M(マグニチュード)7.3の地震が発生した。
・死者:6434人
・負傷者:43792人(うち、重傷者:10683人)
・住宅被害:639686棟
・焼損棟数:7574
・被害総額9兆9268億円
・1980万tの8年分の廃棄物
80%が圧死だったという。
あれから、20年が経ち、東日本大震災も経験した日本は、今後10年・20年・50年~100後、どのように復興していくのか?、少しでもその参考になればと、
小さなカメラ片手に、震災関連の場所を歩いてみた。
新幹線の新神戸で降りて、在来線で三宮(JRは「三ノ宮」表記)まで行く、ここを今回の旅の起点にした。
地下鉄を東急ハンズ方面に上がった辺りで、「生田神社」が見えてくる。
震災で壊滅的な損壊をした古来より由緒ある神社だ。パソコンで当時の生田神社の写真を見ると神社が横に重みで倒れたような姿をしていて、言葉は軽薄かもしれないがまさに横にペシャンコという言葉以外に見付からなく、現実とは思えなかった。
歩いてものの数分で、鳥居が見えてくる。

向こうに鳥居が↓参道が穏やかな雰囲気だ。


これが横にペシャンコになったなんて・・・よくここまで再建したものだなと。
当日は、宿を探して(繁忙期なら予約すべき)落ち着き食事を取らなければならなかったので、
翌日から本格的に回る事にした。
先ず最初はモノレールみたいなポートライナーに乗って「貿易センター」で降りて、
「神戸震災復興記念公園(みなとのもり公園)」へ行った。

非難区域として使用出来る広大なスペースだ。

これが公園内の配置図

様々な非常時の施設がある。

自足に向けた苗園や

倉庫。

簡易トイレも設置。(←災害時、重要だ)


水場も。

少し離れた所にも、耐久性が強い「手動式ポンプ」があった。

いざという時、心強い。

本当に水場が多い。(水の大切さを改めて考える)

それにしても広大だ。

都市の電気系統が麻痺した時の為に「ソーラーパネル(?)」も設置してある。

大きい時計が、皆が見れるようにかな?、確かに災害時に必要だ。

バスケットボールコート、平和な時、子供達や若者達がこの公園で練習する為にアトラクションやコミュニティーとして。

↑又、簡易トイレの大きい建造物が、確かに必要だよな。

↑きちんと自動販売機も(横は災害時でも動くように蓄電器だろうか?)

少し小高くなった丘(「展望の丘」)、何かを伝える時、ここに登って、目印とするのだろうか。

↑丘に登ると全体が望めるが、とにかく広いスペースという事が解る。

丘の上はこうなっている(道路側へ降りられる階段もある。登る道が2つあるというのは、緊急物資や荷物運びの時に良いのかもしれない。)。
公園を出てポートタワー方面に向かって行くと、

ひっそりと何かが展示されている。

ふと振り向くと、↓(20年前の震災の傷跡が)

コンクリが剥がれ落ち、この壊れ方は尋常ではない。

ヒビ割れ方も、↓

全てが剥き出しに

説明文も



こんなに曲がって


ねじ切れている。


一応、ここの地図を付けておく(2015年現在)

本当に道路沿い。

そのままポートタワー方面にある「震災メモリアルパーク」へ向かう。
ここは震災の怖さや悲しみを伝承する為「メリケン波止場」を当時の状況を保存してある場所とのこと。





































復興、継承編へ続く。