朝鮮統一がほとんど実現可能な手続きの国際的討議に踏み込んだのは、朝鮮戦争停戦協定に基づく1954年のジュネーブ会談においてでした。


1953年7月27日調印された停戦協定の正式名称は、


『朝鮮人民軍最高司令官および中国人志願軍司令官を一方とし、国連軍総司令官を他方とする、朝鮮における軍事停戦に関する協定』といいます。


この協定において、アメリカはそれまで形式上その存在を否認していた、朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国の司令官を、外交交渉の相手方として認めなければなりませんでした


またここでは韓国軍司令官がまったく権限を与えられていないことは、米韓の統帥関係上当然とはいえ注目しなければなりません。そしてこの協定は、戦争から半世紀経った今日も、なお厳然として法的に生きているのです。


このようなアメリカの世界戦略は、東アジアの地においては韓国や日本、台湾を筆頭に、私たちの住む国日本を眺めても、『日米同盟』数々の地位協定沖縄の基地問題を俯瞰しても、否応なしに認識させられる現実であります。



本題にもどって、停戦協定『第五条附則第六一項』によれば「本協定に対する修正と増補は、必ず交戦者双方の司令官によって相互に合意されなければならない」とあり、「本協定の各条項は、双方が共同で受け入れた修正および増補または双方の政治的水準における平和的解決のための適当な協定中の規定によって明確に代置されるまでは、継続効力を有する」とされています。


ここで重要なのが、停戦協定の題目を見ればわかる通り、「韓国」にはまったく権限が与えられておりませんから、そもそもの停戦協定を結ぶ「相手」ではないということです。


つまり、その「相手」となる主体は、文字通り、国連軍総司令官を擁するアメリカ合衆国であり、朝鮮戦争で実際に交戦した国であり、北朝鮮が今日まで停戦協定を平和協定(体制の保障)、ゆくゆくは半島の統一を成し遂げる「交渉相手」として臨まなくてはならないのであり、数々の核実験やミサイル実験にせよ、文字通り世界最強の国力と武力を誇る米国と渡り合うために必要なカードとして、現実的なものであり、その属国であり「基地国」でしかない韓国や日本に攻撃など絵に描いた餅でしかないのです。


それをただ感情的に、無知がゆえの一方的な朝鮮憎悪に引っ張られて、「北の挑発だ!」と吠えるのはいささか現実を見誤っております。第一、日本人はリベラル含め、単なる「理性のない危ない国」と結論づけておりますが、冷静に考えてあのアメリカ相手に戦争をし、それに耐えた上で、実に半世紀以上も存続している事実。これはまことにもってしたたかと言わざるえないですし、そうした数十年の苦労を考えても、韓国や日本は交渉の眼中にはありません。


そもそも、これらの国は『停戦協定』の主体でありませんし、むやみにしゃしゃり出てアメリカの鉄砲玉になるなら話は別ですが、仮にそうなれば日本を含め東アジアは地獄の渦になります。



そしてこの協定は、調印当日「国連軍」側参戦16ヵ国が発表した共同声明においても承認されました。


※(参戦16ヵ国とは、オーストラリア、ベルギー、カナダ、コロンビア、フランス、ギリシャ、エチオピア、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、フィリピン、タイ、トルコ、イギリス、南アメリカ連邦、アメリカ合衆国)


これらの国連軍参戦国側は次のように述べ、「朝鮮戦争に軍隊を参加させられた我々国連加盟国は、国連軍総司令官が停戦協定を締結することに決定したことを支持する。我々は、同停戦協定の各条項を全面的にそして忠実に履行することにした。我々の決定を確認し、協定の他方の当事者も同協定の条項を慎重に遵守することを望む」としました。


さらに国連が、1953年8月28日の総会『朝鮮政治会談に関する協議文』のA項「朝鮮停戦協定第四条第六〇項の履行」を決めて、締約双方の義務を確認したことは重要です。


そこでは「(3)『朝鮮問題の平和解決を保障するために、ここに双方の関係各国政府に対して停戦協定が署名され、かつ発動してから後三ヵ月以内に、それぞれ代表を派遣して、双方の間で、より高級の政治会議を開き、あらゆる外国軍隊の朝鮮撤退、および朝鮮問題の平和的解決などの問題について協議するよう申入れる』という停戦協定の勧告に留意し、(4)このような会議の招集を歓迎する」━と定めています。


この停戦協定において定められ、勧告された「政治会談」は、当事者間の予備交渉ではまとまらず、翌年54年1月のベルリンにおける米・英・仏・ソ四ヵ国外相会談で合意し、同年4月26日からジュネーブで開催されました。朝・中側にはソ連が加わり「国連軍」側では南アフリカ連邦が不参加たったので、19ヵ国の会議となり、タイ、ソ連、イギリスが輪番で議長を務めました。



この会議において、停戦協定に定められた「外国軍隊撤退」の方法と「統一問題」が討議されました。



<参考文献>


『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房