・在日コリアン友人ともに衝撃を受ける事件


とても無慈悲な事件です。

 

 

2020年10月8日号 『週刊文春』記事より

 

私自身、連日コロナウイルス騒動をウォッチしながら、あらゆる不条理や矛盾を体験し、いわゆる『同調圧力』『集団心理』について考える機会が増えました。

 

‐竹内さんで4人目『過度な自粛』が奪った命たち‐

 

たしかに、今も北朝鮮はアメリカと「戦争中」であり、絶えず主権を脅かされる非日常下で、さらには医療インフラも整っていない状況で『コロナ対策』を重要視することに、それなりの正当性はありますが、亡命者を「コロナ感染の疑い」があるかもしれないから“いきなり射殺”という事態に、かなりピリピリした空気を感じてしまった。

 

本当にこれで良いのだろうか。

 

こういうニュースを見ると、在日コリアン友人ともども、もし自分たちが「コロナ対策に協力しない」と言ったら、命を奪われるのかなと、かなりの“重大なる疑義”を抱いたことは包み隠さずお話致します。

 

最近よく感じることは、『宇宙人である自分たち』にとって「現地の地球人たち」と、どうもうまくやっていけない感が強く、彼らの感性ともまったく合わないし、仮に同胞だろうと例外でなく、あらゆるコミュニティで“そぐわない感”があるのが実際のところです。

 

ありていに言えば、私たちが青春期に聴いたパンクやロックンロールのアーティストたち『人生の師』として、今も心の中で生き続けていることくらいですかね。

 

物事に『絶対の正義』もないのは事実だし、ある一方の主張や論理を「大勢で固めるなら正しい」とする考えは、まるで20世紀の発想で、歴史の遺物として過去に置いてくるべきものだが、殊に”集団意識の高い国々”にとっては、ある種の絶対善として繰り出されている。

 

つまり、この中でなじめない者に「人権はない」というわけです。

 

人々はただ黙って、国家や組織なりの言うことを聞いていれば良いのであって、そこに「自由」だとか余計な感情はいらない。ただ生活のため、半ば中身のない生に固執して、これが大きな塊となれば、他者を威圧する暴力となり、そこに矛盾があろうとお構いなし、それいけどんどんと、なし崩し的に『集団心理』は暴走していく・・・。

 

 

 

2020年10月1日(木曜日) 『夕刊フジ』記事より

 

↑こういうロボットたちが、隣国の北朝鮮中国「独裁的だ」と攻撃するが、いやはや「お前たちにそのことを言う権利はない」と、ハッキリ突きつけられる動機が、今回のコロナ騒動で見つけられました。

 

‐組織に靡くマスクロボットに告ぐ!(マスクしない人の主張)‐

 

 

 

『BOOWY / WATCH YOUR BOY (DEMO)』

 

https://www.youtube.com/watch?v=XdrojX_lkRk

 

”社会“という死ぬまで干渉し続けてくる『親』に、絶えず翻弄され、期待にそぐえない人間は「勘当(抹殺)」する環境で、いつまでも自立できず鬱屈した感情がたまり続ければ、やがて大きな『憎悪の反動』として当事者同士に降りかかり、誰も救われないバッドエンドになるような気もします。

 

 

<参考資料>

 

・Cluttered talk blab blab blab 『亡命者射殺事件について、金正恩が謝罪文を送付』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12627431819.html

 

・2020年10月8日号 『週刊文春』記事

 

2020年10月1日(木曜日) 『夕刊フジ』記事

 

 

<ツイッター>

 

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