(スラバヤ観光⑦)ヨーロッパルート史跡巡り-2 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

長々となりますが、自分が調べるため&楽しかったスラバヤ旅行の記録なので...


今はHotel Arcadia Surabaya  (旧イビス ホテル) 
当時の大きなブランテーション会社のひとつだったGeo Wehry & Coによって1913年に建てられました。
Geo Wehry&Coは1867年からインドネシアで事業を行っていて、オランダ領東インドに28のプランテーションをもち、お茶、ゴム、キニーネなどを取り扱っていました。
ヨーロッパにスパイスなどを輸出するオランダの会社のなかで最大のものは❪ビッグ5❫と呼ばれましたが、インドネシア独立後国有化されます。

そのあとホテルに売られ持ち主も変わりますが、今はHorizonグループのホテルとして残っています。
CERUTUビル
葉巻ビルと呼ばれる建物は、1916年に砂糖会社によって建てられました。

J.C Van Drongelen は1923年創業のインドネシアで最初のシロップ工場
1942年には日本が押収しますが、日本が撤退したあとはオランダが再び管理し、そのあと国有化されます。
1962年から民間のものになり、何度かオーナーが変わりますが2002年からは今のPT.Panca Wira Usaha Jawa Timurになっています。
これがいつもスーパーでてんこ盛り並ぶ、美味しいのかどうかまじまじ見たことも試したこともないインドネシアのシロップの最初のものだったとは

❪TELASIH❫Limoen and Syrup
が最初のシロップらしい
びっくりびっくりびっくりびっくりびっくりへぇーー
見たことないっていうか、買ったこともないからメーカーまでじっくりも比べたこともないけど

建物にはQRコードがついていて、いつできたかー?とかはわかりますが、いろんなエピソードなどはガイドをつけた方がやっぱりおもしろい。

Gevleugelde Leeuw Gebouw 
Gedung Singa
1880年に設立されたオランダで最大の生命保険会社の事務所ビルで1901年に建てられました。

建築家はオランダのアムステルダムでオランダの王様が結婚した建物と同じ人だそうです。
入り口の上についているモザイク画には、真ん中にジャワの王様、右にはジャワの服を着たインドネシ人女性、左側はヨーロッパの女性が描かれています。
ヨーロッパ人女性が抱き上げてる赤ちゃんは機嫌がよさそうで、インドネシア人の赤ちゃんは泣いていて女性があやしています。
モザイク画の意味はヨーロッパ人と現地の人の平等の保険ということらしけど、中央の王様の足がヨーロッパ人の方を向いていることから、実はヨーロッパ人寄りの裏の意味があるとかないとか....?
入り口にライオンの像が置いてあるのでGedung Singaと呼ばれているそうです。

Hoofdbureau De Politia Museum
Hoofdbureau (本部)オランダ語で、現在はなじみのないものなってますが、Hoofdbureau という用語自体が一般に知られるようになったのは 1928 年頃のことでした。

今は【Museum hidup POLRERTABES Surabaya】
スラバヤ警察本部に博物館があります
月曜日でなかに入れませんでしたが(スラバヤでも月曜日と祝日は博物館も美術館もお休み)

⬇️東ジャワ警察のマークは火山🌋
建物は1850年に建てられましたとありますが、
史料によるとスラバヤ警察が所有する最初の建物で、1809年に建てられたVOC事業所として建てられたものです。
建物が重要文化財なだけでなく、オランダ時代の警察が使用したものもコレクションが展示されてます。
建物前には大砲もひとつあります。
さすが警察の所有なだけあって、中まで修復されて博物館になっているので、ここは事前にマークしてなかったけど、入ってみたかった

1945年に9月、国家警察を作る目的でスカルノ大統領にジャカルタ州警察の長官として任命されたR.S.Soekanto Tjokrodiatmodjo
ジョコウィドド大統領に【国家の英雄】に認定されました

PT.Perkebunan Nusantara XI
 ️1921年に完成し、1920年以降のスラバヤのオランダ植民地建築にこの建物のデザインが影響を与えたといわれています。
1930 年代まで、この建物はスラバヤ市で最大のコンクリート建築。
 当初、この建物は オランダで1879年に設立されたHVA (Handels Vereeniging Amsterdam/Amsterdam Merchants Association) の所有で、HVAは農産物の輸入とサトウキビ、コーヒー、キャッサバの栽培と海外への砂糖の輸出をしていました。HVA によって管理されている 167 の製糖工場があり、年間 800 万トンの砂糖を生産していました。 
これが、1930 年代にオランダが世界第 2 位の砂糖生産国として知られるようになった理由です。
東ジャワだけでも、約 17 の砂糖工場がありました。

日本によるオランダ領東インドの占領により、独立期(1945年9月30日~1945年10月1日)、この建物は岩部将軍率いる東ジャワの日本軍の武器庫として使用された。 

途中で筋が入ってる部分がありますが、建物の構造を三つに分けて作ってあって地震が来ても全部に影響がでないようになってるそうです
(ほんまに大丈夫かはしらんけど)

聞いたこと全部は書いてないし、あといくつか紹介してもらったものもありますが、そこは【Rute Europ】のウォーキングツアーに参加する人のお楽しみということで


スラバヤは歴史ありそうな建物やモニュメントなど、ほとんどにQRコードがあるので、Google Map見ながらでも気になるのはすぐに調べることができます。


ジャカルタで参加したウォーキングツアーは時間が大幅に延びましたが、このツアーは予定通り二時間ちょっとで終了した!


開催日に通常のウォーキングツアーに参加すると

一人Rp150000にチケット代とかお土産、水、ご飯があるツアーも

プライベートツアーの場合は2~6人で1グループで

安い!個人でレギュラーツアーに参加するより安い!
なんでか知らんけど


Darmoコースも良さそうだったから迷いましたが、DarmoコースのほうはRute Europよりちょっと長く歩くらしい



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