MUBI【インドネシア銀行博物館 Museum Bank Indonesia】 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

何回も入ったことあるのに、そういえば展示を見たことなかった

当初はSemasaのバザーはKotaの古い建物を利用して開催してた。


午後から入場制限かかる程人も多かったので、バザー見終わったら会場から出てしまうので、博物館の展示見てなかった

MUBI Museum Bank Indonesia
お昼12:00〜13:00は休憩時間で入場もできません

 入口入ってすぐにある刑務所か?みたいな小部屋はDe Javasche Bank の時代1953〜1975 年頃まで使っていた12 のレジ係室 (kassierderij) 

 この部屋は入金の受付と現金での支払いを行う部屋で、レジ担当者以外は立ち入りができない隔離された部屋となっています。 
インドネシア銀行の設立当初、レジ係は一般的に中華系でした。
昔のこの銀行の写真

インドネシアの国際的な貨幣経済の始まりはVOCが貿易の拠点としたことにある。
大体の歴史博物館にはVOCについての説明があります。

 【とにかく、まずは銀行を作りましょう】
 ヴァン・イムホフ総督は、1746 年 8 月の決議に基づいてバタヴィアシェ銀行Bank van Leeningの設立を決定しました。
しかし、この銀行は、経営陣が貿易と金融を理解していなかった事と、VOC当局の支援がなかったために繁栄することができなかった 

各地で普及していた紙幣
「新しいお金」がたくさんある新しい国
 独立後、ORI (Deang Republik Indonesia & Oeang Republik Indonesia Daerah) は 1946 年 10 月にインドネシア初の紙幣を発効し、最初の額面は 100 ルピアでした。
流通の困難、偽札の増加、紙幣印刷の混乱など、さまざまな問題がすぐに発生しました。 

 戦争の影響でORIの流通が困難になったため、いくつかの地域で地域ORI(ORIDA)や委任状、市場紙幣、米紙幣や小切手などの他の地域通貨がたくさん発行された。

■インドネシア銀行の歴代のロゴ
 インドネシア銀行のロゴは、De Javasche Bank のロゴにルーツがあり、1953 年から 2005 年まで、インドネシア銀行のロゴは 7 回変更されました。 
設立当初、インドネシア銀行のロゴは、J の文字を I の文字に変更することで、De Javasche Bank のロゴを採用していました。
 
De Javasche Bank は設立当初、バタヴィアの市壁のすぐ内側に位置するビネン病院(Binnenhospitaal)
の 2 階建ての建物を使用していました。
プライベートバンキング会社として、De Javasche Bankの活動はさまざまな分野のVOCの農産物の貿易と密接に関連しています。
資金調達が困難になって始まった国民貯蓄キャンペーンは、全国貯蓄運動調整諮問委員会の設立によって、高金利の定期預金 (1968 年) や賞品プログラム付き貯蓄 (1969 年) などで資金を集めが強化されました。  
アンティークショップでもたまに見かける鶏。
飾りかと思ってましたが、貯金箱!
学生や子供の貯蓄への関心を高めるために、教育文化省とも協力して貯蓄強化していました

 まぁ、このあたりまでは面白いけど、このあと通貨危機とか、利率とか経済と金融の細かい話がずーーーっとパネルで続く....
面白くない
建物自体が歴史もあるから見どころだと思う
階段の吹き抜けのステンドグラス
上の真ん中にはギリシャ神話の貿易の守護神であるヘルメス
その下には1828 年に設立された De Javasche Bank の【DE JAVASCHE BANK OPGERICHT ANNO 1828 】と書かれてます。

 ヘルメスの下には、3 つのシンボルがありますが、
当時のジャワ島の貿易の3つの重要な都市スラバヤ、バタビア、スマランの紋章で、スラバヤは、De Javasche Bank が支店を開設した最初の都市です。

1828 年にこの建物が銀行によって使用された時は、この部屋のタイルから「グリーンルーム」と呼ばれていて、取締役会の会議室でした。
壁の上にステンドグラスの小窓がありますが、よく見るとちょっとづつモチーフが違います。
 南の壁には、コショウ、クローブ、塩、ゴム、石油、錫、コプラ、パーム油、タバコ、キニーネをシンボルにしたもの。
北側の壁に並ぶシンボルはコーヒー、カカオ、バナナ、砂糖、綿、インディゴ、サグがあります。
(左がインディゴ、右が綿花)
20世紀初頭のインドネシアの主要貿易商品をシンボルに描いたもので、
1953年までDe Javasche Bankが、インドネシアの大規模プランテーションビジネスやオランダ企業への融資を行っていたので、世界市場でインドネシアの農産物からいかにオランダが利益を得ていたか?ということを物語っています。
グリーンルームの壁に埋め込まれた振り子時計は、1928年にオランダで製作された時計。 
この時計は、1928 年のDe Javasche Bank設立 100 周年を記念して、ネーデルラントシェ銀行 (オランダ王国中央銀行) から贈られたものです。
ネーデルラントシェ銀行のシンボルは時計の左側には象嵌され、時計の右側にはデ・ジャヴァシュ銀行のシンボルがあります。(5と7の斜め下の正方形のタイル)
 
ここからはインドネシア銀行の紙幣や、現在のネットバンクや電子マネー、株式とか融資とか今の銀行の仕事の話

金の延べ棒まわりで掃除する人
「これ本物?」と聞いたら「違う」と言ってた。
セキュリティもいないし、本物なわけないか...

今の建物になるまで4回改修工事があり、最終的にはもともとの病院の面影が全く無い外観になったのですが、それまでの設計図や工事のようす、使われている柱の彫刻について見るコーナー
MUBIのオリジナルお土産やさん。
この建物には314 枚のステンド グラスの窓があり、すべて 1922 年から 1935 年にかけてオランダのデルフトにあるJan Schoutenのアトリエで作られました。
歴史のとこ以外の経済とか金融の部分や、最近の銀行のところとかは難しいし面白くないけど、建物自体が見る価値はある(さほど古いわけでもないが)
 
個人的には隣のMuseum Mandiriのほうがいろいろ見るとこあって好き
Museum Bank Indonesia
インドネシア銀行博物館
8:00〜15:30
(12:00〜13:00は昼休憩で閉まる)
 月曜日と祝日は休館日
 
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