・靖国神社≠追悼施設

 

 

2020年9月3日号 『週刊文春』記事より

 

‐「極右」飯島勲氏の正体(拉致解決を叫ぶ一方で歴史を否定する男)‐

 

今まで安倍氏を「庇ってきた」この男の物言いを理解するに、ついに正体を現した構図だ。

 

8月15日の光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)が近づくたびに心に引っかかることがある。今でも靖国神社に無断合祀されている約2万1000人の強制徴用韓国人だ。この人たちの位牌は遺族の意向と関係なく一方的に靖国神社にA級戦犯の位牌と共に合祀されている。強制徴用被害者の位牌を抜いてほしい子孫は絶えず要求してきたが、靖国側は拒否している。何度か訴訟も起こしたが、日本の裁判所「宗教の自由」の問題として棄却した。一方、日本国内では靖国神社から戦犯の位牌を移して健全な追悼施設に変えようという意見があったが、黙殺されている。

これほどになると怒りを越えて疑問を抱く。韓国人徴用被害者の位牌を抜くことがどうしてそれほど不都合であり、また戦犯の位牌だけを移すことがどうしてそれほど難しく非難と抗議の中で維持し続けるのか。これに対して靖国側は「一度合祀された魂は分離できない」という論理を前に出すという。韓日近代交流史の専門家イ・ジョンガク教授によると、、合祀された魂「壷で混ぜ合わさった水」と同じで「問題になる人たちだけの水を別に取り出すことは不可能」というのが彼らの論理ということだ。

この言葉を初めて聞いた時は身震いした。「自由をください/短い生も終わりに近づき/いま望むものはそれだけ/生きても死んでも縛られない魂」というエミリー・ブロンテの詩句のように、私たちは人間が拘束の多い現実と肉体を離れる時、魂だけでも自由で独立的であることを望む。ところが靖国の韓国人徴用被害者は生きていても強制的に軍国主義の付属品として動員され、死去してからも魂が戦犯と一つの塊になって戦争美化の対象として崇拝されることを強要されている。これこそまさに全体主義だ。個人の尊厳と自由に対する最悪の象徴的抹殺形態だ。

 

ムン・ソヨン/コリア中央デイリー文化部長    

 

中央日報 『【噴水台】靖国の奇怪な合祀』記事より

 

https://s.japanese.joins.com/JArticle/243946?sectcode=140&servcode=100

 

英語ブロガーMichikoさんのご指摘どおり、靖国は『アーリントン墓地』ではない。

 

‐芸能人は「政治」に関わるべきではない‐

 

それは日本の裁判所も認める、自分たちの宗教的目的で、位牌を強制合祀する「非公共的空間」だ。ゆえに、飯島氏の「無名戦士の墓云々」の言い訳は通用しないばかりか、単なる己の無知をさらけ出しているに過ぎない。

 

私自身、亡くなれば俗世の物事すべてから解放される「死者の魂」よりも、残された当事者子孫の方々のお気持ちを考えて、隣国との揉め事を進んで引き起こす愚かな連中が、日本政治の中枢にいる限り、この国は永久に「アメリカの属国」として、朝鮮・韓国や中国に牙をむく存在として、歴史的敵対意識をベース『鉄砲玉』としての役割を継続するだろう。

 

-「反日」というお守り言葉-

 

あまつさえ、口を開けば「反日」「反日」と、実際彼らの頭の中では、まともに論駁できる根拠がどこにもないものだから、このような単語にすがってレッテル貼りに固執している。

 

まったくもって、みっともない上につくづく見苦しい。

 

いずれにせよ、人に対する信頼や礼節が著しく欠ける、日本の極右と極左の「内輪話」について、拙ブログでも時折書かせていただいたが、まさに“目くそ鼻くそ”ごとく、自分たちの目的の為ならば、あらゆる環境をぶち壊すことも厭わない、あきれた無責任集団であると言わざる得ません。

 

 

<参考資料>

 

・2020年9月3日号 『週刊文春』記事

 

・中央日報 『【噴水台】靖国の奇怪な合祀』記事

 

https://s.japanese.joins.com/JArticle/243946?sectcode=140&servcode=100

 

 

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