前回の記事

 

‐【新コロ雑感】感染者でなく死亡者の数が大切だ‐

 

 

・コロナ騒動に馴染むことが 『人民』の守るべき「部」?

 

 

 

 

 

2020年11月26日号 『週刊文春』記事より

 

-東京大学「マスク効果は限定的」-

 

最近、一連の「コロナどんちゃん」を一歩引いたところから見て、中身のない洗脳記事を書く『週刊文春』をよそに、むしろこれらマスコミの扇動大衆の服従“本源的なルーツ”があるのではないかという、ひとつの問いが生まれてきた。

 

政府マスコミ「コロナヤバい」という情報を示すこと、それに人民(国民)が呼応する『相互の部』によって構成される“不分の法律”なるものは、かつて福沢諭吉が『すすめ』で「政府は人民の名代を借りて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、固く約束したるものなり」と、人民は自らの分を守って政府に従うことが、終局的な“最高善”とされた。

 

その中では、「言論」「学問」「出版」の自由も、おのずと政府に関わることはNGとされ、各種人民は、それら『公の常識』を覆すことは、すなわち世間(社会)の和を乱す行為とされ、いずれも奨励されぬ行為とされる。

 

要するに、日本社会で暮らす大衆「求められること」は、ひたすら政府や世間を合わせた『公への従属』であり、少しマシなら『追従』という立場を取るこそが、まさに福沢が思い描いた日本国の“美徳”であった。

 

少し話がそれますが、なぜ日本人の大多数が『民主主義国家』のタテマエを背負った「市民」でありながら、『政治忌避』という権利放棄に向う「実質的臣民」に成り下がるのは、概ね福沢諭吉が述べた大日本帝国の延長であり、彼は自由民権を極度に嫌い、自身の教育論や慶應義塾の学生・生徒に向けて「政治の思想」を持つことは必要とて、政治には絶対に関与してはならないとしました。

 

無論、これは民主主義の完全崩壊を促すだけに、『学問と政治の分離』が成就された暁には「政を施すにもやすく・・・・・・双方の便利これより大なるものなかるべし」(『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』 杉田聡著 インパクト出版会 53頁)と、時の為政者や政治家を喜ばす確信的発言をしています。

 

-福沢諭吉「日本の雇用契約は『主人と従者』」-

 

前記事で、彼の「思想的エグさ」の一部を述べましたが、彼自身『すすめ』において「人民(日本国民)の無気力さ」を絶望視して、「家に飼いたる痩せ犬のごとく、実に無気力な鉄面皮」と揶揄し、天皇絶対主権全国民の報国精神を説いた『帝室論』では、むしろ彼ら大衆を「教化の対象」として、教育勅語や宗教を総動員することを述べた。

 

つまり、『公』天皇であれ、政治や世間の複合体であれ、それらが危険視・敵対視した物事「死ぬまで同意すること」を無条件で求められ、ある種の“戦争状態”を鼓舞し、付き従う「日本臣民の覚悟」をことごとく確認する。

 

「国のためには財を失うのみならず、一命をも投げ打ちて惜しむに足らず」(③44)が、それである。それは『概略』では、「一片の本心において私有をも生命をも投げ打つべき場所とは、まさに外国交際のこの場所<当時の日清戦争>となり」(④205)と表現されていた。それが論説「日本臣民の覚悟」では、激烈な調子を帯びて再現されるにいたっている。

 

すなわち、「こと切迫にいたれば、財産を・・・・・・投げ打つのはもちろん、老少の別なく切り死にして、人の種の尽きるまでも戦うの覚悟をもって、ついに敵国を降伏せしめざるべからず」(⑭545=201)云々。

 

これはほとんど、十五年戦争期<日中戦争>に国民に強いられた「一億玉砕」の覚悟を思わせる(安川⑤250)。

 

すでに福沢は、この論説に先立って日本で第二位にあたる巨額の義捐金を拠出し、その際の感慨を公表しているが、そこで報国の大義は、「いかなる事情あるも、いかなる困難あるも、全国四〇〇〇万人<当時の日本国人口>の人種の尽きるまでは一歩も退かずして・・・・・・」(⑭515=48,S.⑭597)と記されていた。

 

※<>は筆者注/傍点はアンダーライン

 

同 127頁より

 

意味不明なコロナ騒動において、どんなに経済が疲弊して、破産者やホームレス自殺者が急増しようとも、彼らの窮地を理解しようとせず、卑怯で愚かな沈黙を貫き通し、保身全開の似非リベラル「組織」に準じる大多数の国民『冷酷極まりない精神』を理解するにおいて、福沢の論説が、その解読に大いに役立つであろう。

 

まさに「外国交際」が、現代のコロナ戦争と代入するならば、その本土決戦において『神州』たる日本列島は、未曽有の「恐怖サティアン」と化し、多くの人々が洗脳され、その尖兵と化し、同調圧力(自粛・マスク全体主義)や、『公(政府・世間)』に従わない謀反者(アンチコロナ論者/感染者/未マスク者)に対する私刑が横行するのは、別段驚くべき事態ではなく、むしろ歴史を未清算のままにしてきた民族の“成れの果て”であるのだ。

 

 

・対する『週刊新潮』の「理性的記事」

 

 

 

2020年11月26日初霜月増大号 『週刊新潮』記事より

 

いつも反中国や南北朝鮮に対する露悪的言説を並べるカス週刊誌でしたが、こと新コロ騒動においては、コロナ全体主義感染者ゴリ押し報道に対する「勇気ある掣肘」を加える、立派な記事を書いているなと思いました。

 

 

<参考資料>

 

・2020年11月26日号 『週刊文春』記事

 

・2020年11月26日初霜月増大号 『週刊新潮』記事

 

・『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』 杉田聡著 インパクト出版会

 

 

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