(Serang バンテンラマ)王宮跡Keraton Kaibon | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

ちょっと足を伸ばしてSerangまで行ったわけですが、

本当はバンテンラマ遺跡で一番の目玉は

Istana Surosowan 


ただ ..ここだけは再開されてないことがわかってました。


Viagra AvolokitesvaraSpeelwijikに向かう途中でIstana Surusowanを通るのですが、観光バスがいっぱい😧😲だったので

「こんだけ人が来てたら開いてるかもしれない!」

と期待して行ってみたけど...



やっぱりまだ再開してなかったえーんえーん


王宮跡のまわりは大きなモスクと、公園、賑わったパサールになっていて、史跡の王宮跡そのものは恐らく目当てじゃなく、買い物して涼んで、飲み食いしてお祈りもできるという観光スポットになっていました。


Istana surosowanが写真で見る分には、見ておきたい史跡なのですが..

やってないものはしゃあない

やってないのを知りつつ...

いつ来れるかわからないんだから来たのだし


で、次の目的地

スロソワン宮殿に次ぐ大きさの

Keraton Kaibon

割りとちゃんと管理されてるわりに、入場料もない

説明もペロッと

カイボン宮殿は1809~1815年にバンテン王国を統治した王様の一人であるスルタン▪シャフィウディンの住居でした。
公式にはこの宮殿は1815年に廃止された王制の代わりにオランダ側が用意した摂政による治世まで使用されました。
1832年にオランダ人によって破壊され、現在は建物の基礎と廃墟だけが残っています。
とあります



その名前(カイボン=母性)から、この宮殿はスルタンの母親のために建てられました。 スルタンが亡くなると、王位はわずか5歳の息子がつき、しばらくの間、政治は王の母親RatuAisyahによって行われていました。 

1832年に、カイボン宮殿文化遺産はオランダ領東インド政府によって解体され、土台、建物の壁、宮殿の門の形で残っていました。



1991/1992年から1993/1994年にかけて、歴史的・考古学的遺産プロジェクトの保存・活用により復元され、門の改修が行われました。


ここんとこPPKMもあって、閉まってたはずだし
もともとお客さんも多くはないだろうから、掃除もいきとどいてるしきれいに管理されてます
日陰が全くなく、日焼け必至の場所ですが、ジャカルタにはこのような史跡はないし、久々の遠出で❮ちょっとインドネシアらしい❯とこに行けたし
昨年はパンデミックで外出もしないし、オンライン授業がある間に家をあけるわけにもいかず、いつ帰国になるかもわからないのでHeritage societyの活動を更新せずお休みしてました。
なんかやろうって気分でもなかったし....

最近やっとジャカルタ州立の博物館が再開したこともあるし、国立博物館はまだ再開してませんが、またいろいろ勉強しようという気になったからHeritageの活動に復帰しました。 

それの足掛かりとして、今まで行けなかった史跡に行ってみました。

ジャカルタだとそこらじゅうに抗原検査やPCR検査やってる場所があって、その看板もたくさん見かけます。
普通の住宅地にも、【マスク、手洗い、人との距離】とか、エリアに誰でも入れないようにゲート閉めたりしてる場所やコロナ関連のバナーをたくさん見かけますが、Serangの街中は(コロナ)の匂いがあんまりない....

のんびりしてる

このあたりはやはり、トイレと食事場所の心配があります。
食事できそうな場所はない...

オススメは帰りの高速道路入り口にあるMall Of Serang
ここでトイレや食事が便利だと思います


Keraton Kaibon
Kasunyatan, 42191 Kesemen, Serang, Indonesia, Kasunyatan, Kasemen, Serang City, Banten 

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