始まりはそう。いつだって一緒だ。
気づけば表現が同じ。使っている言葉が同じ。
それが『個性』だと言われれば聞こえはいいが、
本人からすればそれは単なる『マンネリ』だった
同じ脳から発信されているから
同じような思考回路に陥るのは仕方ないのかもしれない
ただ、自分がそれを許さない
妥協は嫌だ。そう思うようになったのは最近だ。
妥協と言っても何に対しての妥協かは自分でもわからない
ただ納得できないだけ。認めたくない。自分ならまだできるはずだと言う淡い期待が捨てきれない安易な部分。
いいものを目指しているつもりもない
ただの憂さ晴らし。
『適当』こそが目的であり、頭の中を空っぽにに、丸裸にすることが狙いである。あったはずだった。
また一枚と服を脱がす。
狂喜だ。実に美しくて、自分の飢えている心を背徳感でじわじわと満たしてくれる。ついに狂ったか、いや、固定概念からズレただけ。これが人間の本質であり、誰もが望む欲である