大阪 今日は台風で午前中に、何度かに分けた土砂降り。
そんなお天気であったにもかかわらず 気温は30度を超えていました。

暑い(熱い)のは舞台だけで 勘弁してほしいです。(笑) 

もう、10月ですから・・・
寒くなった時の想定はしておりましたが、薄手のものは・・・用意がありません
困ったものです

さて、昨日から書いております 昼の部の演目。

『大阪純情伝(新・油地獄)』


番付の中では秀太郎旦那が 10年前の平成若衆歌舞伎の時に
この作品はミュージカルの「ウェスト・サイド・ストリー」の様な歌舞伎を 
と云う事で 実験的に演出されたと記されております。


その今回の再演の中で、なかなか自分の出番の事は書きにくいのですが・・・(笑)




私、この演目ではなんと 娘役を演じております。 


その名もズバリ 「お染」



「徳庵堤の花見の場」で 亀鶴さん 萬太郎さん達の若旦那衆 天神組に
ナンパ(驚愕・笑)される娘役!!

ま、一応 娘ではありますが、パロディですので、私が演じても 問題ない訳です。(笑)




しかし私が 本役として娘役を演じるのは 今まででもそんなにございません

猿翁旦那が『お染の七役』や『獨道中五十三驛』で、数多くの早替りを勤められた折、
老若男女、様々勤められておりました その中の娘役の時に 吹替えとしては
多く勤めさせて頂きました。


本役としては昭和57年(1982)6月 関西歌舞伎鑑賞教室の折に 
我當旦那の『すし屋』の権太で 私と上村吉弥さんが、
お里と若葉の内侍を ダブルキャストで勤めさせて頂いたくらいでしょうか?(笑)

後は、舞踊勉強会 翔の会の時の『藤娘』これは1日だけです(笑)


その後の女形は 腰元ですとか『四の切』の飛鳥ですとか 『吃又』の北の方とか、
わりと年配のお役の女形が 多くなって参りました。


そりゃ当り前ですよね(笑) 今では若手で綺麗な女形の方が
たくさんおられるのですから・・。



ですから、赤の肌襦袢も もう使わないから処分してもいいかなあ? 
なぁんて思っておりましたら 会社からお役の通達を頂いた時に、
「娘役を・・・」と 耳を疑いました(笑)



一応、基本的な事なのですが、衣裳の下に着ております 肌襦袢は
それぞれの役者が個人の持ちモノです。

立ち役は おそらく 皆様が着物を着用される時に使う様な 白の肌襦袢

(厳密には つくりは違っております おそらく 皆様の肌襦袢は
 ひもが付いておりませんでしょうが、舞台用には付いております。
 
 また、生地もずっとしっかりした 木綿地です)


それにたいして 女形の 特に若い女形の肌襦袢は 襟のふちどり(?)と
袖の部分が赤く作られております。 

一応、この(笑)私でも時々は 女形をいたしますので、どちらもある程度は
用意しておかない事には お話になりません。


ですが、ある程度の年の行った女形の場合は 逆に赤の襦袢は使わない事もあり、
袖などは白ですが、女形の襟が抜いてあります襦袢を使います。



ということで、もうそろそろ、私も赤の女形の襦袢は必要ないかなあ
なあんて 思っていた訳なのです(笑)


そこに持ってきての 今月の娘役。

さあ どんな事になっていますか それは舞台をご覧ください。

(すでにご覧になられた方も、コメントにはご注意くださいね・笑)



今日の写真は、久方ぶりに着ました振り袖も可愛く 私の娘役です。(笑)

イメージ 1


正面はちと恥ずかしいので 小野小町風に後ろ姿で・・・(笑)


以前には多く女形を勤めさせて頂いた事もあり、かつらには、
ある人に10数年前に 作って頂いた「三つ追いおもだか」の自前の簪を 
何年振りかにさしております。


イメージ 2



この簪を挿したのは ほとんどが「飛鳥」の時だったでしょうか?

ふたたび、このかんざしをつけてのお役が回って来るとは 思いませんでしたが、
よき記念になったと思います。