
こんばんは。
今回は、5/14に自分の誕生日を迎えた節目に合わせて、「これまでの自分のゲーム歴や活動、そして半生を振り返る」というテーマで、自分自身の事を語っていこうと思います。
これまでブログであまり話さなかった「私」という存在。
今回はそれを総まとめとして綴る話の2025年版です。
気付けばアメブロで書き始めて8年目。
これまで見て頂いている方や、新たに見て頂いている方向けて、自己紹介的な側面も兼ねて書こうと思いました。
過去に似たような自己語りの記事を書いたことはありますが、そこから月日が経ち、いくつか話しても大丈夫そうな話も含め、私自身の数奇な物語を語っていきます。
今回の記事は、約8000字の非常に長い内容です。
全てが自己語りと私の半生を振り返る話で、これまでの記録という意味を込めて書きました。
私について興味がある方向けに。
もちろん、流し読みでも大歓迎なので、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
物語調に書いていますが、内容のほぼ全ては事実です。
それでは書いていこうと思います。
①誕生ーゲームとの出会いとFPSの起源
私のネット、オンラインゲーム歴は、現在進行形で18年ほど。
気付けば、人生の半分くらいをネトゲ、オンゲの世界を中心に渡り歩いてきました。
そんな私のゲームとの出会いは、物心ついた時に出会ったスーパーファミコンの「マリオコレクション」。
父親が遊んでいたゲームを一緒に見ていたのが始まりで、その後はN64やゲームキューブなど、任天堂のゲーム機を中心にプレイ。
そして、中学生の時に友達が遊んでいた闇のゲームと出会いますw
そのゲームは、今はサービス終了してしまったゲームヤロウ運営時代のオンラインFPS「サドンアタック」(2007年)。

30代近くのゲーマーなら、このゲームの名前を聞いたことがある。
もしくは、遊んだり熱中していた方も多いのではないのでしょうか。
それまでFPSゲームは、N64の「ゴールデンアイ」や「パーフェクトダーク」しかを知らなかった私にとって、、、
オンライン対戦でマウスとキーボードで撃ち合うこのゲームは、どんなゲームよりも刺激的で面白く、PCにインストールしたその日から、毎晩朝まで超熱中するほどハマりました。
典型的なネトゲにハマる人のテンプレですね。
私が夜型人間になってしまったのは、大体このゲームのせい…にしておきましょうw
サドンアタックは、まさに私のゲーム人生に1番影響を与えたゲームと言っても過言ではありません。
約20年近く経った今でも、FPSゲームをやり続けているのですから。
またこの頃から、PS1&2の「バイオハザード」や「サイレントヒル」などホラーゲームにも触れて遊ぶようになりました。

当時の自分は、よく深夜に震えながらこれらのゲームをプレイしていました。
今の私を身近に知る方からすれば、全く信じられないと思いますw
特に印象に残っているのはサイレントヒル1で、PS1だからポリゴンですし、視認性もバイオより悪くてかなり怖かったですね。
GC版バイオ1と同じ、「進む事を躊躇う恐怖感」と言えば伝わるでしょうか。
※画像はSH2リメイク。

でも今では、そんなホラーゲームを笑いながら酒飲んでやってしまうと言うw
サドンにドハマりした翌年には、当時大人気だったゾンビモードが実装された頃の「カウンターストライクオンライン」。
こちらも今現在はサ終。
また、高校時代はよく遊びに行っていた友達の家で「カウンターストライク1.6とソース」を遊んでいました。
当時の2000年代は、今のような「ゲーミングPC」と言った単語が存在せず、お金さえあれば当たり前のようにPCを買える時代ではありませんでした。
PCゲー自体が、一部のオタクやガチ勢がする世界だったと思いますし。
当時の10万円ちょっとの低スペなノートPCで、カクカク動作でも夢中で遊んでいたのはいい思い出です。
ネットで知らない人と会話をするようになったのは小学生の頃で、その時はADSL回線。
いわゆる電話回線でネットを繋ぎ、夜中に見ず知らずの誰かとチャットをしていました。
サドンアタックを始めた頃は光回線でした。
今振り返ると、遠い昔のようで懐かしいですね。
インターネットという媒体そのものが、発展途上から黎明期の頃だったあの時代。
ネットサーフィンなどが冒険そのもののようで凄く面白かったです。
一方、高校時代は学校に行ってないような友達と毎日朝から晩まで遊びに興じて、その時はゲームから離れていました。
②雛関羽ーPS3との出会いとグループ発足の経緯
月日は流れて、ある日。
あまり話した事がない友達の家に遊びに行った時、とあるゲームと衝撃的な出会いを果たします。
それが、当時PS3ゲームの「コールオブデューティ モダン・ウォーフェア2」(2009年)。

サドンやCSと違い、PS3というコンシューマ機で、誰でも気軽にオンライン対戦ができる手軽さ。
当時はかなりリアルだった最新のグラフィック。
マルチプレイを楽しんで遊んでいる友達を見て、「これは絶対に面白いゲームだし、世界的にヒットする!」と直感的に思って、すぐにPS3とCoD:MW2を中古屋で迷わず購入。
当時はこんなにリアルな現代戦が遊べるFPSは、「CoD4:MW」や「BF:BC」MW2はサドン以上にハマりました。
PS3の購入をきっかけに、搭載されていたPS Homeや、CoDシリーズの後続作品「BO1、MW3、BO2、ゴースト」を通じて、沢山の人と出会い、別れ。

他の様々なゲームで交流を重ねていく中で、徐々に自分を中心としたコミュニティが形成されて今に至ります。
今ではDiscordをメイン拠点とした30人規模のグループとして運営しています。
今だからこそ話せますが、私のコミュニティ発足のきっかけには、「師」と呼べる女性との出会いが強く関わっていました。
彼女がいたからこそ、今の自分があり、彼女が目指していたものを自分が追い続けていくことが、今も変わらない永遠の目標です。

彼女からは、本当に多くの事を教えてもらいました。
この平成当時にはなかった、人をまとめる力、仲間と信頼を築いていくこと、居場所を作るという意識。
今では当たり前な事を、彼女は自然に力として持っていて、それを私に教えてくれました。
ネット上の「私」と言う存在を作る原点なった人であり、今も私の心の中で大きな影響を与え続けています。
彼女の残した想いや教えを引き継ぎ、自分の手でそれを形にしていくこと。
それが、今でも私が戦い続けている理由と強い原動力です。
彼女のことは、単に異性としてではなく、1人の人間として惹かれたかけがえのない存在でした。
ゲームで例えるなら、私の中ではまさにメタルギアシリーズのザ・ボスに近い認識です。
振り返ると、彼女とは10年以上前に出会いました。
気になる人がいればすぐにフレンド申請を送り、パーティに呼んで、PS Homeやいろんなゲームでみんなと遊ぶ。
そんなエネルギーに満ちた、気さくで人が大好きな人でした。
その中でも、よく朝方まで2人で残ってバイオ5や6を遊んでいた事から深い仲になり、彼女の想いと考えに触れた事が、私が大きく変わっていったきっかけです。

お互いに海を超えて、リアルで3回ほど会うくらい仲がよかったです。
しかし、彼女はすでにゲームを引退してますが、これだけ長い年月が経った今でも、心の底から会いたいと思っています。
そう願いながらも、もう2度と会うことはないだろうとも思っています。
師との出会いと別れの経緯の話は、こちらの記事に書いています。
③躍進ー彼女の意思を引き継ぎ戦いへ…
彼女が引退したあと、私は代わりにその目標を追いかけていくため、本格的にオンゲの世界へと踏み込む決意をしました。
そのきっかけは、師の引退と共に自分もゲームを辞めようと思っていた時、私のフレンドの誘いでした。
CoD:BO2のゾンビ謎解きに嫌気がさしていた私に、「Mob of the Dead以降も一緒に攻略したい」と声をかけてくれたのです。
最初は無理そうな条件をつけて断ろうとしましたが、その後本当にクリアした写真が送られ、自分がリーダーとして動く決意を固めました。
その時の話はこちらの記事に書いています。
今でも本当に色々な事をやってきましたが、その中でも目立った経歴を書くと、
①CoD:WAW〜BO3のオリジナルタイムラインに登場する全ゾンビマップの謎解きを制覇。
特に、最後のリベレーションをクリアした時は、本気で泣いたことを今でも覚えています。
しかし、この戦いは、今現在のBO6でも続いています。
②更にCoDに関しては、CoD:MW(2019年)でとある大会にも出場して戦った経験もあり。
MW2では、私と仲良かったクランの方と協同で大会を開きました。
③当時のマックスむらい氏が全盛期だった頃。
パズドラの合間にちょっと宣伝して運営も大型イベントを行っていたスマホMMOゲーム「アヴァベルオンライン」(2013年)で、とあるchを牛耳っていたクランに在籍し、クラン経営と補佐を担当し、バベルの塔を制していた事。
④PS3Destiny1(2014年)では、自らクランを立ち上げてリーダーとして牽引し続け、PvP日本最強クランをオシリスの試練で何度も撃破。
後にそのクランからスカウトされるほどで、このゲームで、私は文字通りのレジェンドでした。
当時の金星レイドの序盤の防衛戦を私だけで2拠点抑える事に成功させて、3人でクリアするほどでした。
⑤旧PSO2(EP3~4時代の2016年あたり)では、最弱性能だったブレイバーのカタナだけで野良緊急で暴れ回っている内に、4鯖を仕切っていたチームに拾われた事。
その後、固定で活躍したり、ボスソロ討伐などあらゆる活動をしてきました。
そして、当時のレイドボスのダークファルス系を全てXHソロで倒し、2017年にはソロ花と呼ばれる超高難易度クエストを初日で「輝光を屠る輪廻の徒花」Sランクリア。
旧PSO2Wikiにて書かれていますが、Sランクリア者がゲーム総人口の約2%弱で、私の聞いた話ではカタナだけで突破した人はいないらしいです。
また、後の2019年。
謎の復活を遂げ、1ヶ月以内に当時のペルソナソロXHを本当に1人で倒し、そのまますぐに辞めると言う謎ムーブ。
この出来事は、今もたまに通話で語られる話の1つです。
今現在書いている旧PSO2の創作小説は、これまでの戦いを自キャラ達を介して追体験している物語。
メイン主人公である零は、私のこの世界での生き写しみたいなものです。

⑥レインボーシックスシージのPC版イヤー1時代(2017年)では、アマチュアプロと大会で互角に渡り合い、準優勝まで進出。
※残念ながら当時の大会の記事などの情報が存在せず、、、
その大会では準優勝までいったものの、優勝を目指して本当にプロを目指していた派と、大会である程度結果を出せただけでも十分と言う派で大喧嘩。
最終的にはチーム崩壊と言う顛末を迎えました、、、
恐らく、ここで初めて人と本気で言い合いをしたと思います。
本当はもっと色々な出来事がありました。
でも改めて振り返ると、この18年間オンラインゲームをやってきて、楽しい事も辛い事も含め一切後悔していません。
中高生時代はゲームにどハマりしていたので、成績も下がっていた不良崩れ。
「オタク」や「ゲームは悪」と、両親や学校の先生など、大人の方に否定されて生きてきた思春期でした。
1番印象的だった言葉は、学校の先生に「君みたいな真面目そうで不真面目な子を見るのは初めてだ」と言われ、ケツをぶっ叩かれた事ですね。
当時は、学校と言う枠に縛られ続けて勉強する事に何一つ意味を感じなかった為、ずっとグレていました。
日本特有の「協調性や集団的社会」と言うものが嫌いですし、適応も出来なかったからでしょう。
通っていた学校には、本当の意味で友達と呼べる子は存在せず、周りは学校を辞めた素行の悪い友達しかいなかったです。
しかし、私はオンゲを通じて、リアルの知り合いよりも長い付き合いとなるくらい友達と出会い。
道外旅行と言う名のオフ会や、ゲームで大きな企画を達成した事。
事ある毎に飯を食い行くくらいの仲となるような友達と出会えたりしました。
私のこれまでの経験や出来事を、見て頂いている人に肯定するつもりはありません。
それでも、18年間オンゲをやっていた事は、決して悪い選択じゃなかったと思っています。
本当の自分として居続けられる環境が、たまたま私の場合は「ネットの世界だった」と言うだけの事。
ネット恋愛も何度かしましたし、昔のオンラインゲームは良い意味で深い出会いがありましたね。
今のネットは、良い意味でも悪い意味でも淡白な出会いしかないので、この歳にして早くも昔に帰りたいなと思う事があります。
④新たな挑戦ーブログを始めたきっかけ
2013〜2017年にかけて、精力的にゲームで戦い活動してきました。
そんな中、SkypeからDiscordへと時代が移り変わる頃(正確にはその少し前のSkype)。
私はこれまで様々なゲームで出会ったフレンドたちを一堂に集め、1つのコミュニティとして統合することにしました。
これは、師がかつて行っていたことを、ついに自分の手で形にしたことでもありました。
そして、年齢的にも一段落ついた私がやりたかった事が心に浮かびました。
- ひとつは、自分でゲームを開発してみたいという夢。
- もうひとつが、自分のブログを立ち上げたい。
ここからブログを立ち上げて書いていこうと始めたきっかけでした。
ちなみに、ゲーム開発は全く実行に移せていません。
最初の頃は、ブログでどんな内容を書いていくか全く考えていませんでした。
そこで、これまで自分がゲームの中でいろんな挑戦をしてきたことを思い出してのテーマが「PSNトロフィーのコンプリート挑戦」。
ブログを始める前から行っていたトロフィー(実績)を全て埋め、100%にすることで獲得できるプラチナトロフィー獲得を目指して挑戦していく事。
その過程で、攻略やレビューを書くための目標として挑戦し続ける方針を打ち立てました。
しかし、簡単にプラチナが取れるものよりも、難易度を重視していたものの方が多かったです。
その大きな成功とも言えるのが、GTA5超高難易度トロフィー「真の黒幕」。
4人仲間が必要で、1度も死なずにドゥームズデイ強盗を2、3、4人用をクリアするという鬼畜ゲーです。
当時は世界でも約1000人近くしか獲得していないほどのトロフィーでしたが、達成したことを1つの誇りにしています。

しかし、PSNトロフィーも取る事に飽きてしまいました。
トロフィー自体が昔から閉鎖的なコンテンツだった上に、コロナ禍や出足の悪さ。
PS5発売も相まって、一区切りとして休止することにしました。
PS3時代のような、意味がわからないほど難しいものに立ち向かって挑戦するゲームに出会えたら、再開するかもしれません。
⑤方途ーブログでの活動と活躍
新型コロナが大流行していた頃までは、主にPS3、4、5のゲームのトロフィー攻略がメインに書いていました。
今現在は、主にPS5とPCゲーをメインに、自分が少しでも興味を持ったゲームを遊んでみた感想や攻略・解説記事を中心に書いています。
しかし、ある意味の私がやってきていることは、逆行しているようなことそのものだと思っています。
今は動画やショートコンテンツが主流の時代。
「文字情報」は圧倒的に見られにくくなった一方で、いいね数やバズを狙うわけでもなく、本当に必要とされる情報や話を書き続けている。
アメブロでも、きっと私の存在はかなり異色な存在だと思っています。
フォローをして頂いた方、同じくゲーム系ランキング上位の方のブログ記事を見ると、人気ゲームタイトルでしっかり書かれているものが多い印象を持ちます。
そんな中でも私は、主に海外・洋ゲー中心、ホラーやFPS、日本人受けしないような18禁寄りのゲームがメイン。
たまによく分からない謎のゲームだったり、本当に人を選ぶゲームばかりw

自分としては、やっていて何よりも楽しく、むしろ「異端な存在」として、これからもやっていきたいと思っています。
また、全ての人に共感や同情を求めている訳ではありませんが、1%の人に共感を得られればいいなというスタンスで書き続けています。
時折、XなどSNSでも自分の名前を目にしたり、参考にして頂いた方がいるのは本当に嬉しいです。
プロフィールにも書いていますが、「少しでも影響を与えられるようなブログを作りたい」。
という目標は、少しずつでも形になっているのかなと感じています。
ありがたいことに、私のブログに訪れてくれている方の約3割は、ブックマーク・更新時・直リンなどから来て頂いています。
アクセス数に関して言えば、CoD:BO4〜MW1時代(2018~2020年)では月間10万PVを超えるほど。
2024年以降から現在にかけて、月間で約8万PV前後を安定して維持しています。
中でも特に印象的だったのは、CoD:BO6発売初期の2024/10/27に、1日で18000PV超えの歴代最高記録を突破。
これは、それまでの2021/06/07(MWウォーゾーン時代)の15000PVを超えた快挙です。

最近では、The First DescendantやBO6以降はAIを用いた情報収集や翻訳作業の効率化を進め、情報の精度とスピードの両方を高めることができています。
ChatGPTにも強い情報のソースとして扱われるほどです。
これからも、面白い事や必要とされる情報、役に立つような事を書けたらいいなと思っています。
BO6発売前に、ブログの第2拠点として「はてなブログ」も開設しています。
こちらでは、アメブロで公開した記事を、より見やすく、深掘りした内容として展開していくので、良ければ見ていって下さい。
⑥そして、この戦線を駆け抜ける
締めとして、この言葉がぴったりかなと思いました。
非常に長い振り返りでしたが、これでも大きな出来事に絞って書きました。
ブログでの自分は生真面目な印象を持たれることが多いかもしれません。
しかし、実際はかなりの気分屋で、よくAB型っぽい人と言われたりもします。
ゲームもその日の気分やテンションでエイム力やプレイヤースキルが変動しますし、ノっている時は向かう敵を全て返り討ちにするくらい。

何事も「やめること」はとても簡単ですが、0から積み上げ続けていくことは非常に難しい。
そんな自分の性格上、
- 迷ったら勘を頼りにとりあえず前に進め!思いたったら即行動!
をモットーに、自分のやりたいことを信じて、ゲーム攻略や読み物として楽しんでもらえるようなコンテンツを書いていく事をメインに頑張っていこうと思います。
そして、18年間戦い続けてきた経験と、師の意思。
様々な時代や形を得て知り合った、今も一緒に戦ってくれている友達や仲間たちとの絆を、大切にしていきたいと思っています。
新たな活動として、先程書いたゲームの合間に旧PSO2の自キャラを主軸にした小説も書いています。
リアルでは、1日の3分の1、もしくは4分の1くらいをゲームしてるダメ人間ですが、、、
それでも、私の活動を見て頂くだけでも嬉しい限りなので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!
最後まで読んで頂いてありがとうございました!!!
余談ですが、同じ誕生日の著名人で、スター・ウォーズの生みの親である監督のジョージ・ルーカスである事にちなんで、私もスターウォーズが大好きです。
ネタに振ると、エド・はるみさんも同じ誕生日です。
でもネタと言いながらも、修士号を取得を目指して頑張っていらっしゃるので凄いですよね。
