(※前号:1日目からの続き)。
2日目
昨日、警備員の方にタクシーでも『通行許可証が無くても業者さんなら通れるよ?』と言って下さったので、
(これからも例年とは限らないが・・・)
東京タワー裏から何処まで行けるか?試してみる。
アレ?まだこの9時台だったら前面の道路も動いているので、
正面から黒門へ行けばよかった。
さて、店作り開始!!
(この横のを又、外さないと!!)
2日目は昨日忘れたワイヤーネットを補充し、開店準備!!
S字フックと合わせたり、紐で吊ったり、やっぱり便利なんだよねー
2日目は三重県のNPO法人『希望の園』の方がうちの活動に御感銘下さり、うちのリーフレットをおいて下さったので、
先方の展示物である、三重県で、障碍を出さず三重1位に輝いた作品や、数々の絵画を観賞させて頂いたら、コレが凄いのなんのって、あまりにも感動して、
(衆議院議員選挙で、急遽10月27日→11月24日に異動した『ヒューマンぷらざまつり』の自団体ブースの作成したPRチラシを全部配り終えたので)
希望の園さんのチラシ等を頂き、配布。
それにしても、荘厳で、趣があって、素晴らしい絵画の数々だったなー
※「是非、名を出して紹介をしていい」との事だったが・・・(全作品は流石に)
(↓ほんままい さんが映画いた大賞の『三日月を待ちながら』・この巨大なサイズがタマラナク恰好良かった!!)
こういう空間の作り方もあるんだな。
赤い増上寺『本殿』横の地下から降りる『地下の宝物殿』だったので、外の喧騒とはうって変わって落ち着く空間。
しばし美術館の様な空間をご堪能あれ・・・
(↑あ、元ネタ?は『受胎告知』じゃん!!)
2日目はとにかく必死に配布をしたり、福祉・障碍への理解へのPRを限界ギリギリまでやってみた。
2つ日間でリーフレットを多くのボランティアさんの方々
(2日目のボランティアさんの方々はトランプや百人一首をする間も無かったし、自分より大先輩方に社会経験の云々なんて語る事もせず、閉展の片付けと、何かあってからでは良く無いから休息も取って頂きつつ、媒体配りもして頂き、最後はメンバーの御家族も含めて閉展作業を手伝って下さり←1日目のボランティアの学生さん達は遅くなると学校側にも申し訳無いので、それでも紐を解くとかギリギリまでお手伝い頂き、翌日も同じ様に開催をするので、先に帰し)や、
※当日初めて来て下さったメンバーの『お力添え』も有り500枚は配る事が出来た!!
その他、
・11月24日に変更になった障害保健福祉センターの『ヒューマンぷらざまつり』で出展する自ブースのPRチラシ
(施設長が「うちより早い!!」と・・・だって「こんなにBtoCで、見ず知らずの来場者に手渡しでPRを出来るチャンスなんて滅多にない事ですから、こんなチャンスを逃す手は無いです!!」と出版人・記者・メディアに居た人間としては社会に飛び込んで学んだ経験を活かさない手はない、それが社会から教えて頂いた恩返しと御礼だという意味で、伝えておいた)
・希望の園さんのチラシ、2回貰いに行った。
(よく「うちでも配りますよ」と言って配らない人も居るが、俺は違う、キチンと結果が伴わない言動は好きではないから、『不言実行』で配布した←だってそれぐらい感動をしたのだもの・・・)
3回目も行こうとしていたが、2回目の最中で前区長と政治家さんが来られたので、現状の問題点等~昨年からの問題等を話して全部配り切れなかった。
(前日は、現区長が来て、ヤハリ2日目と同じ話をし、←トップが変わっても問題が変わる訳がないから訴求する事は同じなんだよね・・下から観上げる目を忘れたくない・・・出版社の頃の社長が「複眼を持て」と言っていたなー)
声が届く限り「障碍者関係のチラシを作っております。如何でしょうかー」とシャウトして、
(30代の頃に比べ、50代近くなると、声が苦しい・・、よくB‘zの稲葉浩志や、ロバートプラントは声が出たな・・・
エアロスミスのスティーブン・タイラーは長年声帯を酷使し痛め数ヶ月前にツアーを引退したが・・・再結成後のガンズ&ローゼスと、武道館のブライアンアダムス・ボンジョビ・武道館のクラプトンは行ったが、エアロスミスは行っておけば良かった・・・涙)
先ずここは、放っておいてもお客様が来る『中央通り』ではなく、
・私達側面の通りにも「ん?(何をやっているのだろう?)」と一般の来場者の方々に先ず興味を持って頂く事!!
・そして、自分達の所だけが賑わえばいいのではなく、『福祉部会・各団体のチカラの結晶』の方が、より大きな福祉への理解へ繋がると、私達がブースを出す側面の通りにも人通りを呼ぶ、六本木がまだ呼び込みやミッドタウン等でのチラシが許された時代に覚えた『声出し』のテクニックを使って、通りに人を呼び込み、
↓
うちの通りの全ブースで、福祉への理解や、障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)に様々なそれぞれ違う障碍だが普段、サロン等で一緒に笑い合う仲間達が居るアクティさんとか、知的の人達への収益や、障碍・福祉への理解へと繋げようとした。
(もう15時を超えると、人の流れが少なくなってくる。ソレまでが勝負)
無事終わって帰路に付く、誰も怪我無く安全第一で粛々と出来た。
私達にとって(いや、福祉業界にとって)、今回の事が未来で振り返った時、どう繋がっていき、それを今後『成果』としていくのだろう?
(『後後付け』で勉強をし直したのだが)日本の宇宙開発の父、糸川英夫は「失敗とはいわなかった・必ず『成果』と言った」という。それが、大切な国民の予算を頂いて、世界や人類の未来に貢献をしているプロジェクト・リーダーや公務を行なう人の背中に乗せられた”使命みたいなモノ”なのだろう・・・
『成果』を 無駄にはしない!!