開放!Toko Merahがカフェに【RODE WINKEL】 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

長らく一般的に使われてなかった重要文化財ファタヒラ広場に近いKali Besar沿いにあるToko Merah

(2021年10月撮影)
Kotaにある重要文化財ですが、今まではなかを見ることはできなかった。
2018年頃かな?一瞬イベント会場で使われたことがありましたが、ふらっと行って中だけ見る類いのイベントではなく、Kotaを案内するときに外観の写真撮るだけの場所でした。

外観も中もリノベーションして、まず11月初旬にカフェがオープン!
ついに一般公開された
おそらく複合施設になると思いますが、右側のカフェだけが営業開始
RODE Winkel
1700年代初頭、この周辺は上流階級の住宅地で、この建物は旧バタビアの砦(壁に囲まれていた)の内側に建てられたグスタフウィレム総督の邸宅で1730年に建てられました。

1730~1780年にかけてはオランダ総督が住居として所有、その期間のうち、1743年~1755年はフランス海軍学校のキャンパスと寮としても使われます。

1786年~1808年はホテルになり、珍しい赤レンガとの外観と赤く塗られた内装の木工品や外観からMerahと呼ばれるようになり、
1813年~1851年には中華系の Oey Liaw kong が所有し店舗だった為にToko の名前がつきます。

Toko Merahの名前には諸説あり、
カリブサールに多くの中国人の死体が散らばって水面が赤く染まった華人大虐殺にちなんでつけられたという話があります。
華僑虐殺事件で、1740年に発生した虐殺事件です。東インド会社の兵士がもともと住んでいたインドネシア人の協力者とともにバタビアの華僑を大量殺害した事件。

そんなこんなで、とにかく赤い
まわりがオランダ時代に建てられた白い壁のコロニアル風建築に対して、ただ赤いだけで目立つ建物です。
(1992年にジャカルタ州知事によって重要文化財に認定)
オリジナルの家具も赤色で、ファタヒラ広場にある歴史博物館の中にいくつか残されています。
中の家具や梁のオリジナルは一部国立博物館にもあるらしい。
2016年に国立博物館旧館が5年のリノベーションに入る前は、オランダ時代の部屋があって、そこにVOC時代の調度品などが展示されてたのですが、私が来たときには閉まっていて、2022年リノベーション後のオープンには【オランダの部屋】はなくなっているので見たことはない。

入って右がカフェになってます。
ドアや梁の木はオリジナルのままだそうですが、たぶんちょっと焦げ茶に塗ったと思う。

話してて写真撮るの忘れましたがこの↘️右端の家具はこの中にあったものをそのまま残したそうなので、1700年代のかはわからないけど古いもの
壁は漆喰が剥がれてますがそのままの状態が雰囲気ある。かべの中身は建設当時のままのはず

メニューの表紙
(Rode Winkel)はオランダ語で「赤い店」
このおじさんは誰か?
Gustaaf Willem Baron van Imhoff
オランダ東インド会社総督です
もともとこの家の主人ですが、
バタビアの狂暴、別名アンケの悲劇、華人大虐殺
1740年の10月9日から22日まで続いたオランダ領東インドのバタビア港と町で発生した暴動(Toko Merah名前の由来⬆️でも触れた大虐殺事件)

VOC政府の抑圧と砂糖価格の下落に関する誤解を引き金に発生した社会不安からはじまった暴動を解決するために領東インド議会とVOC政府、当時の総督Adriaan Valckeniesの会合で、総督が「いかなる暴動も鎮圧すべし」と声明を発表、総督が虐殺をやめるように命令をだした10/22までの間、軍隊は華人を探しては殺し続けた。
バタビア砦の外にある製糖工場の労務者たちと、小さな戦闘が続いていましたが、オランダ軍はいくつかの製糖工場の華人の本部を壊滅させた。このとき生き延びた華人はBekasiに避難。
この事件で約一万人の華人が虐殺されたと思われる。 
これを機に翌年ジャワ全土でいくつも虐殺が発生し、華人とジャワ人連合、オランダ軍のあいだで2年の戦争の発端となってしまった。
Valckenierの政策の反対派だったGustaaf Willem van Imhoffは逮捕され、オランダへ送還されましたが、虐殺のいきさつについて演説しVOCの筆頭株主であるHeeren17世を納得させ新総督としてバタビアへ戻りました。
元総督Valckenierはオランダヘ召喚されこの虐殺に手を貸したと追及されました。

という彼の肖像が表紙になってます。

このあたりは歩きで散策になるので
涼しいとこで、ちゃんと休憩できる場所はありがたい
インドネシア料理ですが、ちゃんと食事もできます。
建物の左側にトイレと、このカフェのテーブルが今はとりあえずおいてあります。
バタビアの地図も雰囲気出してる。

二階はまだリノベーション中で上がれないですが、確実に二階も別の用途で利用する準備に入ってます。

このエントランスの右がカフェで、左が階段とトイレのあるホール
この建物自体の大きさを初めて知ることになるのですが、日本占領時代は病院としても使用されたし、軍の学校やホテルというだけあって、
奥はかなり広かった。
扉の奥もまだリノベーション中で入れなかったですが、床の掃除もやってるくらいの段階で
手前のカフェ以外にもっといろいろ入りそうなスペース
絶対、カフェが全部使う訳じゃない

あと数ヶ月?ってとこかな
奥まで全部お店とかレストランになるなら、最新スポットになるはず

オランダ時代の建物の再利用は増えてますが、モナス近辺の建物よりToko Merahの方がもっと古い建物。

久々にKotaまで来ましたが、Museum Bank Indonesiaの前のトランスジャカルタ降りるバス停、前は降りてから外出るときとか、乗るときいきなり道路だったし、駅の中経由するとかめんどくさかったんですが、広場のようなロータリーに整備されきれいになってました。
ファタヒラ広場の博物館も今は全面改装中で閉まってますが、歴史博物館は外観きれいにしてオランダ時代の建物の名前を壁にオランダ語でいれてあって、【旧市街】を観光スポットとして整備してる感じです。

Google mapにもオランダ時代の建物や史跡が昔のオランダ語の名前でどんどん登録されてます。

楽しみすぎる。

Toko Merah 
RODE WINKEL Coffee & Savoury
車で目の前で乗り降りできますが、駐車はできません。
一方通行でもあるので、ファタヒラ広場から歩くのがベター

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