昨夜、NHK-Eテレビで夜遅くから 六世中村歌右衛門丈の
特集をしておりました。

 

朝のブログでも少し書かせて頂きましたが、私が歌舞伎の世界に入った時の
最高峰の方でした。


歌舞伎座や南座の「まねき」や、筋書きの看板序列にも
「大入叶」の文字や、「芸術院会員」などの肩書が別格に入り 
明らかに他の役者さんとは違う扱いでした。
これは以前も書かせて頂きましたので、興味のある方はどうぞ。


座頭とは所謂、大敵の似合う大立者、立ち役の方が主でした。

ですが女形として座頭に君臨されていたのは本当に珍しい事でした。

 

私は23歳の時、1975年(昭和50年)京都南座の顔見世
初めて同じ舞台を踏ませて頂きました。

 

と云っても歌右衛門丈、幸四郎丈(初代白鸚丈)の『茨木』で
私は下手のお幕揚げ(笑)

 

『連獅子』などの能狂言で主要人物が出入りする
下手の幕を上げる裏のお仕事ですね(笑)

 

このお幕揚げ、実は本来は私ではなかったのですが、
歌右衛門丈の『茨木』の真柴の踊りと後ジテの茨木童子と
渡辺の綱(幸四郎丈)との立ち回りが そばでじっくり見たくて
本来の方に代わって頂きました。


当時、入場料、今調べましたら5500円でした。
今から考えますと、5分の1ほどでしょうか?

ですが、当時の私にとりまして、大金には違いありません。

 

ひと月間近で人間国宝の方のお芝居が見せて頂けるのなら 
お幕揚げなど容易いものです(笑)

と云う訳で、一か月、間近で毎日見させて頂きました。
ある意味、特等席です。


真柴は渡辺の綱の伯母の姿ですが実は、京に巣くう鬼神 茨木童子。
一条戻り橋で渡辺の綱に片腕を切り落とされ、それを奪い返しに参ります。

 

前半は館に入れてもらえない伯母の哀れさを表し、
情に絆された渡辺の綱が館に引き入れて 斬った片腕を見せるころから
鬼神の本性を現し、女形から一転 恐ろしいくらいの鬼神となります。

 

この変化、当時の歌右衛門丈、凄かった・・・。

毎日下手のお幕の袖から息をのむように見ておりました。


2年後(1977年)の顔見世では『阿古屋』の竹田奴に出させて頂き、
さらに2年後(1979年)『籠釣瓶花街酔醒』では
道中の新造に出させて頂きました。

私も出番的にちょっとずつ出世しておりましたね(笑)


思い出しますのは、1978年9月、同じく南座での
北条秀司さん作の『春日局』

 

大詰め、春日局となって家光の乳母になったお福が
久方ぶりに国へ戻り 主人の稲葉正盛(二世鴈治郎丈、家康と二役)と
対面する場面。

 

主人の稲葉正盛は、お福が出世して何年も国元を離れていたので、
どこかもどかしくも控え目に会った後 老後の愛人(芝翫丈)と共に
駕篭で去って行くと云う場面。


歌右衛門丈と鴈治郎丈とのお芝居が本当に素晴らしかったのです。
私はその場の駕籠かきで ず~っと舞台に居りまして、
鴈治郎丈を乗せて最後に花道を入って参ります。

これもある意味、特等席ですね。

 

お客様は涙をすすりながらご覧になっていて 
「両成駒屋!」「納得しました!」「芝居の神様!」などの大向こうが
多くかかりました。

 

一緒に駕籠を担いでいたのは、片岡秀六(現當十郎)さん

私に「どやこの場面! 芝居の醍醐味やろ? この拍手を貰ってるの
人間国宝二人に三階(大部屋俳優・・・名題下のこと)二人やで!」と(笑)


「この二人の芝居を邪魔せんように、芝居するのも(駕籠を担ぐの意・・・笑)
わてらの腕やで!」 と、わかったような、わからないような・・・(笑)

でも この舞台に出られてよかったと思ったのは事実でした。
貴重な、貴重過ぎる体験のひとつです。


このあと1983年(昭和58年)歌舞伎座で同じく『春日局』が
上演された時は 私は矢絣の腰元でした(笑)

 

役としては、私も出世した形になっておりますが、
秀六(當十郎)さん曰くの「醍醐味」と云う意味での 拍手は、
駕籠屋には勝てないなと 思いながら舞台に出ておりましたのも
思い出されます。

 

昨夜の歌右衛門丈の特集でいろいろと思い出してしまいました(笑)

 

歌右衛門丈は、2001年(平成13年)3月31日に 
お亡くなりになられましたが その時の事は少し前に書かせて貰いました


あれから20年。
『にっぽんの芸能』
再放送は 4月27日(月) 午後0:00~午後0:55(55分)です。

 

歌右衛門丈の舞台を懐かしく思われる方も、ご覧になった事のない方も
是非見て頂きたいなと思います。