右足の闇を引きずって生きるか?
(代償運動)
それとも、右足の闇を現実に戻すのか?
(自然動作)
運動と時間と空間はセット。
確かに、運動が発生しないと時間という概念も生まれないし、物体が移動するには空間が必要。
と、うなずく。
私は麻痺の治療で、運動が発生しない時間と空間を経験した。
外観は右足がある。
内観は右足がない。
外観は、冷たい肉の塊。足の形をした棒。
内観は、闇、宇宙。
第3者から見れば、右足がある、冷たい、動かない。
神経が損傷しているから動かないのだろうと思われる。
右足は自分のものであって自分のものでないのだが。
「ない」ということが、第3者には伝わらない。
それで、外観は冷たい肉の塊、内観は闇と比喩して伝えようとする。
「ない」というのは、真っ暗な空間が広がり、時間が刻まれているのか不明。
それで足が動かないものだから、運動が発生しないと付け加えている。
「ない」のだから時間は刻まれていないというべきかもしれない。
つまり、空間とか時間とか人間がつくり出した概念という道具であり、真実を説明できないと思う。
まあ、難しく考えずに「ない」という。
中村天風氏の「心も体も道具」という考え方がある。
体は道具というのは聞くが、心が道具というのにはビックリした。
正直私にはわからないが、右足をなくした分だけ、心からも何かしらなくなることはわかる。
これが、ともに道具だからなのか・・・・?
「ない」というのは、外部環境、世界とコンタクトができない。
右足の闇を引きずって生きるか?
それとも、右足の闇を現実に戻すのか?
リハビリは、闇を現実に戻さなければならないが、そもそも「ない」ものに運動は発生しない。
「ない」ものに何をどれだけ足し続ければ、「ある」ということになるのだろう?
「ない」というのはゼロではない、「ないのだ」。
人間が道具として作った足し算という概念があてはまらない...。
「ある」というのは、外部環境、世界とコンタクトができる。
体(右足)と外部環境はセット。
体(右足)が外部環境とコンタクトできれば、その情報は脳で処理され脳神経系、カラダのシステムは動き出すのではないだろうか?
停止状態(麻痺)から作動状態へ回復するという図式ができる。
外観は「ある」、内観は「ない」、に何かを吹き込むことができれば....。
私には何が吹き込まれたのだろう?
運動、時間、空間、足し算などの偉大な先人の概念でさえ、真実を伝えきることができないのだから、言葉で表現できない何かなのだろう。
だが、麻痺患者は伝えようとしている。
「ない」ものは「ない」としかいいようがないけれど、心から叫ぶ。
体の傷は、心の傷、自分の意思が届かない状態というのは「恐怖」なのだ。
私も右足が闇になったとき、「恐怖」し絶望の淵に立たされ、わめき散らした。
もう治らないと宣告された患者は奈落の底に突き落とされる。
諦め、諦めきれない、諦め、諦めきれない....病んだ心を秘めている。
ヒトの心は、見えないカラダ。
リハビリは、ヒトのカラダを回復しなければならない。
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