遠藤雅大 エンマサ サッカー人語 -3ページ目

厚木マーカスの皆様へ

私が選手の時代から、今では私の教え子までもがお世話になっており、本日も雨の中、トレーニング参加させて頂き、スタッフ・選手の皆様には改めまして心から感謝申し上げます。
歴史ある厚木マーカスサッカー部。
厚木基地の中に入れて頂けるだけでも少年達には貴重な経験である。私もジュビロ磐田の選手時代より時間があればサッカーを学びにトレーニング参加させて頂いたチームだが、このチームのコーチであり、私のサッカーの父でもあるK・M氏には今まで約20年近くもの間、そしていまだに多くのことをご指導頂いている。そして、この私が指導者となった今でも教え子達がご指導頂けるなんて本当に夢のようだ。
7月5日(日)。今日のトレーニング中も、初めて私がマーカスのグラウンドを訪れたあの頃を感じながら紅白戦を観戦させて頂いた。Jリーが時代だけでなく、ベルギー時代も電話を通じて多くを教えて下さり、ご自身がご体調がよくない時も、夜中まで私に多くを教えて下さった日々を思い出す。
Mさんにはこの場をお借りし、改めて心から感謝申し上げます。
私のサッカーの父であるMさん、いつまでもお元気でいて下さい。




高校生・大学生・時に社会人とのゲームからしか

この国の育成は、国際ゲームに近づけない。
高校生でも無理だと感じる時があるが、少年を強化していく上で国際ゲームが頻繁に組めない日本の少年達を育てるということは、どんなことなのか。
また、その少年達をユース年代から本当の意味でキァリアをスタートさせるためには・・・
どれだけの少年達が本当にキャリアをスタート出来ているのであろうか、日本全国で。
疑問でならない。私は、ほとんどゼロに近いと考えている。
しかし、先日ある東京の高校生とゲームをやらせて頂いたが、国際ゲームを少し感じることが出来た。彼等高校生、S監督には本当に感謝している。
あれだけの激しいゲームを、もっと積ませるなかで肉体と精神、そして基本の大切さを教えていきたいし、彼等少年には感じて欲しい。
このゲームからも、指導者で本当にチームは変わることを改めて学ばせて頂いた。

出会い・・・

私も3歳の時にサッカーに出会い、プロでも少しプレーさせて頂いた。
思い起こせば、小学生時代に出会った舟橋先生はとても愛情を注いでくれ、私をジュニアユース日本代表にまで育てて下さった。何十年ぶりであろうか、駒沢の体育館で私が指導させて頂いている現場に突然来て下さった時は、嬉しかったな~。
そして、92年のバルセロナオリンピック時代のD・クラマーさんとの出会い。
とても情熱的で几帳面な方で、基本技術の重要性を繰り返し私達に叩き込んで下さった。
プレーヤーとしての心構えや、代表選手・人としての身だしなみなどなど言葉は通じない中、行動でも示して下さった。
最後に私のサッカーの父、三村恪一さん。
私にとって全てが衝撃的であり、ジュビロ磐田時代の厚木基地での出会いから、いまだにお世話になっている。とにかく技術とは!?の奥の深さを私に教えて下さり、生きざま、人間の弱さまで教えて下さった。人に物事を教えるということの難しさと、誇り、伝統と伝承の大切さを私に叩き込んで下さった。そして何より、自分の事より家族やサッカー界のためであれば、ご自身を犠牲にされる愛情の深さ、そのためのエネルギーを生む力をこの僕に教えてくれた師匠だ。
本当の愛とは、を感じさせてくれた唯一の方だ。
出会いがあれば、この世は別れもある。
多くの方々との交流により、如何に己の肉体と魂を磨いていけるか、最近人生とはと考えさせられるが、私にはサッカーがある、サッカーしかない。
少年を大人にし、大人を紳士にするスポーツ。サッカーとの出会いは大きい。
私にとって、サッカーはまさしく自分の生き方を見つめさせてくれる。
原点とお陰さまの心を忘れずに、今を生きて行く。

高さんありがとうございました

ESAのメンバーはじめ、個人的に私も大変お世話になった高さんが、神様の元に戻られた。
本日、高さんにはお別れのご挨拶をしてきました。
夏の韓国遠征をはじめ、高さんにはESAが大変お世話になり、何より少年達に多くの愛情を注いで下さったことは忘れない。
本当にありがとうございました。
ゆっくりとお休み下さい。



第一回インターリーグが ・・・

5月4日に行なわれた。
趣旨は、中学の指導者と高校の指導者とが、選手同士の試合交流だけでなく、技術を共有することで、少年達の強化を目的とした6年計画リーグである。
日本のサッカー環境は、ヨーロッパや南米のクラブ文化とは違い、歴史は浅く!?伝統や伝承が薄い。まして少年達は、あの高校の、あの大学の、あの環境や、あの監督の元でサッカーがしたいなど、小さな時から思いながら育つわけでもない。
一つのいい例がある。
J下部組織の少年に、歴代の君のクラブの2番の選手を2・3名あげてみてと質問したところ、答えは知らねーだった。何とも寂しい話どころか、どのような教育をしているのか疑問でならなかった。では、J下部組織にも所属していない多くの地域の少年達は、どう育てて行けばいいのだろう。
この問題は奥深い。
ESAは、キァリアは高校からスタート出来る、したいと考えている。
中学までは、やらなければいけない攻守の基本、やってはいけないプレーを教え、その年代で仲間と競争し、ゲームで協力をしながら、成功と失敗体験の場を多く踏ませることを大切にしている。
育成は、ズバリ子育てと同じだ!!!