治療院に来院する人の中に、心を悩ますストレスとは無縁に、心底楽しく暮らしてみえる人がいる。私は、その人がとても興味深く感じ、「○○さんは、悩みがなさそうに見えるけど、やっぱり多少は悩みがあるの?」と聞いた。本当に悩みがないのか、他の人にとっては悩みになることが、その人にとっては悩みにならないのか、しばらく考えたあと、自分の悩みが思いつかない様子。すると、「やっぱり、悩みがないかもしれません(笑)」という。
頭痛を経験したことのない人は、頭が痛い、頭が痛くなる、ということがどのようなことなのかわからない。そもそも、悩んだ経験がないから、何を悩むのかわからないということもある。自分が悩んでいる状態は、考えても、考えても、答えに辿りつくことができない。そして、苦しく、もやもやが晴れない。いつも、笑顔で、楽しそうにみえるので、本当に悩んだことがないかもしれない。しかし、いつも笑顔で、楽しそうに見える人でも、実は悩んでいる、ということもある。悩んでいる人というのは雰囲気がある。その雰囲気さえ感じさせない人というのは、野生的だ。
人間は嫌なことでも我慢してやらなければならないことがある。人間社会の中では嫌なことをしない、というスタンスでいることは難しい。つづいて、嫌なことはないのか、聞いた。「多少は、ありますよ!」と、今度は即答。やらなければいけないことはやるが、嫌なことは避けるというスタンスだった。当然、悩むような状況に陥る可能性は低くなるわけだ。多少は、というのは仕事にあるそうだが、それでも給料にこだわらず、自分がもっとも得意なことをしているからやりがいがあるのだという。
野生的というのは、身体にも表れていて健康体そのもの。さらに、身体の機能状態を良好にするために身体を整え、トレーニングに励んでいる。なんとも、悩みがない人というのは生命力に溢れているようだ。
