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えりっき脳内議事録(えり丸)

Diary and memo written by a pathologist.

お待たせしました!今日はようやく、ガウディの建築めぐり@バルセロナです。ブログ更新、忘れてたわけじゃないんだからね!色々忙しかったのかもしれませんが、一番の要因は、ガウディについての下調べに時間がかかってしまいました。図書館に本を借りに行き、何冊か文献を読んでみたのですが、んまぁ色々学問的な事がつらつら書かれていて、正直参考になりませんでした(笑) 建築というのは、例えば皆住居に住んでいるわけでして馴染み深いものですから、理屈をこねなくても楽しめる芸術ではないかと思います。自分の目で見て、感じることが大切なんですよ、きっと。というわけで、今日は写真なし、長文駄文で、まとまりがないかもしれませんがご容赦を。

クローバー アントニ・ガウディ クローバー
Antoni Placid Guillem Gaudi i Cornet (1852-1926)。

いわずとしれた、スペインを代表する建築家。主にバルセロナで活躍しました。彼は1878年に開催されたパリ万博に、ショーケースを出品しました。ここから、グエルと出会い、彼の成功物語が始まりるわけですが、その馴れ初めはグエルの項目で書くことにします。

建築は曲線を多用し、動植物をモチーフにした造形が多いです。とある文献によると1900年までの前期と1900年以降の後期とでやや作風が異なり、私は前期の作品が好きかな。

ガウディというと、その奇抜なデザインに着目しがちですが、作風が独特なだけではありません。建築学的にも大きな貢献をしたそうで、カテナリーアーチ(懸垂腺)が彼の功績なのだそうです。一般的なアーチは上からの力を左右に分散する構造をしているのですが、左右に分散する力をアーチの延長線上に放散したアーチ、それがカテナリーアーチというわけです。鎖の左右両端を持ってを垂らした形を、上下反転させるとカテナリーアーチが出来上がります。

ガウディはカテナリーアーチが構造学的に安定なことを応用して、サグラダファミリアやコロニアグエル教会堂では逆さ吊り模型(フニクラ)を製作し、建築構造学的に最も合理的な形態、すなわち、構造的に安定な形態を追求したと言われています。兄(1級建築士+α、構造設計が専門らしい)が「サグラダ・ファミリアって、ストッキングを指でつまんで引っ張って、模型を作ったんだっけ?確かそうだったような。」そんなことを言っていましたが、これは間違い。兄貴やばい!笑

クローバー エウゼビ・グエル クローバー
Eusebi Güell i Bacigalupi, conde de Güell (1846-1918)。

スペインの新興実業家。バルセロナの南西約30kmに位置する町ガラーフでブドウを栽培し、ワインを醸造していたそうな。彼は1878年パリ万博に出品されたショーケースに目をとめ、その製作者を探しました。こうしてガウディを見出し、それ以降パトロンとしてガウディをバックアップしたそうです。また、ガウディの最大のクライアントであると同時に、芸術をこよなく愛する良く友人だったそうです。

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ここからは、我々が実際に訪れたガウディの建築をご紹介。

ヒマワリ サグラダ・ファミリア Temple de la Sagrada Familia

1882年着工、1883年にガウディが2代目主任建築家に就任し、1926年に亡くなるまで建築に携わりました。初代主任建築家のデザインでは典型的なバロック様式の教会としてデザインされていたようです。これをガウディが改良し、今の形になったそうです。教会建築では、高い天井を作るアーチを支えるために、バットレス(控え壁)やフライングバットレス(飛梁)という構造があるのですが、カテナリー曲線を用いることでこれらの構造をなるべく排除しているようでした。

着工から2010年まではローマから聖堂として認められておらず、司教不在で教会も機能しておらず、ガウディが寄進を集めながら建設を続行させていたそうです。ガウディの最後は市電にひかれて亡くなり、あまりのみすぼらしさに誰もガウディだと分からなかったそうです。悲惨だけど、自分の一生をかけたいほどの事があったこと、それはとても幸せなことだと思います。

ところで、私が一番驚いたのは“本当に建設中”なのだということです。建物の形はそれなりにはっきりしていたので、てっきり概ね完成しているものだと思っていました。生誕のファザードを見上げ、そこから入場し、入場してはじめて、そこが側廊であることに気付きました。かの有名な生誕のファザードと受難のファザードは教会の側面であり、栄光のファザードと呼ばれる本当の正面は全く完成していなかったのです。

尖塔にのぼると、バルセロナ市街を一望しつつ、遠くに真っ青な地中海が見えました。

母は「なんだかピンとこないわねえ。後で見たカテドラルの方がこれぞヨーロッパっていう感じで感激したよ!」なんて言っていました。それは禁句だぞ(笑) 多くの観光客がそう思っていることでしょう。

ヒマワリ コロニア・グエル教会堂 Esglesia de la Colonia Guell

1890年、グエルはバルセロナから西に約20kmの郊外に繊維工場と労働者のためのコロニーを設立しました。1898年、グエルはガウディに繊維工場で働く労働者のための教会堂建設を依頼しました。ガウディは当初はサグラダ・ファミリアに似た教会を建設する予定でしたが、第一次世界大戦の影響で経済的なダメージを受け、建設は中止されました。地下聖堂の部分を作ったのみで、未完のままです。

私が興味をひかれたのは、ジュゼップ・マリア・ジュジョール(ガウディの助手)によるステンドグラス。窓を開けると蝶が羽ばたいているように見えます。窓としての機能があるのは勿論のこと、美しさも追及する、こういうの好きですね。

教会堂の椅子は、ガウディ自らが設計したそうです。いわゆる、トータルコーディネートってやつですな。建てつけ家具やオリジナル家具が用意されているからこそ、ガウディの曲線を多用した建築が生きてくる、そんな風に感じました。また、無数の曲線がギリギリのところでバランスを取っている、これがガウディの才能なんでしょうね。凡人が同じような事をやろうとしても、こんな調和のとれたデザインはできませんね。

教会堂の他に、赤レンガの建物が並ぶ繊維工場の街並みも素敵です。
半日じっくり見学し、散策して大満足でした。

ヒマワリ グエル公園 Parc Guell

1900年着工。グエルはバルセロナの北西に位置する15haの土地に住宅都市を作ろうと計画し、60戸の田園型分譲住宅地を売り出しました。しかし、売れたのは2軒、しかも買い手はガウディとグエルだけだったそうです。計画は頓挫し、後に市に寄付されて公園として整備されたそうです。どんまい、グエル!

私達は早起きして8時頃には公園に到着したした。バルセロナの朝は初夏でもかなり冷えましたが、人も少なく、公園を大いに満喫し、ゆっくり2時間ほど散策しました。有名なトカゲのモニュメントも母と2人で独占状態でした♪ちなみに、破砕タイルによるモザイク装飾はコロニア・グエルの窓と同じくジュジョールが手掛けたとのことです。

ヒマワリ グエル邸 Palau Guell

1886年着工。グエルの別邸として依頼されたましたが、グエルはここを大変気に入り本邸として使用したそうです。まだ曲線を多用しておらず、実用的で住みやすそうな感じがしますね。そして茶色や黒をメインとし、金色をアクセントに用いたた落ち着いた色調。唯一、屋上のきのこの形の煙突はダサいなぁと思います(笑)

ヒマワリ カサ・バトリョ Casa Batllo

1877年に建設された集合住宅を、ガウディが1904年に改築したもの。ゼロからの新築ではなかったために、ガウディは外装とインテリアを考えることの全力投資することができたのかもしれません。デザインの観点におけるガウディの最高傑作とも言われるそうです。海をイメージした家なのでしょう、遊び心がありますね。子供でも楽しめそうです。上下スライド式の窓や、手にぴったりフィットするように設計されたドアノブなど、細部にこだわった事が伺えます。

ヒマワリ ラ・ペドレラ La Pedrera(石切り場)

1905年着工。ガイドブックにはカサ・ミラとして紹介されていましたが、タクシーの運転手さんによると地元の人は『ラ・ペドレラ(石切り場)』と呼ぶそうです。カサ・バトリョと比較すると雰囲気は幾分か大人しく見えます。おそらく、白を基調として色味を抑え、タイル等のデコレーションも最低限にとどめているのが理由だと思います。しかし、曲線のうねりはカサ・バトリョよりダイナミックで、ねちっこくて、動物的で力強い印象を受けます。

現在も入居者募集中とのことですが、けっこう住みづらいのではないでしょうか(笑) 曲線を多用すると無駄なスペースが増えますし、家具を置こうにもなかなか部屋にマッチしないでしょうし、そもそも設計から施工まで非常に手間がかかるでしょうし、色んな意味で非効率的なデザインだと思います。私は直方体の部屋に住みたいぞ。

外観は修復工事夕でしたが、屋上も見学することが出来ます。屋上に並ぶ煙突や排気口は巨神兵の頭のように見えて、かなり怖かったです。

ヒマワリ カサ・カルベ Casa Calvet

1898年着工。外観のみ見学しました。本当はここでランチ休憩しようと思ったのですが、お店がオープンするまで1時間近くかかるので、街歩きをすることにしました。ガウディらしさ控えめの建物ですね。

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バルセロナはおそらく1週間滞在しても飽きない街です。当時のスペインの情勢やガウディの生涯を理解したうえで、彼の建築作品に触れることができたのは貴重な体験でした。冒頭で建築は理屈をこねなくても楽しめると言いましたが、やはり作品の背景を知ると楽しみも深まりますね。
8月5日は再診日でした。

突然ですが、重大報告があります!
アクテムラの点滴を中止することになりました。
中止の理由としては、
 ① 副作用として口内炎が多発。治療のためにステロイド頓服をする状況
 ② 副作用として浮腫(おそらく血管透過性亢進タイプ)が出現
 ③ プレドニンの減量がはかどらない
 ④ やや視神経炎症状が悪化する

などがあります。

アクテムラ投与によって確かに40℃の高熱は出なくなりましたが、
発作が止まることはなく、また副作用も出現したりと、やや私の体には合わなかったようです。
2013年3月21日から2014年7月8日までの付き合いでした(笑)
アクテムラよ、さようなら~~。

さいわい、発作に対してステロイドが著効しますので、
今後はプレドニンのみでコントロールを行います。
現在はペースのプレドニン5mg内服を行っていますが、ステロイドに発作抑制作用はないため、
offを目標にテーパリングをしつつ(ステロイドを徐々に減らし、内服を止める)、
発作に対してはステロイドをパルス(最低でも50mg/day)的に内服をを行っていきます。

必ず高熱が出てしまうことになりますが、私も医者ですからね、自分で何とかしますww
麦飯石パワーソイルで立ち上げたA水槽の中間報告です。

20140802A

本日8/2でちょうど2週間が経過し、水草は順調に育っているようです。苔も少ないです。
7/19の写真 と比較してみてください。
これまでの絶不調を考えると、御の字だと思いませんか?

取り敢えず、御報告まで。
スペインの記事はもう少し待ってくださいノシ
今日はスペイン旅行紀はお休み、水草記事です。

昨日、A水槽をついにリセットしました!


今までは低床に富士砂を使用していたのを、
麦飯石パワーソイル(8L, 黒パウダー)に変更しました。

水草が全く育たない原因として、低pHや、CO2過多、K欠乏、微量元素欠乏などを疑っていました。
色々アドバイスを貰って試行錯誤していましたが、原因究明はできず、水草も全然ダメ!
水草は枯れはしないのですが、発根が殆どなく、著しい新芽の生育不良が見られました。
別水槽の状態の良いハイグロフィラを移植すると、新芽が真っ赤に染まり、生長が止まります。

根の生育が悪いということは、理由は分からないが低床の相性が悪いんだろうと推測し、
リセットついでに水草育成における王道、ソイルを使おうと決めました。
私が住んでいる地域の水道水の水質はpH 6.8 GH 1と弱酸性の軟水で水草栽培に最適です。
むしろ、ソイルを使用することで極端な酸性に傾くのは水草栽培において良くないのかも?
そう思って、当初は水草一番サンドを買おうかと思ったのですが、売ってないんだなこれが。
お店のお兄さんに相談したところ、それより良いのがあると教えて貰ったのが麦飯石パワーソイルです。
水道水環境は私と似た環境で、このソイルを使った水草販売水槽は確かに状態が良さそう。
これを買うことに決めました。かなりお値段が張りますが、資金は潤沢にあるし♪

お店のお兄さん曰く、
 ・ 低pHで水草が不調になることはあまりない。pH5でも問題なく生育する
 ・ 全ての水草が育たないということだから、CO2添加を止めているのが原因だと思う。
 ・ 初期からCO2添加するべき。CO2添加時と無添加時とで、pH差があることを確認する。
 ・ CO2ストーンの位置は検討の余地あり。水流に乗る様な位置に設置を。
と。ふーむ、なるほど。あくまで「CO2入れろ!」という意見でしたね。想定と逆のアドバイスです。

立ち上げの時の写真はこんな感じ。すくすく成長してくれると良いんだけども~。
うまくいきそうなら、マヤカとオークロも導入したいね!
スペースがあればミリオフィラム・ガイアナドワーフもまともに育ててみたいね!

20140719A

【水質】 pH<6.4, GH 4dH, KH 3dH, NO3 <10mg/L
【水槽】 45cm (約42L)
【照明】 ホタルック15Wx2 8h
【濾過】 コトブキ3box(上部濾過)
【低床】 麦飯石パワーソイル黒パウダー8L
【CO2】 CO2ストーンで1秒1滴
【Air】 なし
【初期肥料】 イニシャルスティック
【添加剤】 微粉ハイポネックス、ハイポネックスハイグレード活力液
【水草】 ルドウィジア・ブレビス、ロタラインディカ、ロタラマクランドラグリーン、
ブリクサショートリーフ、ニューラージパールグラス
【生体】 カージナルテトラ、ラミーノーズテトラ、オトシンクルス、ヤマトヌマエビを導入予定
スペイン旅行第5弾。今日はバルセロナのドメネクの建築についてです。

私達はバルセロナに3日間滞在しました。モデルニスモの代表的な芸術や建築に触れることをコンセプトに、ぶらぶら街歩きをしようかなと思いまして。バルセロナといえばガウディ、その一言に尽きるのかもしれません。実際、正しいと思います。しかし、ガイドブックには、ひっそりとドメネクの事も書かれています。何気に世界遺産に指定されているなど、調べれば調べるほど気になってきたので、時間も沢山あることだし、彼の代表作2つを見てきました。

まず、モデルニスモ、この言葉について簡単におさらい。


クローバー モデルニスモ クローバー Modernismo

19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスを中心としたヨーロッパで開花した国際的な美術運動のことをアール・ヌーボー(Art Nouveau)と呼び、「新しい芸術」を意味します。花や植物などの有機的なモチーフ曲線を多用した装飾、鉄やガラスといった当時の新素材を利用している等の特徴があります。

一方、同時代のバルセロナを中心としたカタルーニャ地方では、マドリーの中央政府に対してカタルーニャ独自のアイデンティティを確立しようという思想運動も加わり、アール・ヌーボーと類似した芸術様式が流行しました。これをモデルニスモと呼びます(カタルーニャ版アール・ヌーボーとも)。幾何学模様の多用など、イスラム風の様式を取り入れていることもあります。モデルニスモ芸術家としては、ガウディやドメネクのほかに、プッチ・イ・カダファルク、ジュゼップ・マリア・ジュジョール、ラモン・カザスなどがいます。

クローバー リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー クローバー

Lluis Domenech i Montaner (1849-1923)。ドメネクはバルセロナ建築学校で建築を学び、自身も若くして教授になったそうです。アントニ・ガウディは彼の教え子でありライバル。彼は建築家としてだけでなく政治家としても活躍し、万博開催地の工事監督、カタルーニャ民族主義者組合会長およびマンレザ基準書編集者、バルセロナ文芸協会初代会長、聖ジョルディ王立美術学院教員、バルセロナ議会選出代議士として活躍したそうです(サン・パウ病院より頂いた資料より)。代表建築としてはカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院です。いずれも世界遺産に指定されています。


ヒマワリ カタルーニャ音楽堂 Palau de la Musica Catalana

外観はこんな感じ。赤レンガの建物です。旧市街の狭い通りに面しており、全景は撮影できません(笑) 街灯が写りこみ、美し過ぎるほどの青空です。

音楽堂1

内部を見学するために、音楽堂主催の1時間程度の英語のガイドツアーに参加しました。めちゃくちゃスペイン語なまりでしたが、まぁ何とかなりました。バルセロナを訪れて、このホールを味わわずに帰ってしまうのはもったいないです。外観だけ見学するなんて、仁和寺の和尚と同じですよ(笑)

内部はヒマワリやバラなどの花があしらわれ、優しい雰囲気です。彫刻はヴァルキリーをモチーフにしているって説明していた気がします。ウィーンのMusikvereinが上品な美しさなら、Orfeo Catalaは華やかな美しさです。

音楽堂2

強い日差しのお陰で、ステンドグラスが輝きを増しますね。ガラスを多用しているために音響は今一つとされていますが、そんな事は些細な事に思えてきます。この雰囲気の中で音楽に触れるなんて、これ以上の贅沢はありえません!

音楽堂3

私達は5/26に夜にコンサートも堪能してきました。母に小難しいクラシックを聞かせても楽しめないでしょうから、Johm Williamsの映画音楽(吹奏楽)の演目を聴きました。母も知っている曲が多く、スターウォーズのテーマなど有名な曲でトランペットが大音量でファンファーレを奏でると、ノリノリで楽しんでいるようでした。私は2001年宇宙への旅のレクイエム(リゲティ・ジェルジュ作、2001年宇宙への旅で使用された楽曲)の、クラリネットが多数のパートにdivideして、色々な音が重なり合って不気味な不協和音を奏でるのがとても印象に残っています。この曲はマイクロポリフォニーの手法を用いており、不協和音の様だけど、集中して聴くとハーモニーになっていることが分かります。難曲で、かなり練習したのではないかと思います。

ヒマワリ サン・パウ病院 Hospital de Sant Pau

銀行家パウ・ジルの遺言に沿い、ドメネクの「芸術には人を癒す力がある」という信念のもと作られた病院です。2009年まで実際に病院として使用されていました。最近までずっと修復中だったのですが、2014年3月に修復完了し、全景も内部も見学することが可能です!旅行の計画が9年遅れたおかげで、棚から牡丹餅、ピカピカで人も少ない状況で見学することができました。エントランスで分厚い資料を貰った後、内部を自由散策してきました。ドメネクの信念は素晴らしいですが、流石にこれは度を超えていて、ただの贅沢だと思いました(笑) でも、とても素敵。本当に、素敵です。

外来棟。凝った装飾です。内装はタイルを多用していました。

サンパウ1

こちらが病棟。類似の建物が10個ほど並んでいます。病棟と病棟の間隔はかなり広くスペースをとっており、オレンジの木が植えてあったり、芝が植えてあったりしました。歩くことが出来る患者さんは、お昼休憩にピクニック気分で散歩などしていたのかもしれませんね。

サンパウ2

病棟の内部。緑を基調としたデザインです。左右の壁沿いにベッドを並べて看病していたそうです。こんな広いスペースとこんなに高い天井なんていらんでしょ!と一人つっこんでいました。

サンパウ3

ドメネクは「花の建築家」との異名を持っており、芸術としての親しみやすさはガウディより上であると感じます。ガウディは独特過ぎるっていうか、奇抜すぎるっていうか、アクが強過ぎるんですわ(笑)

次回はガウディの建築レポの予定です。お楽しみに☆