Half-A-Room -128ページ目

真に受けろ

守れない約束は大嫌い。
相手の言った何気ない言葉に期待して、それが裏切られて相手を少し嫌になってしまうことも、
できもしないことを約束してしまう自分も。
守れない約束は、私が世のなかでもっとも嫌っているもののひとつだと思う。
私は何かひとつ約束をすると、何が何でも、全力でそれを守ろうとしてしまう。
約束の、その目的よりも、約束それ自体を守ることが第一義になって、がんじがらめになってしまう。
そして守りきれなくなると、果たせもしない約束をした自分に嫌気がさす。
守れなかった約束は亡霊みたいだ。
「~したい、したい」と、できていない、やりたいことばかりたくさんあるのは「死体」がごろごろしているようなものだ、とたしか田口ランディさんの本に書いてあったけれども、それに似ている。
果たされなかった想いは成仏することなく、いつまでも私のまわりをうろうろさまよってる。
江國香織さんの「雨、きゅうり、緑茶」という小説に、「何月何日に、とか、何時にどこで、とか決めないと、成人たちにとっては約束とみなされないらしい」というくだりがあるのだけれど、本当にそうだと思う。
私は例えばまたメールするとか、またそのうちご飯食べに行きましょうとか、そんなのも立派な約束だと思っているから、言われたらしつこくずっと待っている。
そして随分たって一向に音沙汰がないとわかって初めて、どうやらあれは約束ではなかったらしいと気づく。
「また会おう」と言って別れてそれ以降音沙汰がないよりも、何も言わなくても次に現実に誘い出してくれる方が、どれだけ自分に対する気持ちと誠実さを感じられることだろう。
そうは言っても、人のことばかりは責められない。
私は会いたくない人に「また遊びに行きましょう」なんて絶対に言えないし言わないし、最近はそのうちメールしようと思っている人にでも、もしできなかったら申し訳ないので、またメールする、とかもなるべく、言わないようにしている。
もう会いたくない人には「またね」と言うことすら憚られる。
約束することには細心の注意を払っているつもりではある。
それでも、もの凄く気を付けているのにもかかわらず、毎日のように果たせない約束をしてしまう。
電話するって言ったのにしてない
今度バイト先に遊びに行くって言ったのに行ってない─
いかに自分が無意識のうちに多くの口約束をしているか、気づいて愕然とするのだ。
誰もが、いつ何時、何があるかわからない。
今日元気に笑顔で別れても、ほんとうに次に会えるかどうかなんて誰にもわからない。
いつも、誰とでも、また次、はないかもしれない。
そのことは人と付き合う上での大前提だと思う。
だからほんとうは、約束なんかいっこもできない。
でもそんなことは普段は忘れている。
きっとそのうち会えるだろう、
またいつか、
そして軽々しく、約束ともつかない約束を繰り返す。
期待を裏切られるのが怖くて、だんだん、口約束を信じることができなくなってくる。
その場しのぎや、社交辞令的に言っているのかもしれない、
そうでなくても、それは相手にとって約束のつもりですらないかもしれないのだ。
けれど少なくとも、その言葉を言った、その時点では本心を語っているのだ、とは信じたい。
まったく心にもないことを平気で言うことのできる人とは付き合っていないつもり、ではあるからして。
私は彼らの言葉を真に受けていたい。
傷付きたくないからといって、はなからどうせ口先だけだろう、と決めてかかるようにはなりたくない。
だから、真に受けろ、というのが自分で作った、私の座右の銘である。
自分への称賛の言葉も、好意の言葉も、何の気なしの約束も、
何でもかんでも真に受けて、後でいちいち傷付いたらいいのだ。
斜に構えて全て表面で受け流して、好きな人たちの言葉すら疑ってかかるより、そっちの方がよっぽどいい。
そうやって、いつまでも懲りずに人と、人の誠実さを信じていたい。