①3年目で緊張をした区民祭りから学んだ事『1日目』。 | IGS-report

IGS-report

未来の為になる取材やイベント活動を行うメディアを目指して活動しております。

令和6年 10月12日(土)・13日(日)

 

1日目

 

『まず媒体作りになった経緯を紹介しておこう』

 

 今年は、令和3年に近くのクリニックで1週間しか塗ってはいけないステロイドを4週間塗られてしまい、末梢が変色し障碍の上に障碍を背負ってしまって、

 

今までこれが「現実」

国の(2カ所目の)仕事での頸椎損傷(←どっちが大変とかではなくて、ヤッパリ民間とは『量』が違うんだよ・・・)。

唾液腺切除での局所感染(人には伝染しないけれど手術をしないと治らないが、手術をすると声が出なくなる可能性がある。)

更に消化器を摘出後(40年目にして臓器欠損も見付かり、本当かな?って。。。)当然予後が上手くいかず、

「病棟長に逆らえないから、過敏性腸症候群にしてくれ」って・・・親子の前で言われ ←口塞がれちゃうかな・・・

 

飲食業や、独立の目標も断たれ、無目的で昼夜逆転のボロボロの生活(それでも腸を動かす為に街歩きはしてきた)で限界がきて

 ↓

区役所に「身体障碍のコミニティーってありますか?」と訊きに行き、

「解からないけれど、金杉橋に障害保健福祉センターという所があり、そこに行けば何か情報が掴めるかもしれない」と言われ、障害保健福祉センターに辿り着き、やっと生活サイクルを持ち直し、次へ行こうとしていた矢先の、

冒頭のステロイドでの事故だった。

(近くの大学病院や権威ある大学病院も、同業者と製薬会社の営業・広告の為に医療事故を庇うし=100年後・200年後、人類に私と同じ薬害が出ない様にする事が医療人としての使命だと思っていたし、医療学校や、いくつかの国の機関で働いて社会で習った事だったが・・・違っていたのか???=、朝方痛みで親が口を押え、俺は、このまま殺されるのだろうか、と・・・)

又、(準備を続けていた)全てがダメになり・・・、

(作業所や、障碍だからって会議室に連れ込まれたり、立っている間に書類とかを引き抜かれたり、呑み会で焼き鳥の串を瞳に突き付けられたり、5大食品アレルギー物質を上司に強要されたり、イタズラで救急車送りにされないであろう、特例子会社だけでなく、、

他の障碍者・福祉団体の跡継ぎ?後継?として、障碍で生きて来られた91歳の年長者の下で学び直す事もダメになり・・・)

 

 障害保健福祉センターからも「何か目標を持って生活をしなさい」という事で、同時期にそりゃ解かっているんだけれどなーと(医療事故4回目なので意外に冷静だった・・・「またか」と諦めの境地だった・・・昔のお客様からは「又実験台にされたの~」ってもう有名だ・他の福祉施設では「今医療でトンデモナイ事が行われている」と心配をしてくれる利用者の方々居たり)、センター1Fのソファに座って”今後どうしようかなー”って腕組みをして考えて居たら、目の前で知的障碍の子が「何か良いチラシは無いかなー」っていうのを観ていて、

 そうか食品関係の出版社に居た俺は、この子達の為に(障碍に関わる、御家族や業者さん・福祉関係の方々、皆の為に、障害保健福祉センターのPC講座で教えて頂いたリーフレットを良い事に使えるチラシとして作ればいいんだな・・・メディアは悪い事にも使えるけれど、良い事にも使えるんだ!!)と、それから痛みで呻く中、制作が始まって(←1号目はボロボロ、でもそれが「良い」という感性が鋭い若い子も居た・・・)

その後、障碍者関係のリーフレットだったらフォントを大きくしろとか、全雛形から又作り直し、

現在は12号目のリーフレットだ。

(何処まで出来るか?生きられるか?、解からないけれど、以前、センターの写真講座でカメラマンの講師に随行をしていた読売新聞の元記者さんが何度か、媒体を観て下さり「コレはずっと続くよ。大抵の人が皆4号で終わってしまう、経済的や体力的・様々な理由で、保たないんだ」と、で、今、その言葉通りになっているので、その記者という社会経験からくる見通しに、尊敬の念を込めてゾッとしている、ヤッパリ凄げーって。

 

 焼き鳥屋から進んだ小さな業界紙へ進み、謎の記者営業を終えた後、もう1度必死でメディア関係の本を中古だけれど読み漁り・・・(メディアの大切さを知り)身銭を切って、当時参加をしていたボランティアと自身でやっていた社会貢献活動の中から、世の中の良さ気な事を取材し、1万部発行し都内に9900部をバラ撒いたり(←そのプレッシャーは胃が引き千切れる様だった・・・あのプレッシャーが無かったら今の活動は出来ていない!!)

 令和6年現在『報道の自由度が70位』の日本のメディアでも、メディアの大切さを身を持って知った上で、身銭を切ってきたから無理の無い範囲で、その読売新聞の記者さんの「続くよ・・・」と言って頂いた見通しの凄さを身を持って痛感をしている。やっぱりプロは違うなぁ~って。

 

 ・・・私としては若い子達に巷の小さい出版社に短期間でもいいから居て、小さいからこそ全体を見渡せるし、広告の為に取材したくない事も取材し、書きたくもない事を書かなければならない世の中の仕組みを身を持って覚え、それでもメディアやジャーナリズムをやりたいのか?、それを知った上で大手出版社やメディア・広告業に入って欲しいという考えだが・・・いずれにしても、その記者さんも私も、組織を出てから~という所は共通をしていると思う。)

 

まぁ、それはともかく、

 

そんなリーフレット制作の流れから、今年は3年目の出展だ。

 

なんでだろう?3年目なのに何故か緊張をしている自分に気付いた(慣れてきた頃が1番事故に繋がり易いというし・・・)、3年前はイケイケ・ドンドンでやってきていたが、自分が鈍いのか?

(1年目の区民祭り終了翌日は疲れ、服薬をし忘れ激痛で呻いて大変だったが、参加者全員が、やりきった満足感があったと思う)

(2年目は1年目より、アレもやろう・コレもやろうと、手を拡げ過ぎた感はあったが、それなりに自分達も来場者も楽しめたと思う、だから3年目は少し『縮小』しようと考えていた・・・)

毎年のテーマとして、昔、建設会社で安全を統括する課部署で、『有り得ない事だが』1年半で最古参になり、身を持って学んだ経験である「安全第一」をテーマにしてきた事は毎年変らないし、繰り返すが(業種・職種を問わず)『慣れた頃が1番事故が起き易い』という言葉を大切にしてきたが、

何やら、今まで上手くいき過ぎて失敗出来ない?という感じも無い訳ではなかった。

『課題修正』にも焦点を当てていなかったのかも。

団体と言うか背負っている規模が大きくなり、”ハングリーさ”、攻めの精神が足りなくなったのか?

昨年12月24日他の施設で(X‘mas会の後)に他区の利用者により、何も言ってもしてもいないのにイキナリ肩でぶつかられ、暴行を受けた事件が、福祉施設側の『隠蔽』・『偽証』・『防犯カメラ消去』で9ヶ月間も引きずった事。

(何度目かの暴力と喫煙所『等』での脅し、施設歴が短い利用者さん達や、途中から経営が変わった職員ではなく、

10数年間も我慢をし続けてきた利用者さん達が、自分達の安全・安心な居場所を本気で取り戻したいなら、「いいよ、俺が旗頭になるよ」って・・・引き受けた・・・裏切者も出た) ← その疲れもあって、失敗出来ない、という心情にもなったのかもしれない。

 

『人はなんとも言わば言え、我が成す事ぞ、我のみぞ知る』by.坂本龍馬

 

優しさの無いメンバーが抜け、障碍って良くなる事は無いの為、傷病等でも野戦病院状態で、かなり手伝いの方が減りでも1日目は逆に初めての人も来て頂き、凄い活躍をして下さったりしたが)、基本的に(昨年の区から頼んだ学生のボランティアさんが素晴らしかったので)区からボランティアさんを頼む事で全くの知らない健常者の方達と開催する事への緊張感←知らない人達だからこそ彼女・彼等の『安全第一』を考えないとならないな。。。と・・・

自分達がこの3年間やってきた区民祭りのスタイルがガチガチに固まってしまって流動的ではない感じも受けていた(身体は、弱いから、感じ易いのよ)。

あとワークショップで「難しい技術を取り入れたいという」メンバーの方針を断り切れず(←断れば良かったんだ)

そっちに準備と打ち合わせ、手を取られ、本来の社会貢献のリーフレットを配布する事への比重を強めないとバランスが取れなかった。

更にリーフレットの号数が増えれば、それだけ持って行く枚数も増え、

(祭り終盤で本当に出したいリーフレットだけ持って行けば良かったと気付く)

あと、今回は暦の関係で第2土曜日が、普段居場所を開催している日と区民祭りが重なってしまい、最新号で1番配布するリーフレットの表題が「第2土曜日に居場所を開催」としてしまったので、居場所を開催している第2土曜日なのに増上寺で区民祭りに出ていたらツジツマが合わなくなってしまう為、メンバーの家族に頼んで居場所を開けて貰いその後、居場所を必要としているメンバーに引継ぎつつ、増上寺で港区民祭りを『安全第一』で終わらせる!!・乗り切る!!、という事に『焦点』を当てて、

 

(↑センターで当日は竹芝小記念ホールを開けて同時並行。)

私達は(というか、リーフレットを作っていて団体の代表の私は)臨まないとならない『準備』もあったり、

(↓昨年の手帳で、暦の違いを見比べると10日の体育の日に近い、連休に区民祭りを行うので、第2週の居場所作りと被ってしまった、、、来年はどうしようか・・・、私1人で判断をするのではなく、メンバーの皆と相談し、考えないとならない・・・)

 

再開発で47年住んだ家(祖母の代から入れると戦前に入って第二次世界大戦が始まり2軒隣に焼夷弾が落ちて偶々不発弾だったが、終戦まで出られなくなった家を途中1回リフォームした家)を『壊し』、新しい所へ引っ越さないとならない、家の当主としても、不動産会社と共に休日は内覧をしたり、折衝をしないとならなかった。

薬の副作用は悪化の意図を辿るし・・・、ステロイドの副作用は医療人に隠蔽されるし、気候、気圧によっては痛みが増す状況で、もう、どうしたらいいか???という感じだった。

しかも来年から”増上寺の三解脱門を6年掛けて修理する”との事で、私達福祉部会が居る黒門が増上寺の表参道になる為、謎に福祉がどかされるという噂も・・・

(もうね・・・結局、現場で純利や納期の為におざなりにされがちな『安全』と同じで、福祉に対する人々の心の扱いが、どういうモノか?伝わってくる・・・6年後?どうなっているか?なんて解からないよ、(俺は)生きているのかさえ健常者よりも私達は不明瞭だ、だから、もしかしたら今回が最後という『気負い』もあった)

その緊張感がメンバーにも伝わり、準備が滞ったというのも私の反省だった。

(三解脱門、この前工事したばっかじゃ~んって、区民達は言っている・・・)

 

そんな、何処まで行っても霧の中に居る様な、今回の区民祭りだった。

(東京タワー裏から道路を・・・どうやらタクシーで入れたらしい・・・明日は入ろう・・・)

 

(因みに区民祭り前日は11月7日の区長との懇親会の『内容』を精査する打ち合わせで夕方がから急遽、区役所に呼ばれていたり、暴行事件の隠蔽・偽証・防犯カメラ消去・嘘の新ストーリー・を書いてはダメらしい・・・私も国会みたいに『先に』シナリオがあって読み上げるとは知らなかった。)

 

そして今回は、テントの『前張り』が義務付けられていた。

うちは(特にコダワッテイナイ)折り紙とかばかりの展示なので(預かる物は壊れてもいい品だけという約束)、特に夜間に盗まれても、松尾芭蕉や、射手座とかの自作の下手くそな私のメモ帳『等』を盗んでも意味が無いだろうし・・・

要らないと今まで1度もテントの前張りをしてこなかった。

(そういうコダワラナイ団体も少ない様だったが、別に、ね・・・ うちは「コダワラナイことがコダワリ」なので←私の昔の職場のボスの1人がそうだったから・・・)

しかも今回、ワイヤーネットを忘れてしまったので机を横に並べようとしたら、横のテントが邪魔して机が入り切らないのよ。

 

だから横も外さないとならなくて。

 

その外したテントを更に裏に貼り付ける。(隣の方に手伝ってもらいながらだったが、2日目は自分で出来る様にしておかないと、何度も頼んでいられないから、大変だった~)

 

成程、今年からのテントの使用は黒いフックと『輪』に引っ掛ける!!

 

ゴミ入れもセッティング、(した事は無いけれど)キャンプ?のテントみたいだな。

 

(朝はまだボランティアさん達もいらしていないし、うちは当事者だけなので、他の女性の身長が低いメンバーにやらせて事故に繋げるワケにはいかないから、私が1人でパイプ椅子に乗っては外し、又パイプ椅子を移動させ、又登っては外すを繰り返す・・・前日搬入が出来ないので荷物も担いできたし、朝からキチ~、笑)

 

やっと飾り付けをと思ったら、シマッタ、ワイヤーネットを忘れてきたのでS字フックで・・・

(今回リーフレットの束を、横に吊るした:写真、右)

 

もう(今日は)全てS字フックでいいか・・・

フロント部分の前張りは、キチンと折って他へ収納しておく。

(昨年の区民祭りで帰宅してから、腕時計を無くしてしまって、メンバーに借りた人生初のオメガ・・・皮はキライなんだが流石に高級時計は全然装着している感じを受けない・・・コレは金持ちだったら時計にハマる意味も解かる気がする・・・)

今年は、腕時計を買いに行く時間も余裕も、無かった・・・。

 

スターボウ班の方も、私が大まかに並べ、メンバーが縁日の金魚みたくコダワッテ・・・

(お願いだからコダワラナイでくれ~)

昨年のボランティアの学生さんの案で「グリーンのロゴを作って皆が吊るしていたら素敵ですよね」という『約束』を少し守れたが、スターボウの折り方が昨年とは違っていて、職人と違い組織は『その人にしか出来ない仕事を作ってはいけない』と、よく言われる通りだったな・・・

 

自作のケーキスタンド(ティースタンド)に自分達の食べる=栄養補給=の菓子を置き

なんとか、完成。

メンバーから依頼のあった前面の「スターボウづくり」のPRの紙は、PCの先生から一気に作る作り方を教わりWordで作り、貼った。

(本当は「スターボウづくり体験」だったが貼り切れなかったので・・・写真:右)

 

当日はボランティアで戸板女子短期大学の学生さん達2名の方々が、区の要請でお手伝いで来て下さり、トランプ『も』したのだが、アイルランドのトランプだったのだがジョーカーが謎に3枚あって、しかも終わらないのなんのって。

(日本だと2枚じゃん?、だから1枚抜いたのだが又更に1枚・強引に、その場で抜いて進めてしまった!!)

 

とりあえず1日目をなんとか終えられた。

 

(↑3年前から、いつものやり方でブルーシートをめくって覆う。)

今回は、毎年2畳で少し狭いかな?と思っていた為、今年は約3畳のブルーシートを手に入れたので、少しユッタリと余裕があったのではないだろうか。。。

 

この日、学生さん達へ、うちの団体の活動主旨を説明したら、

いや~、若いって素晴らしい、即飲み込んで下さって、リーフレット配布のお手本を示したら、

チラシ配りなんて仕事はした事がないだろうに、柔軟性があるのか、若いからか『即適応』をして下さり、配布をして下さった。

その速度たるや、私もチラシ配りの仕事は飲食業の仕込み前に、クーポン券を付けて配布したり、周囲の企業回りとか、村でも店舗を数ヶ月の約束で任されていたので村回りとかしてきたが、

 やはりこういうのは人海戦術なんだなーって、凄い速度で配布されていった。

 

その中で、アレ?、本当に必要な『号』だけを印刷し、配布すれば良かったんじゃね?

と気付き始めた。

ヤハリ、締め切りに追われ、出来・不出来、自身の中で納得していない部分とかも多少あるのよ、

『ローリングストーンズ』のキースリチャーズ(←誕生日一緒)がルーリードに「一生残るんだぜ」と言った意味が解かった。

私は『ツエッペリン』が好きだが・・・

 

 コレに気付けた事は、本当に今回の収穫だったと思う。

(これで経費削減と、媒体の『PR効果』を高める事が出来る!!)

 

世界で初めてメディア教育を提唱したイギリス。

世界で初めてメディア教育を大学のカリキュラムに加えたカナダ。

自分でメディアをやってみると解かるが(私の場合は最初小さな出版社に飛び込んだが、小さいからこそ全体が観えるという事もあるし、世の中の裏が観えて、それでもジャーナリズムをやりたいか?どうか?身体で知ってから大手でやってもいいのではないだろうか?)

昔のデザイナーとバチバチでやっていた頃に、我儘なアイツが言っていたのは「理想を追求したいならリスクを背負えよ」って言葉を想い出す。

もしかしたら、何処かからの引用かもしれないが「ああしたい・こうしたいって、若いうちに思う事が、血肉になっていく」と、そんな事も言っていたな・・・。

コレが社会だなって・・・私は感じた。

(友情という無給or時給800円とかで手伝っていた事もあったが・・・そういや、ソイツ俺をタダで使っていた時もあったのに「絶対タダで仕事をしてはいけないよ」と言っていたな・・・)

 

そして戸板女子の学生さん達は

「リーフレットの中に障害保健福祉センター(ヒューマンぷらざ)の地図が無いから、入れた方がいい」

・「もう作ってしまったリーフレットの中に同じ大きさの地図を1枚差し込んで入れてみたらいい」

と、次々と若さゆえの『柔軟さ』で、効果的なアイデアを出してくる!!

(やっぱり『文殊の知恵』なんだよね・・・←俺のステロイドの副作用も・・・)

 いや~、コレは1本も2本も取られた!!、

『攻殻機動隊』のTVシーズンの1ではないが自分のアタマも硬化し始めているのかなーって。

(↑『攻殻機動隊』も出版社の関連で他のデザイナーさん達から教わって知ったんだったな・・・別にアニメ観ないから知らなかった・菅野よう子さんの音楽は=小栗旬だっけ?ではないけれど=ほぼ全部持っているし)

 

その後、学生さん達へ今日の感想を訊くと「こんなユルいとこ初めて~」と俺達と笑って言って下さって←コレこそ当に私(達)が目指して来たモノで、「無理をしない!!」(楽しく)・それが今回の本当のテーマだった。

(それでもこの日、300枚ぐらい配布出来たのではないだろうか・・・)

学生さん達に楽しんで頂けて良かったし

折角だからと、出版社や各社会で学んだ事を本日中に、命一杯伝えておいた、私が社会で、古えの先輩や後輩達から教えて頂いた事をいつか、何処かで正しい事に役立てて欲しい、というそんな想いを込めて、皆で食べた気温で溶けた『アルフォート』や『たべっこどうぶつ』と共に。

 

住宅の関係でセンターから数年、足が遠のいていた仲間(障碍は違う)も、夕方の終わりの頃にフラリと立ち寄って下さって

丁度片付けをしていたので、キチンと『手厚い対応』が出来なかったが(←ヘロヘロで)、それでも久しぶりに御拝顔 出来た事と、ワザワザ来て下さった事へ感謝。

 

あと、この3年間いらして居なかったメンバーの方が初めて区民祭りにいらして下さって、リーフレットの配布とかして下さらないかなーって思っていたら、昔務めていた企業で広報の部署に居た事があるらしくスーっと自然に配布をして下さった。

 コレ(配布)が又、上手なんだ!!

私みたいにアツさとか熱量で伝えるのではなく、「ボランティアで~」「社会貢献活動で~」という感じで、自然にされていて、いやこの方は慣れているなーっていう事が背中から伝わってきた。

去年、手伝って下さった方も慣れていたが、私と同じ様な業界だったので・・・

上記の人や学生さん達とは又違う配り方だったり

飛び込んで行動で語る勇気と、

今回の方々みたいに『自分の配り方』というモノを持っている人が出来る様な気がした・・・)

行動してナンボだなーって改めて、それを観ていて実感をさせて頂いた。

 

本当に、皆様へ感謝

 

 

(※次号:2日目へ続く)