今回の入院日数はとってもわかりやすい | ステージⅢから、涙を拭いて、踏ん張って ☆by 多発性骨髄腫患者エンつり(エンジニア+釣り師)

ステージⅢから、涙を拭いて、踏ん張って ☆by 多発性骨髄腫患者エンつり(エンジニア+釣り師)

多発性骨髄腫になりました。
残された命、楽しくやろう。
窓際だけど負けない!
再々発したけど負けない。


サッカー好き⚽️
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嘘みたいなほんとの話。


エイプリル・フールの 4/1 に緊急入院。

その日が月曜日。


その週の木金に2日連続のケモ。

だから、4日、5日が IsaKd療法のケモ開始一週目。


当初は、EPd療法が予定の治療だったのだけど。パンフまで渡されてね。

頭の中はすっかり EPd だったのね。


ところが、IsaKd に変更。

詳しい事情はわかんない。

残念ながら耐性が生じたのは、DPd療法。

    ◉DPd:  ダラキューロ、 ポマリスト、デキサメタゾン

    ◉EPd: エンプリシティ、ポマリスト、デキサメタゾン

    ◉IsaKd:   サークリサ、カイプロリス、デキサメタゾン


実は、DPd は2022年の秋かな、に始まって21サイクル目だった。

よく頑張ったんだよ、

そしてその前は、レブラミド単剤で維持療法だったんだよね。


そう、レブラミド単剤期間中にちょこっとニンラーロ単剤を挟んでのレブラミド単剤で、その前が自家移植。


このニンラーロがまずかったかな。

2021年だな。

首を折っちゃった。

その翌年、事態が悪化しその部位からガンが髄外浸潤。


この浸潤ガンが脊髄中枢を押しはじめている。やばい。


放射線治療とか、意味不明の感染症がとっても辛かった。

そして、なんとか浸潤ガンを撲滅。


そしての DPd になったわけ。


こんな事情でね。

それぞれの治療はそれなりに頑張ってんたよね。


さてさて、この IsaKd 果たしていかが相成りますか。


ともかくも、25日、26日が 1サイクルめの第4週の End オワリ


そして、4/30 にマルクの予定。


これで僕の中の髄液の、IsaKd の真価が問われます。


さらなる治療の変更なのか、IsaKd の継続なのか、


そして、見方を変えれば、退院なのか、入院継続なのか。


非常に楽しみでもあります。


今日は、27日。


7年サバイブを今年の9月に控えて、骨髄腫患者の輝ける星になれるのか?


今ならまだ逃げられる!


どこに?