今日も気温は低いですが、いいお天気。近くの場所へ、猿散歩と出かけました。

 

近い場所で、小さなところなのですが、思いがけない歴史的な場所。

云われてみないとそのまま通り過ぎてしまいそうな処です。

 

 

子供たちが遊んでいる普通のただの公園にしか見えないでしょ?

 

ところがここ、野田城跡の場所だそうです。

 

野田城、同じ名前の城がいくつかございますが、こちらは河内野田城。

1326年野田四郎正勝によって築かれたお城でした。


お城と云っても南北朝時代のお城ですから、館か?砦のようなお城です
先日の河内を治めた楠木正成によって掃討され その後は正成の家来となり
後醍醐天皇に従って湊川の合戦で正成と同じく 戦死したそうです。

 


また正勝の子、野田正氏も楠木正成の子 正行(まさつら)と同じく
四条畷の合戦に出陣して共に戦死したそうです。

 

その後 正氏の子 正康は足利尊氏の大軍に包囲され この野田城は
女子供を巻き込んでの凄惨な戦いとなり 野田城は焼け落ち 
結局三代で壊滅したそうです。


そんな歴史的な場所が南海高野線 北野田の駅前にあるとは、
全然知りませんでした。


云われてみれば、西除川を濠となし 小高い城跡の感じが致します。

 

 
 


ちょうどお城のど真ん中を南海電車が通過している感じですね(笑)

 

 

 

 

 

台湾の十分ではありませんが、すぐ横を電車が通過して行くのは、

鉄道好きの方にも楽しい場所かもしれませんね。

 

この少し前に通過しました電車は 某乳酸菌飲料のラッピング電車。

一瞬唖然として 見送ってしまいました(笑)

 

 

ここから堺東に出まして、行きましたところは方違神社(ほうちがいじんじゃ)

と云いまして、方災除けの神社。

 

この地は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘)にあるため、

いずれにも属さない地、方位のない地として信仰の対象になっていたそうです。

 

ここに参った人の名前も 仁徳天皇・孝徳天皇・空海・平清盛・後鳥羽天皇・徳川家康など

有名どころがたくさん。

 

ところで、「方違」 この字にピンと来た方は、おそらく猿三郎のブログマニア。

きっと一人も居られないと思いますが、5年ほど前にこんなブログ
書かせて頂いた事がありました。前日談はこちら
(出来ましたら、前日談からお読みください)

 

 

 
この時の「方違え(かたたがえ)」
まさにその方違えの際には、こちらでお祓いをしてもらう。と(笑)
 

5年前の自分の記事がオーバーラップする神社でした(笑)

 

 

そしてそのまま神社を抜けて、すぐ横にあります古墳へ。

 

ここは 百舌鳥古墳群の中のひとつ 反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)古墳。

今現在は、天皇陵とは別の呼び方も主流ですので、そちらを調べますと

田出井山古墳(たでいやまこふん)。

また、宮内庁の治定では百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)。

 

百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさだそうです。

 

 

古墳ってどうしても空からの写真のイメージが強く、実際に行ってみると

単なる大きな山と周りの水?って感じになってしまう事が多いのですが

この古墳は、見ているとなんとなくの 形が見えて来ます。

 

これが方違神社から見た 後円部です。なんとなく形わかりません?(笑)

 

 

なんとなくの猿散歩、ですがここも実は世界遺産のひとつ(笑)


生活圏の中に時空を超えての歴史の必然がここにあり 
合戦場があったり 古墳があったりと やはり猿散歩は
大いなるロマンを感じますね(笑)