私の子供の頃 知っている頃の顔見世興行は 開演時間が朝10時で
初日は特別料金 通常の1,3倍~1,5倍くらいで昼夜の入れ替えなしに
通して見る事が出来ました。

とは云え 元々のお値段が1万円くらいでしたから かなりお得だったと思います。

ですがやはり 初日はまだ慣れないので 幕間がかなり長かったり 御芝居の段取りが
上手く行かなかったりと お客さんにも忍耐が強いられました。(笑)


それにあまりに 遅くなると最後の狂言は預かりとなり 夜の4番目くらい それも
御芝居の途中で 「本日はこれぎり~」と 終わる事も多々ございました。

それでも初日のお客様は 納得しておられたのですね。
今は逆にそんな訳には行かないでしょうが・・・。

私が初めて京都南座顔見世に出演いたしましたのが、1975年(昭和50年)23歳の時です。


昼の部10時開演 夜の部5時開演 

昼の部 演目5本

夜の部の狂言は 

『寺子屋』白鸚さんの松王 2世鴈治郎さんの千代 延若さんの源蔵 雀右衛門さんの戸浪

『茨木』白鸚さんの渡辺綱 歌右衛門さんの真柴

『曽根崎心中』2世鴈治郎さん 扇雀(現藤十郎)さん 13世仁左衛門さん

『輝虎配膳』13世仁左衛門さん 延若さん 芝翫さん

『吉田屋』延若さん 扇雀(現藤十郎)さん
 
夜の部だけを書きましたが これに昼の部が同じくらい 皆さん出演されております。

みんなフル出演でしょ。

私も、夜だけでも 寺子屋の黒四天 茨木のお幕上げ 曽根崎心中の町の若い者

そして吉田屋で最後に千両箱を運んでくる 藤屋の若い者に出ておりました。


初日は当時の京阪電車の最終(四条駅11時1分発)
特急に乗れなかった思い出がございます。

その次は急行で11時10分と大阪行き最終が11時半。

これに乗れないと大阪まで帰れません 12時半頃に大阪についても
地下鉄はもうありません

北浜駅 と云っても 地下に入る唯の入り口ですが その横に通勤で朝から
バイクで乗って来て 置いておき 夜 そこからうちまで 乗って帰っておりました。

今なら確実に駐禁です!(笑)


初日、夜の終演が11時15分で 急いでお化粧を落とし 
まだ地上を走っていた京阪に飛び乗っておりました。

2日目 3日目となり なんとか御芝居や幕間も短くなり 
それでも終演が10時50分。

舞台を終えると4階楽屋に走って上がり まず洋服を着て バックに用意してあった
コールドクリームとテッシュ おしぼりを持って 楽屋を出ます。

当時の踏切で四条通りを渡り 10分後のノンストップ特急に
乗れるようになった時の嬉しさ!! 

それから座席で ゆっくりお化粧を落としておりました。(笑)

こんな飛び乗り 大阪方面から通う 役者連はみんなで 仕方なくやっておりました。

坂東竹三郎さんとも 競争しておりました。 
今では危なくて こんな事考えられないでしょ?(笑)


延若さんは『輝虎配膳』の越路を終えて花道を入り
『吉田屋』の伊左衛門で出るのに 花道の下の拵え場で 婆から伊左衛門に
急いでお化粧を替え 幕間10分で『吉田屋』を開演していました。

その時の河内屋さんの言葉
「あんたらを大阪へ帰してあげるために わてはほんまに 忙しいわ」
と 笑いながら云われた台詞は、今でも忘れません(笑)

それから毎日 最終のノンストップ特急で帰れるようになったのは 嬉しかったですね。

でも、何かアクシデントがあって 夜の部の幕間が少しでも伸びると 
ハラハラしておりました。

今から振り返ると 若い頃の楽しい思い出ですね。

こんな経験した歌舞伎役者 今は何人残っているでしょうか?(笑)