新橋演舞場『ヤマトタケル』の公演、今日が終わってあと4公演6回となりました。
明日、明後日の連続2回公演が最後のヤマ場です。

それが終わり休演日明けは 気持ちにもおそらく余裕ができますので、

最後の力を振り絞る事が出来そうです。



今回の私のお役、新大臣が一幕から出ている4人の朝臣の中から

昇格して行くやり方は 初演の中村勘五郎(のちの仲蔵)さん以来のやり方です。

しかし勘五郎さんは性格的にそれほど悪人を表現されておられませんでした。
従いましてメイクもそれほど強くなく朝臣からの目張りを少し黒くされていたくらい。


その後1988年から89年にかけて『伊吹山のヤマトタケル』という若手中心の

作品が上演されました。

その時に私が新大臣のお役を頂きました。 

パルコ劇場、パルコ劇場の再演、近鉄劇場 に渡る3公演を勤めました時、

私は公演が変わる毎に3回メイクを変えました。

公演毎に思うところありまして、バージョンを変化させていったのです。


そもそも この『伊吹山のヤマトタケル』の新大臣は朝臣のお役がなく

大詰めだけでの登場。
セリフも少なく葬儀の仕方を伝えに来るだけでした。


ま、ぶっちゃけて言いますと、そこだけ切り取ったがゆえにしどころの難しい役でした。


そこだけのため、どう云う人物かの表現される場面がないので

悩みました。


パルコは狭いゆえ、見た目、顔でのインパクトをあたえるか。

ややもすれば、全く印象に残らないかもしれない。

顔はいわゆる歌舞伎のメイクで 表現しておりました。


最初は自分の中ではこの新大臣は、敵役として捉えておりましたので、

歌舞伎の実悪、仁木弾正のような大時代な敵役のメイクをしておりました。


2回目の時は、慇懃無礼さを強調して行きたいと思い、あえて優しい顔のメイクで

云っている事は優しいが、裏がありありという表現をしておりました。

最後の公演の時は 扮装が今と同じでしたので、公家のイメージで

あえて『妹背山』の蘇我入鹿のような 公家悪のメイクをしておりました。

これは『伊吹山のヤマトタケル』が猿翁旦那による実験的な演出でしたので
許されておりました。


その後1995年の『ヤマトタケル』の再演から新大臣が段治郎(喜多村禄郎)さんになり
序幕の朝臣の場面では登場しなくなり 2幕からの登場となりましてメイクが強めの
悪となりました。


今回、初演からの演出と云う事で私は幕開きの朝臣の時は少し優しく、
2幕はちょっと強めの悪に顔を変え、3幕の花道の時にはメイクを仕直し
さらに黒だけの強めの目張りに変えて変化をつけております。

従いまして3回の登場で3回メイクを変えている事になりますね(笑)
みな様にはどう映りましたでしょうか?


本当は、舞台稽古までは最初の朝臣はもう少し ほかの三人と同じようなメイクを

しておりました。

合わせた方がいいかなと。

 

ですが、舞台稽古を見ていた家人から、2幕に出て来た時に全く同じ人物に見えないから

少しは1幕も強めにしてもいいんじゃない?

と云われて 少しだけ4人の中では ほんの少しだけきつめにしてみました。



余談ですが猿之助さんの『ヤマトタケル』の時は四代目のご希望で
新大臣『エリザベート』のトートのようなメイクをしておりました(笑)

今回は、それよりもやや歌舞伎的にしております。

ひとつのお役でこれだけメイクを変えたのも逆に珍しいですね(笑)

役作りと云うのは、案外それぞれの工夫が許される部分もありますので、

楽しいです。