先日、二度にわたりまして「わかれわかれにぃ」「わかれわかれにぃ2」として
私自身の四の切の思い出を書かせて頂きました。

私の60年を超える役者人生の中で、一番たくさん出たのがこの『義経千本桜』
そして、おそらく「四の切」はその中で一番たくさん演じていると思います。

また、お役的にも 法眼妻飛鳥、亀井六郎、忠信の吹替、ぼんぼりの腰元
荒法師、そして「出があるよ」の声。
今月の近習(笑)

多くのお役を一つの作品の中で勤めさせて頂いたと云う意味でも、
特別な作品ではないかと思います。

 


先日のブログで、昔のお役に付いて書いている記事にリンクを貼ろうと思い
自分自身のブログを振り返って見たのですが、何とほとんどが15年以上前。

つまり、14周年を迎えんとするこのブログを始める前の事でした。

これにはある意味驚愕(笑)
そんな前の事でしたか!
ブログの開始時も 相当昔だと思っておりましたが、それよりも前だったのですね。

過去の写真は、ある事はあるのですが、なにかきっかけやそれに関しての
ブログを書いた時に、探し出して出すくらいです。

もしかしたら、どこかで出しているかも知れないのですが、私が見た限り、
最近?の飛鳥の写真も、四の切の亀井六郎の写真も出したことがなかったようです。
鳥居前の亀井六郎の写真は何度か出しておりました。


一方、飛鳥は、父の話の中での写真はご披露しておりました。
名題昇進の時に、父嵐冠十郎の川連法眼と夫婦役。
父が亡くなった時に、思い出の写真として 出したことがありましたね。

せっかくですので、今日と明日とで飛鳥と亀井六郎この二つのお役のお話を。

 


飛鳥を一番最初に勤めましたのは、1995年1月、

浅草公会堂の花形歌舞伎『義経千本桜 忠信編』の時でした。
この時は、「鳥居前」で片岡八郎、「四の切」の飛鳥、荒法師の千力坊、
そこから早拵えで「蔵王堂」の僧兵。

宙乗りがありませんでしたので、吹替の忠信こそ勤めておりませんでしたが、
1日2回公演でまさに大忙しの公演でした。

ちなみに忠信は右團次(当時右近)さんで昼の部と夜の部の大詰め、
奥庭と吉野蔵王堂花矢倉の場には昼の部、段四郎さん 夜の部、猿翁旦那の
ダブルキャストで横川覚範、実は能登守教経役で歌舞伎座との掛け持ち出演でした。

 


そして、名題昇進披露の1998年7月の父との飛鳥を経まして、2000年松竹座、
2005年国立劇場での歌舞伎鑑賞教室、2006年新橋演舞場まで
計5回勤めさせて頂きました。

今思いますと、歌舞伎座で飛鳥を勤めましたのは、一度だけだったのですね。

今日の写真は2005年7月 国立劇場『高校生のための歌舞伎鑑賞教室』での
「四の切」の飛鳥です。
写真には写っておりませんが、以前こちらのブログでも紹介させて頂いた
平打ちのおもだかの簪をさしております。

 


 

本来の飛鳥は白髪のかつらなのですが、先代門之助さんが海外公演の折に
若作りの飛鳥とされて以来、この姿がおもだかや型として定着しました。

おもだかや一門以外の他の方が「四の切」の忠信を勤められた時
もし飛鳥が白髪であれば本来の形だと思ってくださいませ。


この簪と云えば。。。
以前、何の時だったか忘れましたが、家人にこの簪を東京から大阪か、
大阪から東京か、それとも別の場所だったか、ちょっと覚えてないのですが、
急に必要になり、来るついでに持って来てもらった事がありました。飛行機で。

純銀で出来ているのですが、筆用か何かのケースを代用しまして、
一応きちんと持ち歩けるようになってはいたのです。

ですが、飛行機ですので、事前の手荷物検査でしっかり引っかかってしまって、
脇に連れていかれて、中身を調べられたそうです。

「・・・これはなんですか?」
「・・・簪です。」

ま、そうですね、簪ですね。ちょっと普通使いよりも大きいですが(笑)

結果的に無罪放免になったそうですが、その話を聞きましてからは、
私は飛行機に乗る時には、この簪は預け荷物か宅急便に入れるようにすると
固く心に誓いました(笑)

 

 

打掛は、舞台の上で着ますので、楽屋では打掛なしの姿でしかありません。

なかなかこの打掛を着た姿での写真を撮るのが難しいお役です。

どのタイミングで誰に撮ってもらったのかは覚えておりませんが、よく撮ってあったなと思います。

当時はまだブログなどやっておりませんでしたから(笑)

 

明日は亀井六郎の思い出です。