネリスが植民地主義のオランダ人であるということで反対にあったが2014年に再建されました

Cornelis Chasteleinは誰か?

コルネリスはオランダの厳格なプロテスタントの家庭の出身です。

1674年に17 歳で、オランダ領東インドのバタビアに到着し、VOC 事務所で簿記係としての職につきました。
有能だったのでVOCのナンバー2の席にまで出世して、1691年にVOCを離れた後、彼はコーヒーやサトウキビ農園、製糖工場、住宅、公園、動物園まで建設し、プランテーションと農業の分野で事業を始めようとしました。
多くのVOC職員はプランテーションや個人的利益のために土地を購入した

1691年から 1704 年にかけて、バタビアからはるか南のLenteng Agung、Serengseng Sawahの土地を購入しましたが、Serengseng Sawahは丘陵が多いため、灌漑管理も畑を作ることも困難だったため、地元の人々がデポックと呼んでいた別の土地を購入します。 
コルネリスはデポック周辺にさらに 4 区画の土地を購入し、
この土地で働かせるための奴隷を東南アジア各地の奴隷市場から購入し、インドネシアの東部のマカッサル、バリ、ティモール、ミナハサからも連れて来て、だいたい150~200人の奴隷を連れてきて、この地域の最初の生産活動を始めます。
当時、マタラム王国との VOCの協定で、ジャワ人を奴隷として使用することを禁止していただめです。

そこに、ジャワで最初のインドネシア先住民のプロテスタント会を設立
コルネリスはプロテスタントの教えを忠実に守っていたため、この時代のVOCのオランダ人たちとは考えが異なっていたそうで、
亡くなる数か月前に、コルネリスは家族と奴隷に遺言書を残していました。

1714 年 6 月 28 日に亡くなると、家族に富を分配しただけでなく、《 キリスト教徒になる》という条件で奴隷を解放しました。
150 人の奴隷のうち 120 人もの奴隷が改宗に応じました。
イスラム教徒の中に解放奴隷による自立したキリスト教共同体を創設するという彼の夢の実現のために、 コルネリスはキリスト教を信仰し解放した人々に、1,244 ヘクタールのデポックの所有地を「集団所有権」として贈りました。

 その後、改宗した奴隷はジョナサン、ソエディラ、ローレンス、バカス、ローエン、イサク、サミュエル、リアンダー、ジョセフ、ソレンセ、ジェイコブ、ザドクという12の氏族名に改名し、これがデポック市の最初の住民となりました。
この人達はDuch Depokと呼ばれるようになります
 彼らが所有していた土地資産も彼らとその子孫に贈与されました。 土地によっては伐採が禁止されている林もあり、Cagar Alam公園として今も残っています。

1915年のDepokの地図

Depokという名前が、コルネリスが作ったコミュニティの<最初のキリスト教組織>を意味するオランダ語の
De Eerste Protestantse Organisatie van Kristenen
からついています

まだデポックにおしゃれなカフェとかなかった2017年からある
Jacob Koffie Huis 
改名した12人のうちの1人ジェイコブの名前からつけられています。
大通りから入った住宅地の中にある、オランダ時代に建てられた民家を改装して作ったカフェ

Cornelis Chasteleinから始まったDepokをテーマにしてますので、オランダの装飾品があります。
その中に2014年に没後200年のモニュメントを建てた時に作った記念のプレートがあります。
描かれている絵は、冒頭にも写真貼ってますが、
プランテーションに立つコルネリスを描いた絵です。
Depokに関する歴史の本がおいてあります

なぜかこの料理本も


何冊かコルネリスとDepokの歴史についての本がありますが、
この本はここにはなかったけど、解放された奴隷の12人の子孫である
ヤノ・ジョナサンズの本

も出版されてるのを巻末の広告で見つけた。

これ探そう!


 12の氏族のうち一つは女の子ばかりが生まれた為、第二次世界大戦後には名前がなくなってしまったらしい。

Google Mapの口コミによると、このカフェはこの周辺では食べ物が美味しいと書いてあった。
食事のメニューもちゃんとあって、↑↑All days Breakfastプレートですが、ベーコンじゃなくブリスケットが添えてある。 
 

もう蓋して使えないけど、お家の中に昔の井戸がある。
だいたい井戸って、その自治会というかエリアに一つあってみんなで使うようになってたはずだから、お家の中にあるって珍しいと思う。

こんなとこまで来ないだろうけど、歴史とか関係なく普通に使えるカフェ。
しかもジャカルタじゃないのにラマダン中に午前中からあいてる!

コルネリスの考えたキリスト教コミニュティーが広がったからか、このあたり小さい教会がたくさんあるんです。
それも断食中なのにカフェにお客さんがいる理由なんだと思う。

ここから
Cornelis Chastelein Monumentまで徒歩10分くらい
そこまでは歩いた。

デポック行った日暑かったんですよ。

雨季の間の快晴の3日間のうちの1日だったので、ホントは歩いて周るつもりだったけど、サンダルの足の甲がジリジリするくらい暑かった。


痛いくらい暑かったから、そこらへんにいたベチャにお願いして近距離をうろちょろしてもらった。

(このあたりでもベチャはいるけど、足として使ってる人は少なそうな場所)


このDepok話まだ続きます

Jacob Koffie Huis

Tugu Cornelis Chastelein

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