前回の記事

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編13(韓国と北朝鮮の成立)‐

 

 

 

『南北朝鮮』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/

 

 

・朝鮮戦争の勃発とその歴史的政策

 

1950年春の朝鮮情勢は、二つの事実によって特色づけられていた。

 

その一つは、韓国の経済危機が政治危機に転化しつつあったことであり、今一つは朝鮮民主主義人民共和国側から、特に1949年6月25日に結成された祖国統一民主主義戦線による南北朝鮮統一の働きかけが、きわめて積極的に行われつつありました。

 

前者は、5月30日の総選挙における李承晩派の惨敗となってあらわれた。後者の祖国統一の機運についていえば、50年6月7日『祖国統一民主主義戦線』の南へ向けての南北統一協商会議開催のアピールによって、それは活発化した。しかし韓国政府は、共和国(北朝鮮)からの呼びかけを拒否し、国連監視下で南北合同の選挙を行うことをあらためて提唱した。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編11(南北分断の「戦犯」アメリカ)‐

 

モスクワ協定をぶっ壊し、国連憲章違反である「戦後処理の問題」を、軍事力と経済力で私物化した国連の場で、どうしてまともな選挙監視が出来るというのだろうか。

 

朝鮮人民自身による祖国の統一か、それとも国連の力による統一か━

 

統一のための努力は、この基本対立を平和的には克服しえなかったのである。

 

1950年6月25日未明、ついに38度線における韓国軍と共和国警備隊との間の武力衝突を導火線として、朝鮮戦争が勃発した。

 

 

『朝鮮戦争(1950‐1953)』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

 

時はあたかも、アメリカはかなり深刻な戦後の経済恐慌に襲われていた。

 

アメリカ独占資本は、経済的困難の打開策として「経済の軍事化」ないし戦争の勃発を切望していた矢先でありました。

 

戦闘が開始されるや否や、アメリカは直ちに国連の安全保障理事会緊急会議で、ソ連欠席のままで(中華人民共和国の国連加盟を提案したが、国府政権を正統とするアメリカ側に阻まれて、50年1月13日以来、安保理をボイコットしていた)、一方的に共和国(北朝鮮)を「侵略者」と断定させ、国連による軍事制裁を決定し、国連軍司令部を設置すると同時に、李承晩派の側に協力な軍事援助を開始した。

 

 

・実質上のアメリカ軍 国連軍の派兵

 

 

『朝鮮戦争への介入を宣言する宣誓書へのサイン』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

 

「国連軍」側の派兵国16を数えたが、その大部分は米軍でした。

 

ゆえに、この戦争は事実上の北朝鮮とアメリカのガチンコ対決であり、トルーマン米大統領は、「国連軍」の名による朝鮮での軍事行動を展開すると同時に、他面で三つの緊急措置を取りました。

 

①第七艦隊の台湾海峡への派遣

 

②フィリピンにおけるアメリカ軍の増援に関する勧告

 

③インドシナにおけるフランス軍への武器援助強化の勧告

 

アメリカ帝国主義の朝鮮政策は、その全アジア政策と切り離して考えることはできないものでした。

 

 

『故・金日成主席の写真』 (在日コリアン友人提供)

 

共和国(北朝鮮)の側では、金日成首相1950年6月25日午後1時35分、放送を通じて「三八度線のむこうから李承晩の軍隊が北部の地域に攻撃を開始した」(『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 274頁より)と同時に、全力をあげて敵軍とたたかうことを指令した。

 

 

・戦争の「本質」

 

後の軍産複合体の影響力拡大含め、自らの帝国主義的な利権やビジネスのために、暴力的な軍事力を行使して(もしくは諜報的な政権転覆)、他国の主権や民衆の権利を奪うやり方は、この先の世界史におけるアメリカの「お家芸」と化す。

 

朝鮮戦争━それは、アメリカ帝国主義による朝鮮侵略戦争であり、朝鮮民衆の手で自主的かつ平和的に祖国の統一を成し遂げようと努力していた朝鮮人および共和国(北朝鮮)政府の立場からすれば、アメリカ帝国主義の侵略から祖国の自由と独立を守り抜くための民族解放戦争であると同時に、南朝鮮(韓国)におけるアメリカとそれに結び付く李承晩一派の他律的反動政治の下で苦しむ民衆を解放して祖国を統一するという、きわめて民衆の側に立った課題を遂行するために、旧体制が強いる冷酷な現実から、己の生存権を守るための全国民的な「革命戦争」と位置付けることができます。

 

また同戦争は、1949年の革命によって成立した中華人民共和国と中国人からの立場からすれば、自国の革命を擁護し、プロレタリア国際主義の立場にたち、朝鮮人を支持・激励するという『抗米援朝』の国家防衛戦争の性格をもつものでした。

 

要は、誰が一番強く、金の力で世界のあらゆるシステムを牛耳り、その横暴によって翻弄される「被害者」がいて、これに反対する人たちの命がけのたたかいが繰り広げられたことです。

 

 

・たたかいの流れ

 

具体的な戦局は四つの段階に分けられる。

 

①1950年6月25日から同年9月15日まで、共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍の積極攻勢によって南朝鮮(韓国)のほとんど全域が解放された時期。

 

②1950年9月16日から同年10月24日まで、仁川(インチョン)上陸作戦を突破口とする「国連軍」の大規模な総反撃の時期。

 

③1950年10月25日から1951年6月10日まで、中国人民志願軍が朝鮮戦争に参加し、朝中人民軍が反撃に転じた時期。

 

④1951年6月11日から1953年7月27日まで、戦線の膠着および停戦会談の開始・中止・再開などを経て、停戦協定の正式調印を見るまでの時期。

 

 

・アメリカの戦争犯罪 焦土と化した朝鮮半島

 

アメリカは、この戦争に200億ドルの戦費7300万トン以上の軍需品と、陸軍の3分の1空軍の5分の1海軍艦隊の主な部分を総動員したばかりでなく、15の追従国の軍隊と韓国軍などで、合計200数十万の大兵力と莫大な戦闘技術資材を投じた。

 

また、ナパーム弾細菌兵器など、非人道的な大量破壊兵器を使用したのみならず、原爆投下まで計画して朝鮮民衆を脅迫したが、中国民衆を含む全世界から批判をくらい、ついに朝鮮人たちを屈服させることができませんでした。

 

 

『永田町茶番劇場 Vol.2 〜2015.8.25 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会〜 』 ※米軍の戦争犯罪に対する安倍総理への追及

 

https://www.youtube.com/watch?v=OctefcN8_oM

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 最終回(反対闘争の意味と成果)‐

 

「アメリカは、朝鮮戦争中、第二次世界大戦中に太平洋戦場全てに投下したより多くの爆弾を朝鮮民主主義人民共和国に投下した。32,000トンのナパームを含むこの絨毯爆撃は、軍事目標と同様、しばしば意図的に民間も目標を定め、戦争に勝つために必要だったものを遥かに越え、朝鮮に壊滅的打撃を与えた。何千人もの無辜の文民が死亡し、都市全体が破壊され、更に遥かに多数の人々の家を失い、飢えさせられた。この戦争の支持者で、後の国務長官ディーン・ラスクは、アメリカが「朝鮮民主主義人民共和国で、動くもの全て、積み上がっている全てのれんが」を爆破したと言った。爆弾の破片に殺され、焼き殺され、煙で窒息した平壌住民は数え切れない」(「アメリカ人は朝鮮民主主義人民共和国にしたことを忘れ去ったた」、Vox World

 

マスコミに載らない海外記事 

『タカ派をなだめるため北朝鮮とのサミットを駄目にしたトランプ』

 

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-48c7.html

 

激しい戦争によって、南北朝鮮の国土は破壊され、民衆は大きな犠牲を強いられたが、アメリカ軍側も39万「国連軍」全体で109万の死傷者を出しました。

 

アメリカは、3年1ヵ月あまりの戦争期間の後、ついに停戦協定に署名せざる得なくなった。

 

 

『朝鮮の板門店で休戦協定に署名する両軍代表』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BC%91%E6%88%A6%E5%8D%94%E5%AE%9A

 

協定に調印した「国連軍」側のクラーク将軍は以下のように述べた。

 

 

『マーク・W・クラーク陸軍大将』 (同)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF

わたしは朝鮮において、合衆国軍隊の指揮官として合衆国の歴史上はじめて勝利のない停戦協定調印という芳しくない栄誉をえた

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 275~276頁より

 

それまで負け知らずだったアメリカ軍は、歴史上はじめて敗北した(戦争目的の不達成)。

 

‐新シリーズ・朝鮮統一と日本を考える その3(停戦協定とジュネーブ会議①)‐

 

停戦協定は、朝鮮人民軍最高司令官・中国人民軍司令官・「国連軍」司令官三者によって調印されたのであって、韓国軍司令官は調印に参加する権限を持っていませんでした。

 

結果、朝鮮戦争によって半島全域を自国の勢力におこうとした、当初のアメリカの目論見は完全に潰えただけにとどまらず、第二次大戦後、全世界でその支配権をほしいままにしてきた「米国の権威」は、はじめて下り坂に向かい始めた。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

・マスコミに載らない海外記事『タカ派をなだめるため北朝鮮とのサミットを駄目にしたトランプ』


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-48c7.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

ブログランキングに参加しております。

皆さまのご支援が頂けるとありがたいです

(下のバナーをクリック)

 

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村