寺久保エレナ 〜ニューヨークのサックス奏者の日々〜 -2ページ目

今年も宜しくお願い致します!

 

NYでは、オミクロンが大流行していて、ライブのキャンセルも出ている中、なんとかサバイバルしています。今週から、学校(マンハッタン音楽院の大学院)が始まります。オミクロンのせいで始まりが1週間遅れました。私の学校では、校内にPCRテスト&ワクチン室があり、無料でいつでもテストが受けれるような仕組みになっていて、校則で毎週PCRテストの結果を提出することになっています。

 

今、3月の日本でのライブに向けて色々と動いているのですが、10日間の隔離をして(最近、隔離期間が短くなりました。)行く予定です。今回は、北海道と東京での公演となりそうです。パスポートを見ていたら2020年の10月から日本に帰っていないので、とても楽しみです。無事、行けますように。

 

遅ればせながら、新年の挨拶と、近況でした。

先週、ドラマーのルイス・ヘイズとセッションする機会がありました。

ルイスは、かれこれ10年くらい知り合いで、最近は、家も近所と言うこともあり、お会いする機会も増え、当時のジャズシーンやミュージシャンについて沢山お話をしてくれるようになったので、私自身の記録も含め、少し書こうと思います。

 

私は、噂で「オスカーピーターソンは、ルイスヘイズに厳しかった。」と聞いたことがあったので、本当なのか本人に聞いてみたら。"We had a interesting relationship. (僕らの関係は、なんとも言えない仲だった)"と。ルイスによると、オスカーピータソンは、優しい穏やかなイメージがあるが、実際には、とても厳しく、特にベーシストには、厳しかったと。オスカーが気に入らなかったらすぐに帰りの飛行機のチケットが渡されて、翌日にパッキングをして帰らなければいけなかったそうです。ルイスは当時、Freddie HubbardやJoe Henderson、Kenny Barronや他にも音楽的に一緒に演奏したかったミュージシャンがいたが、オスカーのバンドは、休みの日までお金が貰える給料制だった為、良いディールだったそう。

 

オスカーのツアー中、ルイスがパーティーでエロール・ガーナーのレコードをかけたら、クビになったそうです。また別のツアーでは、ツアー中にクビになり、帰りのチケットを渡されて、パッキングをして帰ったら、また電話がかかってきて、やっぱり戻ってこいと言われてまた飛行機に乗って行ったりと。"You have to be tough to deal with Oscar (タフな人じゃなきゃオスカーと関係性を築くことはできない。)" ルイスは、そんなに厳しい事をされても頑張って耐えたのですね。最終的には、オスカーピーターソンとは、心が繋がった特別な存在だったそうです。

 

他にも、チャーリーパーカーがジミー・コブ(当時奥さんがDhaina Washington)「奥さんとCDを出したいのだが」と言い、ジミーが奥さんに尋ねたところ「I don't wanna play with that drunk mother ***** (あんな酔っ払いと演奏なんてしたくないわよ)」と断った話など。

 

ルイスは、女性のシンガーは、とても性格のきつい人が多かったと言っていました。しかし「Nancy Wilson was nice lady. (ナンシーウィルソンは、素敵な女性だった。)」と言っていました。

 

ルイスは、ワインが大好きなのですが、演奏が終わるまでは、頑なに飲みませんでした。自分なりのルールがあるようでした。セッション中も「次は、少し早い曲できる?練習したいから!」など、言っていました。あとは、ここでは説明できない爆笑話なども沢山聞かせてもらって、本当に面白くて、個性的なキャラクターです。

 

実際にジャズの黄金時代にいたプレイヤーが少なくなっている中、ルイスが沢山教えてくれるのでとても勉強になっています。何か、気になる質問があれば教えて下さい。興味深い質問であれば聞いてみます。

 

 

 

 

 

週一のペースでのんびり更新して行きたいと思います。

 

次の宿題の曲を自分で決められると思っていたら、教授が決めるとの事でした。私は、Don Redmanの"Chant of the Weed"と言う曲について調べなさいと課題を出されました。

 

皆さん知っていましたか?Don Redmanと言う人を。Don Redman (1900-1964)は、Dewey Redmanの父、Joshua Redmanの祖父で素晴らしいビッグバンドアレンジャー&アルトサックス奏者(その他木管楽器)です。

 

1923年から27年まで、Fletcher Hendersonのビッグバンドのメインアレンジャー&サックス奏者として活動していて、3人のクラリネットのアレンジメントが彼のシグネチャーサウンドでした。この楽曲"Copenhagen"は、3クラリネットのアレンジメントが聞きどころです。

 

 

1931年に自分のバンド"Don Redman and His Orchestra"を結成して、録音した曲が今回の私の研究の課題曲"Chant Of the Weed"です。この頃は、ラジオ放送か普及してきた頃で、アメリカ中に自分のバンドを知ってもらうには、ラジオ放送は、とても良い手段でした。番組で誰のバンドが演奏しているかがすぐわかるように、それぞれのバンドに”テーマソング”がありました。この曲は、Don Redmanのテーマソングとして使われていました。20年代のフレッチャーヘンダーソンバンド時代の彼のシグネチャーサウンド、3クラリネットは、31年のこの曲のアレンジでは、サックスに代わっていて、今のビッグバンドのサウンドに近づいてきているのが分かります。Don自身をフューチャーし、ソロサックスも吹いています。

 

 

 
この曲は、有名なカートゥーン "Betty Boop”のオープニングでも使われていました。この時代は、アニメにもバンドが使われていて、豪華ですよね。
 

 

私のウェブサイトのメルマガをご登録の方は、毎月の最近の近況でお知らせしましたが、9月からマンハッタン音楽院に修士課程に通っています。

 

バークリーと比べ教科によっては宿題が多く、大変なこともありますが、とても勉強になっています。1クラス15人前後の小編成での教育なので、質問や発言もしやすく、とても楽しいです。

 

特に課題が多いのは、ジャズの歴史の授業で、今学期は、ジャズの起源(アフリカ)から1920年までのジャズの勉強を歴史背景と共に勉強していきます。先日は、課題のリサーチペーパーを提出しました。「1920年代のハーレムとJames P. Johnsonの音楽」と言う研究テーマの紙を書きました。そのプロジェクトがやっと終わり、次は、1920〜30年代のジャズの曲について10分間のスピーチを行います。まだテーマは決めていませんが、James P. JohnsonのCalorina Shoutにしようかなと思っています。時代背景と音楽を比べていたら、1900~30年のたったの30年間でのジャズ発展のスピードがすごいなと思いました。

 

ジャズ史①②③④とピアノ①②③④は、テストアウトと言って、最初にテストを受けて合格すれば修士課の生徒は、クラスを取らなくて良いことになっているのですが、私は、ジャズの起源〜1930年代までが弱かったみたいで、授業をとっています。とても楽しいです。ピアノと1930年以降の歴史は、合格したので取らなくても良いことになっています。小さい時からピアノ習っていて、今になって役に立ちました。

 

 

ハンバーガー食べまくりました!





他にも20レストランがバーガーを出店してましたよ!楽しすぎて、演奏の時間に遅れそうになりました😅😂ちなみにこれは、オープン前の写真でオープンしたら、チケットが300ドルなのにもかかわらず、人が山ほど来て、驚きました。バーガーの力恐るべし🍔