前回の記事

 

‐『歴史を直視すること』は 現在の「不条理を打ち破る力」である その6‐

 

 

・人(国)をレッテル付けて 差別する精神

 

 

さて「朝鮮語」のことですが、私にいわせると、日本人が韓国に行って朝鮮語を学んだということは、ある意味では、“大人の国”になった証拠だと思うのです。

 

かつての日本人の心情を一言で表現すると、下士官根性なんです。

 

相手を見る場合(国家を見る場合も)自分よりも上なのか、それとも下か、とすばやく見て取って反応するところがある。それによって言語態度や行動が、雲泥に違ってくる。相手は自分より優等か劣等か━それを判別する神経が鋭い。それを判別するや、羊のように温和になったり、また逆に鬼面にもなる。

 

つまり相手を尊敬するか軽蔑するか━極端にいうと、この二つに分かれる傾向があった。これも日本的知恵かもしれませんが。古来、中国一辺倒の風土でしたが、あの阿片戦争以来の、古木に似た崩れる姿を見るや、「脱亜論」が唱道されて、二〇〇〇年来の尊敬は軽蔑へと転じたのです。

 

そして明治日本は、弱肉強食に勝った西欧文物を尊崇して、猫も杓子も、英語とフランス語になだれ込んだわけです。

 

そして日本自身も、弱肉強食に敗けてみて、上と下と、左右前後の分別感覚を取り戻して、もう一度隣人関係の感覚を取り戻したといえましょうか。

 

今、日本および日本人が朝鮮語を学ぶというのは一応正しい歴史だと思います。

 

日本の一〇世紀以前を知るためには、朝鮮語ならびに朝鮮の歴史を知らなければならないというわけです。日本の文化接種にはなにか深いコンプレックスみたいな要素がくっついてまわっている。

 

つまり日本は古来、朝鮮の文化を接受しては朝鮮半島をもぎとり、中国文化<漢字文明/文書行政>を吸収しては中国大陸へ押しかけていき、そして欧米の文化を吸収しては欧米に対抗する太平洋戦争をおこしたと私は見ています。

 

このように日本は、相手の先進文物を吸い取って豹変し、その相手の首っ玉をつかんで覇権を争うところがあった。こうして歴史は一回転して、もとの“アジアの隣人”の古巣へ戻ったような気がしますが、どうでしょうか。(本稿は、筆者が金城朝夫氏との対談、また玉城素・長璋吉氏との座談で述べたものである。)

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 251~253頁より

 

 

・ずーっと抱えていた 富者への『コンプレックス』

 

 

‐福沢諭吉の思想をたどる(日本軍国主義の淵源)‐

 

別に「中国一辺倒」が悪いわけではない。それは森安孝夫教授中国文化論をはじめ、厳然たるファクトとして、日本を含む周辺諸国の歴史発展で、それが必然であったからであり、今もそれらの慣習は私たちの中で生きている。

 

‐『歴史を直視すること』は 現在の「不条理を打ち破る力」である その5‐

 

「文化」と「関係性」の柔らかい話

 

日本は、律令体制(中国の法や政治)理解したその日から、圧倒的な中国文明に対する「跳ねっ返り」として、中国を一尊としない「あらゆる理屈」を『漢字』でこね始めた。「天皇」こそ代表例でしょう。その過程で、いたずらに『皇帝国』を僭称し、優越主義の仮面の下「膨大なコンプレックス」を抱えながら、彼らの歪んだ小中華思想「国学」へと収斂する過程で、「皇」への異常な執着心を生み出し、日本こそが『中国』であり(江戸時代の儒学者/山鹿素行・浅見絅斎・佐藤一斎)幕末以後になると、周辺諸国に「敵愾心」やら「侮蔑心」を自己暗示的にかけることによって、かの大日本帝国が生み出され、そのころ欧米列強が持て余した『オリエンタリズム』とも相性が良かったのだ。

 

無論、それらの思考的残滓は、「天皇制そのもの」への批判を鈍らせ(もしくは恐れさせ)帝国崩壊後も根強くこびり付くカタチで、歴史修正主義者にも、はたまた「反安倍」を唱える大西洋主義者にも、あらゆる層へ波及し、今もなお、北東アジアの「分断」を一助する日本人が抱える精神性の『一部』であり続けている。

 

それと同時に、自らの「主体性のなさ」が浮き彫りとなり、無節操な欧米賛美と、これは近代以後の世界「富める者」であった彼らへの眼差しであり、この状況から行くと、現在の状況が「ひっくり返った(シフトした)」時に、理由もなく『中国賛美』へと舵を切るのが目に見えている。

 

それは、かつての軍国主義者が、一夜にして民主主義者に変わったように。。。

 

「中身のないもの」は、淘汰されるべきである。

 

つまるところ、私たちは「自らの立ち位置」を、イマイチ理解できていない。モノリンガル社会ゆえの『閉鎖的空間』で、普遍言語をもち『鳥の目』で世界を見渡すことも出来なければ、ひたすら大マスコミの受け売りで、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、しっかりとした「自己意識」があれば、多くの時間を割いて考える時間を、己に課すことも努力するが、残念ながら、そのような兆候は皆無です。

 

口を開けば、「反日」がどうたら、韓国の悪口ばかり、超大国アメリカを前に、主権を行使しまくっている北朝鮮を「追い落とそう」と、無力な立場で在日コリアンを迫害してみたり、はたまた、天皇制をはじめ、自国文化の『親玉』である中国に減らず口を叩いてみたり、一方で(正しい表現かは分からないですが)「二級市民」として擦り寄ってくる台湾に、幼稚な親近感を抱いたりと、もはやツッコミどころは満載であるが、筆者さまの「古巣回帰」説とは裏腹に、それから50年あまりと、残念な現実が眼前に広がり続けています・・・。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・森安孝夫 『シルクロードと唐帝国』 講談社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『「文化」と「関係性」の柔らかい話』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12545321515.html

 

・中国の歴史 『都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』 平㔟隆郎著 講談社

 

 

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