生涯、眩しい世界を生きていく | 視覚障がいのあるママによる、二人の視覚障がい児ちゃんの子育てブログ♡

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視覚障がい児ちゃんの子育てエッセイ。実際にあったこと、感じたことなど。視覚障がい児ちゃんをとりまく環境を綴っています。

ご訪問いただきありがとうございます⑅◡̈* 

 

ここからは、私の眼のこと

 

少し続けて書いていくね。

 

 

 

私自身が、「無虹彩症」 

 

言う病名が分かったのは、

 

大人になり、

 

長女の(優陽 ゆうひ)が生まれ、

 

優陽の目に違和感を感じて、

 

眼科にかかった時

 

 

無虹彩症っていう病気は

 

網膜の黄斑という部分が

 

正常に形成されないため、

 

眼球の揺れ(眼振)があり

 

視力は0.2前後と低い視力障害。

 

あとは、眩しい。とにかく眩しい。

 

光を調整できない病気。

 

 

私はこの時まで自分が目の病気だってことを

 

知らなかった

 

みんな同じように見えてると

 

思っていたから

 

 

 

 

小学校4年生に眼鏡をかけ始めてグラサンハート

 

「みんなより視力が悪いんだなぁー。」

 

そんなくらいにしか思っていなかったんだよね。

 

 

 

今では、

 

眼鏡をかける小さな子どもを

 

多く見かけるけれど、

 

私の小学校当時は、

 

クラスに1人、2人と少なく目

 

 

 

私が眼鏡をかけ始めると、

 

周りの人は、珍しがっていた。

 

 

私の母は、

 

よその人に、

 

「みんなより茶目が少なくて眩しいの。」と、

 

「だから眼鏡のレンズが、

 

うすーく茶色く色がついてるんです。」

 

そんな風に話をしていたんだよね。

 

 

「 茶目が少ない?? 」

 

「 へー。という感じ知らんぷり 」

 

診断も茶目が少ないくらいのことでしか

 

伝えて貰っていなかったので

 

病気という認識もなく、

 

ただ、そういうものかな...くらいに

 

しか思っていなかった。

 

 

 

病気であることよりも

 

母は

小さな私に眼鏡をかけさせること、に罪悪感を感じ

 

胸が苦しかったんじゃないかな?

 

 

私に作ってくれた眼鏡は、

 

ローズピンクの可愛らしいフレームサングラス

 

 

少しでも、

 

嫌がらず、

 

眼鏡をかけるよう、

 

両親なりの工夫だったんだと思う。

 

 

そんな両親の想いがあったにも関わらず

 

私は眼鏡がとってもいやだった・・・

 

その理由はまた次回お話するね♡

 

 

私も大人になり、

 

子どもも生まれ、

 

私は、改めて両親へ聞いた。

 

 

 

わたしの眼の違和感を感じたのは、

 

 

いつ頃なのか、

 

どんな症状でそう思ったのか。

 

 

 

 

両親の回答は、

 

 宝石赤 1歳過ぎた頃

 

宝石赤  眩しがって、目を細めていた。

 

 

ってこと。

 

 

 

この異変に気づいて、

 

近くの小児科、

 

眼科、

 

最終的に大学病院へ、

 

と私を連れて病院にかかっていたんだって。。。

 

 

 

眩しがる」

 

これが、気づくポイント だった。

 

 

なにか異変を感じるようなことがあれば、

 

 

後回しにせず、

 

 

眼科にかかったほうが良い。

 

 

 

なぜなら、

 

 

目の神経は一度痛むと

 

戻らないから・・・

 

 

 

 

次回は、眼鏡コンプレックス をお話していくね。

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました✧*。

 

 

 

輝く明日は、今日の困難を超えた先にあります゚+

 

今日も皆さんへほんの少しでも勇気を与えられたら幸いです✧*

 

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  川崎エリカ