ご訪問いただきありがとうございます✧*。
私の瞳について、
これまでお話しているよ。
日本で1/100000の確立の目の病気、難病指定になっています。
必要な方へ届けたい想いで書いています
突然の難病指定になった私の目ですが、
私の両親の目は、どうなのかってこと
結論は、晴眼者ってこと。
(晴眼者とは・・・視覚に障害のない人のことを言います。)
私の目の異変気づいた両親の話は、
以前のこちらの記事をどうぞ↓
『無虹彩症』という病名は、
私が生まれたときには、まだ浸透しておらず
また今のようにSNSも発展していない時代なので
両親は知る由も、術も無かったんだろうな・・・。
第二子の桃桜ちゃん(ももは)が生まれて
優陽に続いて同じ目の病気とわかった時
両親と話したこともあったんだよね。
わたしの母は
「ごめんね、不憫でならない。」
と泣いていたこともあった。
わたしは、母の涙や想いを汲み取る一方で、
「でも、
この病気と
一生付き合って
乗り越えていかなきゃ
ならないのは、
優陽と桃桜なの。。
辛いのは彼女たちの方なの。
だから泣かないで。」
そんな風に告げました。
その時、母は、こう続けて話したの、
「優陽や桃桜の
目に何かあったら、
私たちの角膜でも
何でも使って!
どうか良くなるように」と。
孫を救いたい想い。。これに尽きるのでしょう。。
やっとスマホを使いこなせるようになった母は
孫たちの病気について検索しているようだった。
調べれば調べるほど、
つらい現実に
向き合わないといけなくなり
いたたまれない
気持ちになっているのだと
思いました。
だからこその
母の精一杯の想いなのでしょう。。
両親世代の、
神に祈るような気持ちが
精一杯伝わってきたのも、
また事実。。
今日は、孫への想いが溢れたお話。
ここまでにします。
次回は、両親が晴眼者とわかり、
私、エリカの心の崩壊
を書いていきますね。
最後までお読みいただきありがとうございました✧*。
同じような環境にいて、
同じように辛く苦しい想いを
なさっている方へ、
前へと進む力を分けることができたら幸いです。
川崎 エリカ